162「路頭に迷った夕暮れ」

09年11月25日(水)

★奥野修司「ねじれた絆」(文春文庫)読了。

副題は「赤ちゃん取り違え事件の17年」
小学校にあがる血液検査で出生時の取り違えが分かった二人の少女とその家族を追った25年間もの(!)記録です。
(文庫版では17年後を取材した「新章」が追加され、本人達が31歳になるまでが描かれています)

正直いって期待せず読み始めました。
6歳での取り違えの発覚?
ま、子供はすぐ生活の変化に順応するんじゃないの?と。
また、なんでこの本こんなに分厚いの?そんなに書くことあんの?とも・・・。
我輩自身も幼少の頃、夏休み等に高野山の祖父宅等にあずけられ、長期の時など久しぶりに会った実母を忘れてい、帰るのを泣いて嫌がり母親を悲しませたという経験もありで・・・。祖父母はうれしそうな顔してましたが。

でも本書はあにはからんや、そこには第三者には計り知れぬ、ときには不覚にも涙してしまう様々なドラマが、そして双方の夫婦のプライベートな問題が(仮名ながらこんなことまで書いてええのんというほど)赤裸々に書き込まれ、まさに他の人生を垣間見てしまったような作品。
被害者が沖縄という狭い土地かつ隣町同士で、共に貧乏ながら片や教育熱心な母に育てられ、片や手づかみで食事するほどの野生児同然に育てられ、育ての親を忘れきれない子供達はその後どう育つのか?生みの親、育ての親の情愛は?そりゃ、ページが分厚くもなりますわ。

こうした「取り違え事件」は、昭和30年代から急増する施設分娩と密接な関係があるといい、それまではいわゆる産婆さんと呼ばれる助産婦の介添えでの自宅出産が主でした。
初めて「取り違え事件」が新聞報道されたのは昭和41年ということですが、厚生省や医師会にはこれら実態の記録が残されていず、臭いものには蓋的医師会の反発にあいながらのある大学教授の調査によると、昭和32年から46年までの15年間に32件あり、このうち生後1年以上も経ってからの発覚が14件も。報告されていない件数ふくめ実際には300件はこえるのではないかともいわれています。本書の事件はこの調査に含まれてもいません。
こうしたことから日本は世界一の取違児事件多発国といわれ、また文中のある医師の発言はショックです。

いわく「我々は人間としての能力を超えた仕事をしているのであるから、赤ちゃん取り違えが一件や二件起こっても致し方ない」
以前、TVのドキュメンタリーで、中年男性が両親から生まれるはずのない血液型と知り、独自に調べた結果すでに廃院となった病院での取り違えまでは判明するのですがカルテも残っていず、今も生みの親を探し続けているというショッキングな番組がありましたが、こうした無責任な医師はこれをどうみるのでしょう。

また本書では驚くべきことに、主人公が出産直前に母親に「親子2代で取り違えられたら、悲劇よりも喜劇だよねぇ、お母さん。もしかして歴史に残るかもしれないね」と冗談を言っていた翌日、授乳室で看護婦が他人の母親にわが子を連れて行くのを目撃。
彼女は出産の際、取り違えられたらと、握りしめていたマジックペンで生まれたばかりの我が子の足裏に必死で印をつけていたのでその場で分かったのだといいますが、怖ろしいではありませんか。現在でもこうしたことが有り得るのですぞ、女性のみなさん。出産時にはマジックペンをお忘れなく!

また主人公の父親達が我輩と同年代ながら、子供時代に本島から西表島や石垣島などの、当時「ヤキー(マラリヤ)の島」と恐れられたという八重山諸島の密林に開拓移民として移住しての苦闘の日々の描写は、我らの子供時代に比べ天国と地獄の差があることに目からウロコの思いも。
久々のノンフィクション本の評価は、4/5。・・・出だしがちょっとかったるかったか。

11月28日(土)

★先日、目当ての本を探しに久々に北花田のイオンモールへ。

日本酒の酒器が割れたりしての在庫補充のため食器売り場を巡ったあと紀伊之国屋書店へ。
サラリーマン時代は昼休みに近くの東急ハンズの書店で毎日のように新刊本をチェックし、ためらいもなく購入していたものだけど、その頃にくらべ最近は古本屋巡りばかり。
久方ぶりの紀伊之国屋、それこそ読みたい本が何冊もあり!が、それら全てを買う余裕などいまは、ありません・・・。

こうして約2時間近く館内に居て、さぁ帰ろうと立体駐車場5階におもむくと、車がない?確か5階だったはず?・・・4階に降りてみる。
ここも5階と同様エレベーター前の空間には見覚えありなんだけれど、車だけがない。
フロアの端から端まで探してみる。・・・ない。
「盗まれたのかも!」と3階、4階、5階を行ったり来たりしてる間に(屋上駐車場までも行ってみたけれど、もちろんその風景はまったく別物。あるはずないわなぁ)、墨丸オープン時刻は迫り来るし無料駐車時間は過ぎようとするし・・・。あせる。

館内アナウンスで「駐車場が広いのでフロアの色、番号を駐車の際お確かめくださ〜い」な〜んて言ってくれてるけれど時すでに遅し。かつ、こんなアナウンス、こんな状況に陥って初めて耳に入ったわ。
でも、「ボクの車、どこにあるか分からなくなりました〜」なんて恥ずかしくって口が裂けても言えやしませんし。日本人は自尊心が高いゆえ恥をさらけ出すより死を選ぶ、ってことがこれだけでもう充分理解・・・。

・・・昔、免許取立ての主婦が車で都内のデパートに買い物に行き、入場した場所と違う出口から出たため道に迷い、はるか神奈川県まで行ってしまって帰れなくなったという、日常に潜む恐怖をテーマにした(恐怖というよりこのドラマは笑えたけど。沢田亜矢子主演でドラマ化されました)短編集があったけれど、わが身にそんな不条理なコトが襲いかかるとは・・・!

こうしてあせりにあせるなか、脳裏の片隅にあった事実を直視してみると、降りたエレベーター扉の色が違うことが明白に。これは当初から分かってたことなンだけれど、行きつ戻りつしたフロアには見覚えある色のエレベーターがなぜかまったくなくって・・・。

う〜む、確か到着時に降りた1階はジャスコのフロアであったか?
ならばと再度1階まで戻り、見覚えあるはずのジャスコ売り場付近のエレべーターを探せば・・・。

うーん、アナウンスされるほどここの駐車場は広いわ〜。
阪急、ジャスコ、そうしてもう一箇所の併せて三箇所も、それも似たつくりの駐車場があったのです。
ボクはジャスコのではなく阪急の駐車場で路頭に迷ってました。
阪急よりジャスコのエレベーターホールのほうが、なぜか立派でした・・・。
でもボクは、都会の駐車場で路頭に迷う田舎者でした・・・。

さて次回はこの苦闘の夕暮れに手に入れた本の話題を・・・。以上。

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