198「煙草の銘柄話から」

10年12月2日(木)

★この年になって知った、煙草銘柄の語源。

60〜70年代にかけて、安藤昇という元暴力団組長(かつ元特攻兵)の男優がいて、「男の顔は履歴書」って名言、この方の言葉だったか、彼を指しての言葉だったか、それほど迫力ありました。本田靖春氏の傑作ノンフィクション「疵・花形敬とその時代」の異才花形もその組員で、安藤昇は今で言うインテリヤクザのはしり。大学生や高校生がこぞって組員になったとか。

ヤクザ映画ではそのほかに藤純子さんの「緋牡丹博徒」シリーズと、私のひとつ年上の脚本家・俳優で、30歳代初めに亡くなってしまった金子正次さんの「竜二」「ちょうちん」ぐらいですか、好きなその種の映画は。
で、安藤さんは「男が死んでいく時に」という渋い歌も歌っていました。

その歌のセリフ「敷島の大和男の行く道は紅き着物か白き着物か」って箇所だけはなぜかいまだ覚えていまして、この敷島は大和国、日本の別称ですが、このことを思い出したのが産経新聞11/29付朝刊の一文を目にしたとき。

いわく、「昔は煙草の銘柄もカタカナではなく、敷島、大和、朝日、山桜と和名が多かった」とあり、それらが本居宣長の歌「敷島の大和心を人問わば朝日ににほふ山桜花」からとられたそうだ、ということをこのとき初めて知ったわけです。

※上記の記事は、かつて「煙草を喫む(のむ)」「米を研ぐ」というような、言葉にこもる「ありがたみ」がいまや消えつつあり、口にするすべてを大切に思ってきた日本人の心情までもが死んでしまうとしたら、これは悲しいことに違いない、という内容がベースの連載記事「国語逍遥」から。

う〜む、昔の煙草の名、いまの横文字名よりも粋なネーミングじゃんと思うのは私だけでしょうか。
ま、かつての洋画の邦題も、「いちご白書」「俺達に明日はない」「太陽がいっぱい」「死刑台のエレベーター」「我が谷は緑なりき」「哀愁」・・・あ〜、きりがないほどイイのがあって、後々までもそれでその映画のこと思い起こせたものでしたのに昨今などの横文字題名、昨日今日みた映画の内容も思い出せずで・・・。そういえば高校時代、邦題だけで綴った学級日誌なんて書いていて、また書けたほどでしたもの。

新政党名ももうすこし(どころかもっと!)工夫すりゃいいのにとも思い至ります。
「みんなの党」はマンガの「21世紀少年」連想させるうさんくささがあり、作家でもある石原慎太郎が命名すると知り期待した政党名、蓋を開けると「たちあがれ日本」なんてホント、老人政党そのもののですし(平沼代表は唯一応援したい方ですが)。日本新党なんてネーミングはよかった。いっそ「敷島党」「大和党」なんてのが生まれりゃいいのに、なぁんて。

話が飛び飛びですけれど、この敷島だったか朝日だったかの煙草、70年代初頭の東宝映画「沖縄決戦」で(大作ながら駄作かと。少年たちが野山を駆けるだけのシーンに「(何々)斬込隊」って字幕が出る場面が延々続き、見てると「平和な時代のかけっこ」としか思えない演出)唯一印象的だったのが、高橋悦史演ずる軍人が最後の突撃前に塹壕でその煙草の紙の吸い口をつぶして(今で言うフィルター。筒状空洞のそれをつぶして吸い口にするんです)、おもむろに煙草に火をつけて同僚にニヤッと笑いかけ「さぁ、行こうか」ってな雰囲気で死に赴くシーン。・・・う〜ん、冒頭のヤクザ映画に通ずるモノありですか?

沖縄で思い出しましたが、曽野綾子さんの「ある神話の背景」(PHP文庫)、ようやく読みました。
何年も前から探していて(みなさん、「ネットで!」とおっしゃいますが、アナログ人間から我いまだ脱せず)、先日ようやく古本屋で発見。

副題が「沖縄・渡嘉敷島の集団自決」
沖縄戦時、その島の住人三百数十人に集団自決を命じたといわれる「神話的悪人」、特攻隊の赤松大尉の是非を問う作品です。
朝日新聞購読の頃(洗脳されまっせ。赤松さんって極悪人と思わされました)、大江健三郎が著書「沖縄ノート」(これも探してます)でこの事件を記し、赤松元大尉が事実無根との訴訟を起こしたことについて、朝日は大江側の論調。そのなかで曽野さんの著作にそれに反した作品があることを知り・・・・。

両作品についてはさまざまな論争があるようですが(単に「琉球タイムズ」からの引用文の「ノート」に対し、現地と旧軍関係者取材に基づいた曽野さんの作品の方が説得力ありのようには思いますが)、一言で感想いうならば(受け売りですが)『「日本軍の命ずるままに青酸カリを飲んだ」とあるが、戦後日本にはこんなさかしらを書く人が多い。本当に軍に強制されたのか。こんな書き方は死者への冒とくではないか。人は国を守り、操を守るために死を覚悟することもある』(産経新聞11/22付朝刊の、ソ連軍侵攻で自決した南樺太真岡郵便局電話交換手女子9人についての、比較文化史家・東大名誉教授の平川祐弘氏「まやかし解放史観と北方の悲劇」より。産経にも洗脳されまっせ〜)。

それでも沖縄本土では、日本兵が沖縄弁を理解できず敵国人として処刑したことなどの残虐行為は事実としてあり、私が70年代に訪れた沖縄のホテル地下の居酒屋で(地下飲食店街工事中で、エレベーター降りると真っ暗な地下でその店の赤提灯だけが灯ってまして)仲良くなった女将さん、「本土の人が来ても戦時中に沖縄にいたなんて誰も言いません。それほど日本兵はひどかった。アメリカ人の方が優しかったです」

今日読み終えたノンフィクション「敵中漂流」(ディモン・ゴーズ。新潮文庫)は、1941年末に日本軍がフィリピンを占領し、米兵の主人公は7万名にも及ぶ米兵・比兵とともに「バターン死の行進」を余儀なくされる直前、捕虜収容所を脱走。全長6mの小型漁船で炎熱の大海原五千キロをオーストラリアに向け脱出しようとする話ですが、行く先々の島のフィリピン人に歓待されるくだりを読むと、「アメリカ万々歳」なんて思いはしませんが、アジアの解放を旗印にしていた当時の日本軍はいったいなんだったのかと考えさせられました。
ちなみに本書は、「大戦における日本人の行為が不当にそしられてきたと考える方には、さらにおすすめするものである」と序文に書かれているように、「日本人蔑視」に満ち満ちております。
今回紹介の本、評価は共に4/5。 以上。

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