6「不良中年よ、書を捨てよ、町へ出よ」

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ  『勧酒』 宇武陵 井伏鱒二訳

★1992〜2002年 たいむとらべる篇

『そんないつもの昼下がり、寝ぼけマナコにとまった新聞記事。不正乗車が原因で、クレジットカードが使えぬタクシーが増えているとのこと。そこで思い出した、サラリーマン時代の或る出来事・・・。
で、終わった前回のこのコーナー。今回はその後編「或る夜の東京悪夢篇」の予定・・・。が、今年の夏は酒場墨丸の記念すべき、借金まみれの10周年の夏ではないか!』

上記の文だけでは何のことやら、でしょう?
え〜今回から、当店のことを余りご存知ない方々に墨丸をもっと知っていただこうかと、以前発行の酒場墨丸の会員向け会報「墨丸亭綺譚」1周年記念号と、2年前に発行した冒頭の文から始まる10周年記念会報43号をもとに再構成しての墨丸紹介のページです。

墨丸会員は、04年8月20日現在709組。
会報発行援助基金ってのもあるんですがこの不景気、印刷代はもとより会報郵送代がネックに。で、今後は当HPでの発信をと。
未完のままの「或る夜の東京悪夢篇」は前編と共にHPで一挙公開!(の予定)。
なお、以下の※マークの文は現時点でのコメント。
『』内の文は1周年または10周年の会報からの抜粋。

※阪神大震災(店の直接被害は微々たるもののお客サンは一時大幅に減少)、そして我輩がようやく政治に関心を持つきっかけとなったこの大不況(自営業者になればこその目覚め)、そしての飲酒検問大強化(お客のハワイ人いわく「ハワイデモソウ。デモ2〜3年デモトニ戻リマシタヨ」
しかしこの間に、我輩知る店がどれほど消え去ったことか・・・。
酒場墨丸も60%の方々が住吉区外在住のお客さん(主に車利用)。残る40%の住吉区のお客のうち、徒歩と自転車の方となるとはるかに低いパーセンテージに。
これら三大影響うけつつ、酒場墨場は04年7月28日(水)、息も絶え絶え満身創痍で12周年を迎えた。

『手元に93年発行の「酒場墨丸のすべてがわかる特別号」がある。黄ばみ始めたその冊子、A4サイズにして、な、なんと33ページ!(ウム、その頃からこの店はヒマだったのか?)。
たしか30部ほどコピー印刷し、常連サン来店順に配布した、酒場墨丸会報の1周年記念号である。そこで、掲載予定の後編は次回に譲り、その記念号をもとに酒場墨丸の過去を振り返ってみようと思いついての、題して今回は、「たいむとらべる篇」!』

※その記念号冒頭のあいさつ文は・・・
『食っていくのが精一杯の1年間(コレ、ホント)、休肝日ゼロの1年間(コレ、コワイ)、ミナミでの飲酒ゼロの1年間(金タマランノガ、オカシイ)、自由時間ゼロに近い1年間(トイウコトハ、さらりーまん時代ヨリ読メルダロウ、観レルダロウノ本ヤ映画ヲ読メナク観レナクナッタ1年間)でした。

本来は我輩、皆さんにお酒をお出ししたあとカウンターの片隅、文庫本片手に酒のグラスかたむけ云々の図を描いてたンですが(実際、そんな居酒屋店主がおられて憧れていた)、アハハ、甘かった。酒が回るとしゃべり魔になる我が性癖、忘れてた。はたまた仕事終えれば朝までビデオ映画の理想世界も、終わる仕事が朝だった・・・。
思うに、永遠にこの状況が続きそうな、いや、もっと悲惨な状況が待ち構えていそうな、10年後の今夏であります・・・』

※当初は夕方5時から朝の8時過ぎまで営業。
が、寄る年には勝てず、その後19時から2時頃に定着。
しかし最近は3時前後まで営業。ただし日曜日は夜半ヒマになるので、1時頃閉めることも。
これまた寄る年には勝てず、我輩仕事中の飲酒をようやく控え始め・・・月間バーボン4本だったのが、8月は20日現在アーリータイムズいまだ1本!

※あいさつ文の一節に店名の由来を紹介させていただいている。
ご存知ない方のために以下再録。

『山本周五郎の時代小説「日本婦道記」収録作品「墨丸」に登場するヒロイン名から命名。
ヒロインは色が黒く、あだ名を墨丸と名づけられた薄幸の少女。かつてこの世に生息していたという「日本女性」と呼ばれる類まれなる魅力的生物の典型である彼女の名とわたくしめの姓の一字を重ね合わせての命名。
黒土、丸墨、豊丸、単に墨、はては睾丸なんて店名読まれている方々、これを機に覚えてくださいませませ。
当初、フォークナーの小説からの「サンクチュアリ」(聖域)なんてハイカラ名も候補。が、心斎橋に同名の美容院をみかけてボツ。2号店以降の店名は「月下の一群」「月に吠える」(カラオケバーだ)に決め、はや10年。いまやこの1号店の存続さえ危ぶまれる状況・・・』

※「豊丸」は、当時のアダルトビデオの人気女優の名。
※宝くじが当たれば墨丸お気に入りの本をずらり並べた、LIBRARY・BARを開きたい。それも週休2日制で・・・。
※現在の店は97年7月、隣のビルから移転(現在てんぷら屋の場所)。
「長居の魔窟」「長居の巣」「長居の壁の穴」「長居のホモバー」とも呼ばれた閉鎖的空間の旧店の方が好きと言われる方々が多いのも事実。それに対する我輩の心中はと申しますと、オープン準備の日々を書き綴ったページ「実録・墨丸ヒストリー」の冒頭にこうある。

『これは18年間の白昼の囚人、サラリーマン生活脱け出しようやく自由の歓びを得ようとしている男の記録である。はたして「自由」はそこに存在するのであろうか?ウ〜ム、しかし、ここからは外を見ることができない!店内からは青空を見ることができないのだ・・・。今度は、「窓」がわたしは、欲しい・・・』

※いまの店には窓がふたつもあるのだった・・・。
そしてそう我輩、かつてはサラリーマン。

『数年前に「問題」発覚し、評判落としたD社に長年勤務。そのすばらしき経営理念と現実の落差に若き我輩次第に苦悩し(?)「やめたるわい!」と息巻いていたのに、だぁれも信用してくれず・・・。
鬱積たまりにたまった92年5月25日月曜日、その頃「狼が来た!」少年とからかわれていた我輩ついに、「あしたからもうきません」、(部長)「ナ、なんでやねん!」、(本部長)「1ヶ月考えろ」、(我輩)「なぁ〜ん年も、考えました」

バブル崩壊、不景気に突入した時期の突然の退社にいまだ半信半疑の同僚たち、「勇気あるなぁ〜」となかばあきれ、なかば羨望のまなざし。が、「ここに勤め続ける方が勇気いるわい!」の心境(今思えば浅はかな、実に浅はかな・・・)。
人生の重大な転機のはずなのに天変地異も起こらず、あっけないといえばあっけない一日であった。が、振り仰いだ本社ビルの上に果てしなく広がる青空(そうみえるもんだ、こんな時)を目にした時の、あの開放感!しかし・・・次回、「金もないのに店作り篇」につづく。

★「今夜の名言!」

「じゃ、元気でな」と俺はいった。
「漫画のページで会おうぜ」

民衆の敵NO.1と呼ばれたギャング、デリンジャーと子分の会話。
死後、自分たちを主人公にした漫画の中で再会しょうという意味だろう。
スティーブン・キング『第4解剖室』(新潮文庫)収録「ジャック・ハミルトンの死」より。
死神に遭遇した少年の恐怖を描いた「黒いスーツの男」以外は不満の残るキング久々の短編集。同時に買った彼の『幸運の25セント硬貨』に期待しょう・・・小説評価2/5。

デリンジャーの映画では、ジョン・ミリアス監督、ウオーレン・オーツ主演の『デリンジャー』が、W・オーツ主演映画ではサム・ペキンパー監督の『ガルシアの首』が共にオススメ。映画評価共に4/5。 

★「今夜の迷言!」

江坂の家庭料理屋『きんぎょ』の、ちぃママいわく。

『うちのおかぁさん、曽我サンたちが空港に降り立ったとき言いはってん、「じぇんきっサン」が帰ってきた!』

長居からはちと遠いですが、墨丸お気に入りのお店。地下鉄御堂筋線江坂駅北出口より徒歩3分。江坂町1−22−10第一梓ビル2階。電話06−6380−2310。

「不良中年よ、書を捨てよ、町へ出よ」つづく? 

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