148「高野山たどり着き隊物語」(5・その村篇)

09年8月3日(月)

★しかし、暗闇だけが怖ろしいのではありません。
あの山道で我輩グループは不可思議なことに遭遇してしまってもいるのです・・・。

前回はここで終わりましたが、振り返れば高野の闇のことばかり綴ってきました。この村のイメージがもうひとつ抱けないのではないでしょうか?
「不可思議なこと」を記する前にこの「村」について補足しておきましょう。

道が開けていなかった頃はまさに「隠れ里」。
以前記したように、この村にたどり着くには奥の院裏手から標高約千メートルの摩尼山を越えるしかなかったのです。
私が物心ついた頃は十数軒の民家が急な山肌に点在していましたが、杉木立の間に見え隠れするいくつかの屋敷址の石垣も見受けられました。
そのひとつについて祖父に「あんな所にも家あったん?」と聞いたことがあります。
祖父いわく「マサキ、よ〜聞いてくれた!」

そこは「樅の木屋敷」と呼ばれ、ある夜「ドーン!」という異様な音が祖父の家まで響き渡ったとか。
祖母が「なんの音?」と思っていた翌朝判明。
そこで賭博がひらかれており、その夜旅人に妻を寝取られたことを知った主人が寝ている男の頭を大鎚で叩き割った音だったとか。
で、その屋敷は誰も住まなくなり・・・。

祖父の家はそんな村の中心地にあり、かつてNHKが「こうした地になぜ村が?」との取材に訪れた際(この時代、ビデオ機器がなかったので番組未見)、スタッフが祖父に「この石垣の石は一体どこから持ってきたんでしょう?」と尋ねたほどの、山奥にしてはの石垣上に祖父の家は建てられています。
その石垣にくい込むようにそびえ立つ杉の巨木は樹齢六百年といいますから、釘を一本も使わず建てられたというこの旧家は六百年前から存在していることになります。
子供の頃、祖父が石垣の上から目の前の山々指差し(ホントかウソか)「マサキ、ここから見える全てがうちの土地だった・・・」ともいっておりました。
(先の取材時、スタッフが祖母に「石垣の階段を下りるシーンを撮りたい」といわれ、足が悪いのに苦労して下りたのに放映されなかったと怒っていたこと、ここで思い出しました・・・)。

そんなこんなで一時、県の文化財に指定されそうになったそうです。
そのことは台風で藁葺き屋根が損壊し立ち消えになりましたが、「されそうに」というのは祖父いわく「あんなモンに指定されたら管理が大変やった・・・」

人里離れたこの村の過去は、祖父いわく「隠れ妻の里という説がある」
つまり、女人禁制の高野の坊主が女達を住まわせていた村ではないか、というのです(ならば私にはその好色の血が・・・!)。
ほかに「山賊の村」(ま、子孫の私の性分から言うとこの説がピッタリ)や「平家の落武者部落」(サラリーマン時代の私のあだ名は「殿下」でしたが・・・。実際、村の奥には「たいら屋敷」という名の屋敷址があり、発掘すると当時の陶器などが出土するといわれています)などの説があります。

囲炉裏を囲みこうした話を祖父から聞く際、私はいつも蔵の木扉にもたれかけて酒を飲んでいるのですが(この家の蔵は「内蔵」といい、囲炉裏のある居間に入口があります。両脇には分厚い漆喰の扉が折りたたまれてい、木扉を引くとガラガラという音が。これは泥棒よけのため扉の下に算盤を敷いた算盤戸といいます)、あるときなにげなく扉をみた私が気づいたのは、その取っ手。

「おじいちゃん、これ刀の鍔ちゃうん?」
そう、取っ手に日本刀の鍔がはめ込まれていたのです。
「マサキ、よ〜聞いてくれた!それよう見てみ」
「ふん?なにこれ?山の形の線、彫られてるやん?」
さらに見てみると、その三つの山の真ん中のひと際高い山の頂上に十字架が彫られているではありませんか。それもそれらの線は銀。
「これ、十字架やんか〜!」
「そう、刀の鍔の裏なんぞ誰もみない。で、この里は隠れキリシタンの村という説もある」

これに似た話があります。
祖父の屋敷の下に「如意輪観音堂」という堂址がありました。
子供の頃は穴だらけの床と柱、そしてかろうじて屋根が残っている程度の廃屋でした(いま思えばどうして廃屋になったのか聞いておくべきでした・・・)
私が成人した頃に再普請されましたが、当時はこの堂址で缶蹴りや探偵ごっこをし、床下や屋根裏に隠れたものです。
後年、その普請の際、この屋根裏で柄に真珠が埋め込まれたいつの時代のものかも分からぬ布に包まれた短刀が発見されたそうです。
今思えば、屋根裏に上がってた私がなぜ発見者にならなかったのか、残念至極で・・・。
でも、誰がどんな理由でその小刀を屋根裏に隠したのか、ゾクゾクするほどのロマンを感ずるではありませんか。
(ここまででしんどくなってきたンで、またつづく・・・)

★「今夜の本!」

村上春樹「1Q84」(新潮社)読了。

・・・ページめくるたびに「この紙、上質すぎるなぁ」とか、「オーウェルの「1984」読んだ頃は84年ってずっと先のことやなぁって思てたな」とか、本書を取り上げたテレビ番組出演のハルキファンのスーツ姿の男性が、バーの片隅でシガーをくわえスコッチ片手に足を組んだ「ええカッコしぃ」的に本書読む姿が終始ちらついたりするほど、没頭できぬストーリー展開。

読み始める前、新聞各紙の紹介記事読んでも傑作なのか否かも分からぬ内容ばかりで、ようやく最近の新聞広告の評に「久しぶりに、沁み込んでくるような村上春樹だ。今3回目を読んでいるが新鮮さを失わない云々」とあったけれど、読後のいまは信じられません、この内容で3回なんて。

前半のプロットや女主人公の青豆なんてネーミング、個性的な脇役群は印象的で、それらのつながりで読み終えましたが、総体的に「消化不良本」。続編、あるのかもとさえ思いました。
村上さん作品初めて読みましたが、鳴り物入りでのこの発売は厚顔無恥?他作品、読む気力失ったではありませんか!ノーベル賞候補ゆえ誰も「駄作」といえないんでしょうか?評価3/5。続く!

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