12「墨丸よ、店を捨てよ、街へ出よ!◆廖焚縄で)

★出発

待望の1993年5月24日(月)、沖縄への旅が始まった。

律儀にもはるばる東京からやってきた、もはやただ一人の盟友シャべ倉サンと乗り込むは、大阪空港10:00発、ANA103便。
そしてはや12時過ぎには那覇空港近くのオリックス・レンタカーにてカローラ僑悖舛鮗擇蟒个后3日間のレンタカー代20,090円。運転、なぜか我輩・・・。

★旧海軍司令部壕

沖縄はすでに梅雨入り。
が、本日は上天気。危惧していたほど蒸し暑くもなく、第1日目は本島南部をドライブ観光することに。
まずは昭和45年に整備されたという『旧海軍司令部壕』へ。

昭和20年6月13日午前1時頃、大田実少将が自決した場所でもある、地下30メートル、総延長1.5キロもの手掘りの壕。当時四千名もの将兵が立てこもっていたという。

以前訪れた時は整備されて間もない頃だったせいか、割腹自殺の血しぶきのあとが土壁に生々しく残っていた。が、いまも残るは手りゅう弾による自決の痕跡。その破片が壁一面にくい込んでいた。
整備されたのは全体の60%。残りの壕がいまだ将兵の屍とともに土砂に埋もれたままという。その封鎖された数々の横穴が不気味・・・。

大君の御はたもとにししてこそ
人と生まれし甲斐ぞありけり / 大田司令官 辞世の句
(おすすめ度100%)

★ひめゆりの塔

つづいて『ひめゆりの塔』へ。
実は、レンタカー会社提供の無料おおざっぱドライブマップのおかげで目的地はるかに通り過ぎ、あんなところ観たってしょうがないと思ったけれど、沖縄初訪問のシャべ倉サンのためにUターン。

が、期待していない時ほど良きめぐり合いがあるものだ。
「ひめゆり平和祈念資料館」ができていた。
日本唯一の戦場資料館。ゆえにただの資料館ではなかったのだ。

こころ揺さぶられるのは、第4展示室「鎮魂」
二百余名のひめゆり部隊の少女たちの遺影と、各自の死亡状況が記載されたパネルが延々と展示されていた。
たとえば、腹に被弾し腸がはみでている女子学徒が、仲間の「大丈夫よ!」の言葉に、「おなかを撃たれたら助からないのはもう知ってる。その薬は他の人にあげて、といいながら死んでいった・・・」なぁんて記述を次々と読んでいると、どの遺影をみてもジ〜ン。

出口にて。
シャべ倉「泣きました?」
我輩「シャべ倉サンも?」
二人して「うっ、うっ・・・」と双方、目が真っ赤。
(おすすめ度100%!)

★平和祈念公園

車を走らせていると、どでかい屋根がみえた。
地図によるとこのあたり、沖縄戦終焉の地、摩文仁(まぶに)の丘『平和祈念公園』にあたる。
でも、あの屋根の建物はなんだろう?と、車止め、茂みの上にそびえる大屋根めざし、我ら畑つきぬけ石垣よじのぼり、鉄柵乗り越え突き進んでいくと、ガランとした大広間に大仏あるだけの、平和祈念堂という建物に出くわした。
ここでは沖縄戦の惨状ふくめ、近代戦争の庶民の悲劇を伝える写真集が無料で閲覧できる。

で、出口?
うむ、りっぱな入退場ゲートがあるではないか・・・?
悪意なく鉄柵乗り越えてしまっていたが、正規に入場すると五百円とられるところだった・・・。
「ありがと〜ございましたぁ」の切符売り場のオジサンに返す言葉もなく、そそくさと立ち去る。
入場にいたる肉体的疲労と退場の後ろめたさから評価しにくいけれど・・・(おすすめ度10%)

★玉泉洞

さて、夕闇せまった本日最終の観光地は、サンゴ礁が隆起してできたという鍾乳洞『玉泉洞』
ここではハブとマングースの決闘ショーもあり、大蛇を首に巻いての記念撮影が無料。これは、経験すべき、だろう。たぶん・・・。

ショーに夢中になり、気づくと閉園まであとわずか!
ぎりぎり入場できた洞内、蒸し暑く、首筋に滴り落ちる水滴が不愉快。
そして、洞内で前を歩いていた女の二人連れ、きれいなロングヘアーの、すらりとした美脚とショートパンツの方に終始気をとられ・・・が、出口で判明。その人、ひげ面のブ男だった。
暗闇とはいえ、こんなことに気をとられていなければ、また鍾乳洞見学が始めてならば・・・(おすすめ度80%?)

★宿泊地へ

半日運転しっぱなしで疲労困憊。
一路、本日の宿泊地リザン・シーパークホテルへ。

本島南部の那覇ICからホテルのある中部の石川ICまで約37キロ。
ICを降りればわかるとの旅行会社の悪魔クンの弁だったが、ホテルの案内板などどこにもない。この時点でホテルは谷茶ベイって未知のところにある、としか知らないことにそのとき気づく。オープンしたてのホテルゆえ地図にものっていず。
いま思えば、ICを降り、まったく逆方向へ車を走らせてしまったのは運転手の我輩のせいではなく、おおざっぱなドライブマップと盟友シャべ倉サンの「地図を読めない女」的ナビゲーターのおかげだ・・・。

暗闇の中、ホテルは海岸沿いということのみ頼りに、とにかく海がみえるところへたどり着こうと、米軍演習地にはさまれた密林の細道抜け、ひなびた村々延々と走りぬけ、日本軍敗走兵士の心境に陥り始めたとき、あやうく見過ごすような林のなか、目指すリザンがあった。

★リザン・シーパークホテル

オープンしたてとあって我らの部屋、ラタン家具ふくめインテリアはすべてピッカ、ピッカ。
反面、バスマットがない、という初歩的ミスも目立った・・・。
だが、そんなことはどうでもいい!
オアシスにたどり着いたらすることはただ、ひとつ。
ひたすら、飲む!

が、まずは腹ごしらえ。
沖縄初訪問のシャべ倉サンには気の毒だが、リザンには沖縄料理の店がなかった。なぁんにもないところに出来たホテルゆえ、ホテル近辺にもなぁんにもない。海だけは果てしなく、ある・・・。で、沖縄まで来てとは思ったが、ホテル内の日本料理店『七福』へ。

貸切状態のだだっ広い店内で、我ら沖縄美少女のウェイトレスと談笑しつつも支配人にもお愛想良くし、すると「これ、店のサービスです」と、泡盛の古酒なんかを出してきてくれ・・・。
こうなるとざっくばらんに、「ちょっと、ここのメニュー、高いンじゃないですかぁ?」なぁんてことを言えたりもして。するとむこうも「そうでしょ、私もね、オープン前にオーナーにもっと安い価格を提示してたんですよ。でもね、もっと上げろ、もっと上げろっていわれちゃって・・・」と本音で答えてくれる。

ここでのおすすめは、和風チーズともいえる、「豆腐よう」
価格八百円で爪の先ほどしかない大きさだが、さっぱりした日本酒にあう独特のコクがイイ。これで酒場墨丸でもこの豆腐ようを仕入れ始めた。

ちなみに、京都からきたという支配人に沖縄料理店がなぜないのかと聞くと、いわく「沖縄料理って、おいしくないでしょ?」
飲食代合計16,090円なり。
(おすすめ度?%)

支配人の「ホテル内ではバーはここだけだと思います・・・」(この不確かな答弁がたまらなく新鮮)と紹介され、バー『キエンギ』へ。

初々しい女性バーテンダーがひとり。いい。
メニューのショートカクテルは5種類のみ。これぐらいならと、我が店にもショートを導入しようと心に決める。

当時の酒場墨丸のメインドリンクは、日本酒の地酒とバーボン。そしてカクテルはロングだけ。12年後の現在はというと、カクテル数1700種に。時代の流れ、実感す。
大いに飲んでしゃべって、飲食代合計5,098円。いい。
(おすすめ度100%)

★9004号室

深夜、我らの部屋『9004号室』にて。
シャべ倉サン、フロントにマッサージを依頼。

その電話「なになに、オイルマッサージ?それそれ、お願いします!」
我輩「オイルマッサージって、どんなん?」
シャべ倉「知りまっせん。でも、いやらしそ〜なヒビキありますよねぇ、へへへ」
で我輩、寝たふりしてこっそり現場垣間見ることに。やがてピンポ〜ン。マッサージ嬢、登場。
・・・「七福」のウェイトレス、「キエンギ」の女性バーテン想像していた我らふたり、大いなる間違いだったと気づいたのであった・・・。

こうして沖縄第1日目の夜は更けていったのである。

★そしての2日目

5月25日(火)。
本日も快晴。ゆえに泳ぐことにする。

が・・・
「からだ、いた〜い、しんど〜い」と、シャべ倉サン。
これはマッサージのしすぎと二日酔い。
「吐きそ〜」と、我輩。
これは完全なる二日酔い。
ふたり、泳ぐ気力もなく、リザン専用ビーチでひたすら悶え苦しみ横たわり、昼近くにはジュース飲みすぎ日焼けしすぎで双方、気分悪くなってくる。
で、気分転換にとドライブに。

★今帰仁城跡

一挙に80キロ北の本島最北端『辺戸岬』をめざす。
が、またまた地図を読めないシャべ倉ナビゲーターと、無料おおざっぱドライブマップが災い。
名護市で道をはずれ、ぐるっと本部半島50キロまわりこむはめに・・・。

それが不幸中の幸い。
『今帰仁(なきじん)城跡』にでくわした。
県内古城のなかで最も険阻な山城なそうな。

ガランとした駐車場のわきにひなびた茶店。
「お茶、飲んでいきなさいよ〜」と、茶店のおばあさん。
「いいっす、のど乾いてないし」と我ら。
でも、お茶を手渡されてしまう。
この欠けた茶碗の、単なる日本茶は一体いくらぐらいするもんだろ?との不安感に味もわからず、おばあさんと話し込んでいたシャべ倉サンに「茶、いくらでした?」と聞くと、「ただ」「ただ?」「ただ」。う〜む。

今帰仁城の入り口である平郎門は本土ではみられないアーチ型の石組み。異国の雰囲気に満ち満ちている。
そして門をくぐると・・・既視感!
まっすぐ上方につづく石の階段、そして両脇のサクラの木々群・・・。
ウーン、この風景どっかでみたような・・・。

帰途、門の脇の掲示板に張られた仲代達也のビール宣伝ポスターに気づく。
既視感の謎、判明。
「日本でいちばん最初にサクラの咲く場所」とのナレーションのビールCM、ちょうどそのカメラの位置に我輩立っていたのだった。CMに出ていた仲代達也も立っていたのだ。なんとなく感激・・・。

平郎門の両側から城壁がつらなっている。
内側が、生い茂る熱帯の樹木になかば埋もれた、総延長1.5キロの石灰岩の城壁だ。
階段ではなくこの城壁の上を歩きながら上方へと向かうと、眼前に突如広がるは、東シナ海!
この城壁から13世紀の兵士たちも同じ風景を見ていたのだ。琉球の美姫も眺めていた、かもしれない。ああ、ロマン・・・。

城から降りてくると茶店のおばあさん、「お茶、飲んでいきなさいよ〜」
・・・こんどはヤキイモまで新聞紙に包んでくれた。これも、無料。いい。
(おすすめ度100%)

★辺戸岬

一路、辺戸岬へ。
遠い。ひたすら遠い!
おまけに、沖縄初日に気づいたことだが、沖縄ナンバーの車すべてがすべてピッタリ制限時速を守っている。最近はそうでもないと聞くが、当時「アッ、飛ばしてるやん」とみてみると、「わナンバー」
こうして車つらなる国道を残り130キロ以上走破せねばならぬ・・。

そうしてようやくたどり着いた、辺戸岬。
崖っぷちを見たく、サンゴの岩肌這うようにして進む。とがったサンゴはおもわず手をつくとスッパリ切ってしまいそうなほど鋭いのだ。
残暑の頃、鳥取砂丘を数分歩いて砂漠で遭難するってことがよく分かったものだが、難破してサンゴ礁で体がズタズタになるって話も、ここでよ〜く分かった。

ようやくたどり着いた岬突端から見えるは与論島。
絶壁から覗き込んだ海は吸い込まれそうなダークブルー。
ひなびた観光地だが、心に残る場所であった。
(おすすめ度70%)

★茅打ちバンタ

岬近くの『茅打ちバンタ』へ。
束ねた茅(カヤ)を落とすと、その高さゆえ途中でバラバラになるという、50メートルを超えるスゴイ絶壁、らしい。
が、わざわざ柵乗り越え絶壁から身を乗り出し覗き込むが、たいしたことはなし。
ここに向かう途中でくわした、まわりに一軒の民家もない山の中にポッンと建っていた中学校の校門のほうがコワカッタ。
(おすすめ度20%)

★リザン、リターン

夕暮れまでに辺戸岬に着こうとあせっていたため、朝からなにも食べていず。往路、目をつけていたヤギ刺し料理屋か海鮮料理屋か、どこに立ち寄ろうかと期待に胸躍らせながらの80キロの帰り道・・・。
が、道々の飲食店、すべて閉店!まだまだ夕食タイムなのに・・・。
みなさん、沖縄北部での夕食はかならずお早めに。
また、あとから知ったがヤギ刺しは独特の臭みあり、本土の人間は食べられたモンじゃないとか。これが不幸中の幸い、というヤツか。

こうしてついには宿泊地のリザン通り過ぎ、仲泊海岸沿いにみつけた『シーサイドドライブイン』にたどり着く。
ガイドブックでは「オススメ」の店にはなっていたのだが、空腹にもかかわらず、食事の最後までなにがオススメなのか、さっぱり分からず・・・。

今夜はまだ一滴もアルコールを口にしていず。
飲みまくれるぞ〜!とホテルのバー「キエンギ」へ、直行。

「おみやげ〜」とシャべ倉サン、昨夜の初々しい女性バーテンダーに今帰仁城の茶店でもらったヤキイモ、プレゼント。
・・・ウム、今夜はいかつい男のバーテンもいるではないか。

昨夜は休みの日だったというその仲宗根チーフに盛り合わせの中のフルーツ名尋ねれど、知らなそ〜な雰囲気に、日本料理店「七福」の支配人同様、これまた親近感がわく。
結果、サボテンの実であった。これは風味ナシの産物。
で、またまた泡盛古酒サービスされ、大いに飲んで、11,783円なり。
(リザン宿泊おすすめ度90%。食事が高いのが玉にキズか・・・)

★万座毛

3日目。
5月26日(水)。はじめての雨模様。
リザンからすこし北上し、『万座毛』へ。

万人を座らせるに足る広さの芝原、というのでこの名がついたとか。
ま、昨日の辺戸岬の風景とさしてかわらず、小雨のなか「一緒に写真、いかがですかぁ」との民族衣装に身をつつんだ女性の声が物悲しかった。
(おすすめ度50%)

★琉球村

万座毛から今夜の宿泊地、那覇市まで南下する途中に『琉球村』があった。
沖縄各地の古い民家などを移築した村だ。
コンクリート家屋の町並みを走り抜けてきたゆえ、ここではオキナワを実感できる。が、ハブ飼育場の生臭い異様な臭いにはまいった。注意!
(おすすめ度70%)

★中城城跡

東洋一の規模といわれる嘉手納基地沿いにリトルアメリカ・沖縄市を走りぬけ、『中城(なかぐすく)城跡公園』へ。
昨日の荒城、今帰仁城に魅了されたわれら、もう一箇所城跡をみてみたいと訪れたのだ。

が、その入り口に立って、落胆。
広々とした芝原の先に見えるは大阪城的な単なる石積み?
なんやぁ・・・とぼやきつつ芝原わたり終えると、ムムッ、そこから延々と奥に奥にと異国風城壁が、まだかまだかとばかりに続いているのだった。
「連郭式の六つの城壁」というらしく、ぺりー提督がこの規模と築城方法に驚嘆したという。われらも驚嘆。

注;沖縄の城は木造建築ゆえ、いまは城壁しか残っていない。しかしこの数年後の三度目の沖縄訪問では古城巡りを目的としたほどこれら城壁に惹き付けられてしまった。

これら城壁抜けると、突如として現れるのが、現代の廃墟。
巨大ホテルの成れの果てである。
海洋博後に倒産したというこのホテル、米軍の子らが荒らしまわったとかでどこからでも入れ、世界各地の建物を模したその趣味の悪さと想像をこえる広大さには圧倒。

また、公園入り口の博物館では、おしゃべりなおばさんがつきっきりで沖縄の歴史を解説してくれ、映画「時代屋の女房」に出てきたような“なみだ壺”も展示中。
(おすすめ度100%)

★首里城

そして『首里城』へ。
訪れたときすでに閉園時間。
昨年修復された首里城内建物を外部からでもひと目見てみようと城門くぐるが、朱色の正殿けばけばしく、真新しすぎて感銘特に受けず。

正殿より目を引いたのは、城壁下部に点在する壕の入り口。
大戦末期、首里城地下に広大な日本軍地下壕が建設され、これを目標とした米軍の集中爆撃で首里城跡形もなくなったとか。が、壕はいまだ未発掘のまま放置されているとのこと。
外地の遺骨収集もさることながら、海軍壕ふくめ身近な戦跡の遺骨収集が遅々として進まぬ現状には、ウ〜ムであった。
(守礼門ふくめ、おすすめ度60%)

★ホテルキャッスルのざき

最終日の宿泊先『ホテルキャッスルのざき』へ。
あぜん、ぼ〜ぜん。リザンとくらべ月とスッポン。
フロントのホテルマン表情暗く、バスルームの片隅サビで穴あき、エアコンはガタガタと異音を発してかすかに冷気が染み出しているといった様相・・・。ま、国際通りに近いだけましか。
(宿泊おすすめ度10%)

★国際通りの飲食店

小雨の中、国際通りへ。
本格的琉球料理にシャべ倉サンを誘ってみるが「ありゃ、ゲテモノ」と拒否。
ま、我輩も好みじゃないので、シャべ倉サン行き当たりばったりに指さした那覇グランドホテル向かいの赤提灯へ。
沖縄にきて赤提灯かと思いつつ入ると、なんや、沖縄料理店。
そりゃそやな、沖縄で居酒屋といえば沖縄料理やわなぁ・・・が、この店おせじにもキレイとはいえず、これなら我輩がピックアップしていた専門店のほうが・・・と後悔。

沖縄料理と知ったシャべ倉サン、やけくそで泡盛古酒がぶのみし酔いはじめたころ、となりの席に料理を運んできたおかみさん「これ、おいしいですよ」とそのカップルに声かけるそばから、ボソッとそれも聞こえるほどに「うまくない、うまくない、うまくない・・・」
おかげでか飲み食いしたわりに勘定高く、9,500円也・・・。

気を取り直し、国際通りに面したブティックの二階『スナック小さなお店』に。
5〜6人も入れば満席の、店名通りの小さな店。
中年のママさんと常連らしきこれも中年の男性客がひとりだけ。
この中年モードに少々後悔するもその時間、通りに面してはここぐらいしか開いていなかったのだ。

さて、ゲテモノぎらいなはずがすでに酔っているシャべ倉サン、見つけたのは瓶詰めハブ酒。
20年ものというそれを、ママさん止めるのも聞かず、お代わり、お代わり、お代わり・・・。
そのわりに会計安く、全員で話も弾んで、9,000円なり。
(この店のみ、おすすめ度60%)

★雨の中、帰還

4日目。
5月27日(木)。本土に帰ってしまう日・・・。
那覇空港。JAL912便。11:15発。

昨日からの小雨、空港に着いた頃にはドシャ降り。おまけに風強し。
到着便から週末利用客ゾクゾク降り立ってくる。
・・・この日から沖縄、ず〜っと雨だった。
哀れやなぁ、と我らふたり。

シャべ倉サン「すみちゃん、こんどはサイパン、いこ!」
はてさて、次回は『サイパン篇』になるや否や?

1993年版「沖縄旅行記」完

お知らせ!
この後、最新沖縄旅行記を掲載。
が、保存ミスにより全文消滅させてしまいました。もう完全に「・・・」です。(05.3.19)

「墨丸よ、店を捨てよ、街へ出よ!」完

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