145「高野山たどり着き隊物語」(2・闇夜篇)

09年7月20日(月)

★さて、雨の中「どこへ行こ?」
で、てら吉くん「例の廃村に行きましょうよ!」

ここで前回は終わりました。
さて、今回はその高野山の「廃村」のお話。
てら吉くんは私が酔った時に今から記す話を聞かされ、その村に行ってみたいようなのです。

青春時代、高校時代からの親友モリちゃん(126「偶然の夜」登場人物)と何ヶ月かかけて大阪環状線各駅前の居酒屋巡りをしたことがあります。
なにぶん昔のことなのでどんな店があったのかはもう忘れてしまいましたが(私この頃「手紙魔」だったゆえ誰かの手元に膨大な記録が残ってるかも)、唯一覚えているのは鶴橋駅前、カウンター数席だけのホルモン屋。
真夏にそこで食したのは小ぶりの皿にデンと盛られた豚か何かの「脳みその刺身」。出された瞬間、その量と初めて目前にするその丸ごとの形状、そしてその初めての食感に「おおぉ!」と感激後、即、腹をこわしたことだけはいまだ記憶に・・・。

そしてのようやく環状線一巡し終わったある夏の夜、阿倍野アポロビルの飲み屋で二人「あ〜、おもろ〜ないなぁ。どっかええ飲み屋ないかぁ?・・・そや、高野山に一軒、スナックあったな!そこ行こか?」
ってんで、その頃はまだ数軒の居住家屋があった高野山奥の祖父宅に泊めてもらうことにし手土産に日本酒一升瓶買い込み、そのまま南海高野線に乗り込んだのです。
※ こういう行き当たりバッタリ行はモリちゃんとは度々あり、遠いところでは広島尾道までふらりと飲みにだけ出かけてしまったこともあります。「出かけた」のではなく「出かけてしまった」ンですが。

昔の高野山山頂、今とは違い夜になると閑散としていました。
町では、客のいない手打ち式の小さなパチンコ屋が一軒細々と営業していた時代です。
村では電話が山の中腹にある祖父宅にしかなく、村人に取次ぎの電話がかかってくると表に出、山の上や下の家に電話がかかっていることを大声で知らせてた時代(テレビもない雑音なしの世界でした)。

酒は自宅で飲むしかない時代です。
祖父は囲炉裏を前に夕方から酒を飲みつつ、そんな電話を終えた村人や遊びに来た私などを相手に話をするのが楽しみのようでしたが、ま、楽しみだけじゃなく、そんな酒席のもつれから祖父、猟銃持ち出し相手の家に乗り込んで行こうとするのを家族が必死で止めたりするのを子供心にドキドキしながら(ハラハラではなく)「すっごいなぁ!」と大人の酒の世界に憧れていました。
※ 後年、占い師から「あなたはトラブルを避けよう、避けようとするが、トラブルなしでは生きていけない人間」といわれた要素がこの頃もう芽生えてたわけで・・・。

村外から遊びに来た私も、あちこちの家でその頃から酒を飲まされ帰してくれないほどでした。
で、思い出しました。
あれは中学生の頃・・・学友のコミちゃんと山のいちばん上の通称「宮さん」宅で一人住まいのその宮のおじさんと私たち三人、時のたつのも忘れ日本酒と缶詰で宮さんの話に聞き入っていたところへ私の叔母に当たる人が、「どこ行ったと思たら!なにしとんのよ〜!」と現われ(山中ゆえ山の上で喋ってるのがはるか下の祖父の家まで聞こえてたそうで)、ぐでんぐでんに酔った私ら連れ出し山を降りる途中、ドーン、ドーンという音が。
叔母さん「ほら、宮のおじさん鉄砲撃ってるやんか!」「なんで〜」「あんたら帰って来い、いうて!」
思えば人間的な時代・・・。

話が脱線しました。
で、人通りのない大通りでバスを降り、行き着いたのは表看板に「美酒と美女のロマンをあなたに」と大書きされた店。
田舎にそぐわぬこの文言が記憶に残っていての今回の初訪問なのです。

意気揚々とその店のドアを開けると、右にカウンター。左には・・・ビールケースやダンボールが山と積まれ、無人・・・誰も、おりません。出てきません。
「こんばんわ〜!こんばんわ〜!」と奥に声かけると、ようやく腰の曲がったおばあさんが「いらっしゃ〜い」

しばしモリちゃんとビールを飲みつづけましたが、おばあさんの他にもう誰も出てきません・・・。
「おばあさん、あのね、表の看板の美酒はまぁ分かるねんけど、今夜はその〜美女、は?」と、おばあさん「ああ、お盆の忙しい時期終わって、みんな
畑仕事に戻ってしもてよ〜。すみませんよ〜」
はぁ、美女が百姓仕事ですか・・・。
しばし後、暗澹たる気分で店を出ました。

村へは町外れの摩尼トンネルくぐり、そこから一里近い夜道を歩かねばなりません。
で、真っ暗なトンネル出てすぐ、後ろを歩くモリちゃん「おい、足が見えん!足が見えん!」
こいつ何言うとんねんと、立ち止まり振り返ると真っ暗なトンネルよりもなお暗い、漆黒の闇。モリちゃんが見えません。
これほどの闇は初めての経験でした。
この夜は曇り空で月も出ていません。
目の前に手をかざしてもその手が見えないのです。
もちろん自分の足など見えやしません。
モリちゃんいわく「こりゃ、たどり着けんで・・・」

トンネルまでの街中には少しは街灯があったのですが、トンネルから先には街灯などありません。
ここから少し行くと戦後できた山に分け入る小道があり(昔は奥の院裏から摩尼山を越えるのが村に通ずる道。その痕跡をたどったことがありますが、現代人では到底通えぬだろうほどの険しい急な山道でした)、いまは小型車が入れる道幅ですが当時は大人二人が横になって歩けるほどしかなく、足を踏み外せば崖下転落は必至。
酔った勢いで私は歩きつづけようとしましたがモリちゃん「あぶない、あぶないやんか〜!」

で、二人とも立ち止まり「では、どうしょう?」
立ち止まってた横に馬小屋がありました。
さいわい馬はいません。
「朝までここで夜露しのごか?」とその小屋にもぐりこみました。
・・・しばしのち、ワラくずの上で震え始めました。
盆あけというのに寒くて寒くて居ても立ってもいられないのです。
と、「利発な」私は思い出しました。
トンネル町側の空き地に駄馬に引かせる観光馬車があったのを!
そ〜して私たちはその馬車にもぐり込み、日中ならその汚さに思いも浮かばぬであろう座席の古座布団かき集め暖をとろう、としたのですが、それでも寒くて眠れず、早朝、道の見分けがつくのを待ちかねて村へと向かったのです。

そしてたどり着いた、いまだ寝静まる祖父の家の離れにもぐり込み、たちまち眠りに陥って・・・祖母の「だれぞいなぁ〜?!」と、離れ入り口に脱ぎ捨てた我らの靴みて驚く声で目覚めたのです・・・。

後刻、夏でも火鉢傍らに酒を燗する祖父に尋ねました。
「おじいちゃん、提灯も懐中電灯もなかったとき、村の人は町からここまでどないして帰ってきたん?」
すると祖父、私たちに酒注ぎながら「マサキ、よ〜聞いてくれた!」と、その秘訣を話してくれたのです。
(キイ打つのがしんどなってきたンで、また続く・・・)

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