46「「つれづれ」のこと

07年4月8日(日)

★日曜日はヒマだなぁ。

サラリーマン時代の頃だからもう20年位前になるか、西田辺に「つれづれ」という韓国風居酒屋があった。

当時、職場が北大阪の江坂。
江坂や梅田の飲み屋だと職場の人間に出くわして、ようやく仕事終えたのにまた仕事の話はイヤだとばかり、当時の飲み仲間「四人会」(ヨニンカイではなくシニンカイと読む。死ぬまで飲もう!という意味で)の面々、難波、天王寺、我孫子へと年々南へ南へとシマをかえ、ようやく落ち着いたのが西田辺。

この町にはシャープ本社がある。
その点でか居酒屋もスナックも同じ御堂筋線の我孫子よりもリーズナブル。
ポケットマネーで毎夜飲むには最適な町だった。
(間に位置する長居には当時店と呼べるような店がなかった。そこに墨丸1号店を出したンだけど・・・)。
その西田辺での行きつけの一軒が「つれづれ」だった。

ちょっと美人のママさんと年配の愛想のいいマスターお二人での、地酒とモツ鍋メインの居心地のいい店だった。
ヒマなときはそのマスター、カウンターの片隅でひとり文庫本読みつつ地酒のグラスをグビリ。そして「スミちゃん、この本面白かったで」とその本をくれたりと・・・。ま、そんな世界に我輩終始浸っていたくって脱サラ、この道に入ったのだった・・・。

で、こんなヒマな夜、どうしてあの世界に浸れないンだろ?店の倉庫には未読の文庫本が山積みになっているというのにと今夜しみじみ思う、という話になるんであるが。・・・そうだ、本を読める環境作りをしょう!少々ライトアップしたコーナーを作ろう!・・・か。

「つれづれ」はもう15年位前になくなったゆえ次のこと、ここに記してもいいか。
閉店のしばらく前にマスターが亡くなった。
そのいきさつはあまりにもプライベートなことゆえ省略するとして、それからがいけなかった。
ちょっと美人のママさんの客あしらいが急に悪くなったのだ。
マスター存命中もそういえばマスターの愛想の良さのカゲで、と思い当たるふしもあったンだが。
例えば、我輩が店をオープンする前、飲み仲間の家電メーカーのNさんと「つれづれ」で電気設備の打ち合わせをしようと・・・

「先に着いたので飲んでますよ〜」との連絡に急いで赴くとNさん、いない。
テーブルにはその家電メーカーの紙袋がポツン。
「ママさん、待ち合わせの人が来てるはずですけど」
とママさん、顔も上げずに「でていかはりましたけど」
しばらくして戻ってきたNさんに「どないしやはりましてん?」
とNさん小声で「だって、ここのママさんコワイもん」

ん、「つれづれ」風の本を読める環境作りもさることながら、こうしてヒマな時間パソコンに向かってしまうってことも・・・どうにかしなくっちゃ?

★「今夜の名言!」

私は蝶をピンで壁に留めました・・・もう動けない。幸福もこのやうに。
食卓にはリボンをつけた家畜が家畜の影を。
壜には水が壜の格好を。
シュミズの中に彼女は彼女の美しさを。
 安西冬衛「再び誕生日」より。 以上。

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