19「昭和30年代のウイスキー」

4.10mon/2005
★早じまいアリ

雨の月曜日。
月曜が不定休日ゆえ、本来ならこんな雨の夜は休んで当然の日。
が先週、風邪で急遽休んでしまったゆえオープン。
明日仕事休みという会員20号せいざぶろう、暇な状況見越して「どっか飲みにいくんやったら電話して」と言い残し帰る。
うむ、先週体調悪しの金曜日に手伝ってくれたお礼もまだだったし、先日は彼の誕生日。
で12時過ぎ、お客が切れて彼にメール。本来休みの日なのでお客が切れると店を閉めれるというささやかな自由のある月曜日だから。
「30分後に店にいきます」との返答。

と、そのとたんG嬢ら2名来店。
「わ、ごめん。食事いくことになっちゃって、1時まででいい?」
「オッケーよ!」
で、その1時。
男性2名来店。
「わ、すんません。今夜は1時まででして」とお断り・・・。

こんなとき、人生には「上り坂、下り坂、ま坂(まさか)がアル」という名文句?が心をグサリ。
あ〜、イヤになるなぁ〜、稼がなあかんのになぁ・・・。
で、居酒屋「まんまる」へ。
が、いまだ体調悪しかつ今夜の後悔で楽しく飲めず、食べれず。

4.11tue.
★送別

雨降りつづく。
会員91号エム氏、5月1日より九州博多転勤確定(これで飲み友達1名減。仕事に専念できる!本気デス)
で、送別会開催することに。
一応、23日(日)営業終了後、割烹「日本」にて。
日曜ゆえ早めに閉店の予定。
詳細および参加ご希望の方は当店まで!

・・・で、昨夜の「ま坂」にも懲りず、「送別会前夜祭しょう!」ってんで我輩ふくめ4名、我孫子のラウンジ「ホットロード」へ。
アホやなぁ。ホンマ、アホや我輩・・・。

4.12wed.
★トレック

そうそう本日、お客のイトーさんがミナミでバーを開店する日。
東心斎橋1−16−19 日宝周防町会館4階5号 call/6245-6624 barTREK です。
イトーさん、おめでとう!おたがいがんばりましょう!

4.13thu.
★昭和30年代のウイスキー

今月の文藝春秋に、昭和30年前後に出現しはじめた壽屋(現サントリー)直営店トリスバーについてのコラムが掲載されていた。

いまや当たり前のように飲んでいるウイスキーのオンザロック。
当時の広告担当者が外国雑誌の広告でオンザロックを見つけ、「これが新しい飲み方だ!」と紹介したのが発端だそうな。

う〜む、そういえば当時、家庭に冷蔵庫などもなく、あっても木製の、内側ブリキ張りの確か夏場しかブロック氷を入れてなかったような、そんな時代だった。ゆえに年がら年中「日本酒」の世界で、たまにサントリーの角瓶なんかを家で目にしたときは、これは確か我が父親、ストレートで飲んでいた。

先日みた鈴木英夫監督の昭和30年頃の東宝映画「彼奴を逃がすな」「悪の階段」(共にモノクロだがサスペンス映画の秀作)の、「悪〜」でも山崎努、久保明、加東大介、西村晃、団令子(豪華キャストだ。若い人はわからないだろうけど)が金庫破りの成功を祝って角瓶をストレートで飲むシーンがあり、西村晃は氷が入っていない水割りを当たり前のように飲んでいるシーンが。
だからオンザロックやソーダ水で割るハイボールの出現でこの頃から洋酒文化が開花したというが、一般家庭ではこういう世界だったのだ・・・。

このコラムの最後に広告のイラストを担当していた柳原良平氏いわく「今のトリスは昔よりずっと美味しいんです」(コレは公式見解と受け取っていいだろう)
今のトリス(飲んだけど全然うまくなかった)より“はるかに”不味いモノをわれら青春時代に飲まされゲ〜ゲ〜し続けていたのだ。
その意味では合成ウイスキー促進に加担したともいえる柳原氏とコピー担当の開高健両氏は後年どうしてもファンになれなかった。
ある意味、青春残酷物語ではあるが、畳にドッかと一升瓶すえ、キャベツをあてに親友と日本酒を酌み交わした当時はまた良き青春時代だった・・・。

この時代で思い出したのが、当時流行ったフラフープ(このことはまたいつか記すとして)、そのフラフープから“さらに思い出した”のがコーエン兄弟の米映画「未来は今」
なんのインパクトもないこの題名を思い出すのに一苦労。
何年も前の墨丸ノート(ケータイの出現であまり利用されなくなった当店の連絡・落書き帳)引っ張り出しての当時のメモでようやく判明。
田舎出のパッとしない青年がようやくありついた大会社のメールボーイの職。その会社の乗っ取り工作に利用され突如社長に抜擢されてのハートフルコメディの傑作。未見の方、だまされたと思ってみてください。最近、評価5/5が少ないので、ご紹介。

ロシア映画『父、帰る』をみる。
2003年ベネチア国際映画祭グランプリ受賞。
12年振りに突如父親が自宅に帰ってくる。
そして二人の息子を旅に連れ出す。
無口で高圧的な父親に次第に反感を抱き始める兄弟。
行き着いた先は無人島。
そこで父親は廃屋から小さな箱を掘り出す・・・。
ロシアの寒々しい風景やこの父親の謎めいた行為、幼いながらも精一杯反抗し続ける末っ子・・・とよどみなく物語は進んでいくのだが、なんやねん、結局な〜んにもワカランこんな映画のどこがええの?わし、アホやから受賞の意味わからんかった。2/5。

4.14fri.

毎月10日過ぎから19日にかけてヒマだ。
特に19日は墨丸の定説として「魔の19日」と呼ばれるほどの最もヒマな日。土曜、金曜にかかわらず、だ。
たまに19日がバタッとすると(バタバタではない)18日か20日が最悪。で、本日金曜日(にもかかわらず)、ヒマ。

米映画『オーシャン・オブ・ファイアー』をみる。
実在したというカウボーイ、フランク・ホプキンスがアメリカの野生馬マスタングでアラビアを横断する4800kもの耐久競馬レースに参加する物語。
予告編段階で「インディジョーンズ」的冒険活劇ドラマかと思いきや、結構真面目な作品。
が、部族の姫の救出劇やらも盛り込まれ、そういう意味では中途半端でどこまでが真実?と気になるのが難点。

先日みなおした70年代の「弾丸を噛め」(こちらはアメリカ西部を1100k余り横断するリチャード・ブルックス監督作。邦題は、負傷の治療の際、麻酔の代わりに弾丸を噛んで我慢しろ、という意味)に比べると飽きずにはみれる。「弾丸を噛め」なんて当時は結構興奮しつつみたものだが。3/5。

木曜日にかつての「墨丸ノート」で「未来は今」のこと探していて、目にしてのがノート版「今夜の名言!」。その中から名セリフ、迷言の一部を・・・

★「今夜の名言!」

「幸福な男の話、知ってる?カフェに二人、憂鬱な男がいた。互いにセックスの話をするの。一人が言った『ボクは二週間に一度セックスをする』。二番目の男が言った『月に一回・・・』『それじゃ少ない!』。カウンターに一人の男がいて、幸せそうにコーヒーを飲んでいる。『なぜあんなに幸せそうなんだろう?』。二人は男に何回セックスするのか聞いた。『私ですか?』三番目の男が答えた。『三年に一回ですよ』『まさか!三年に一度!?でも、とても幸せそうだ』。三番目が答えた『それが今晩なんです』
仏映画「ポンヌフの恋人」より。

「わたしは時どき、パン屋のウインドウーに鼻を押し当てているような気分になる。ただしわたしがパンなのだ」

「世の中に 酒というものなかりせば 何に左手 使うべき」
共に我輩の筆跡だが、出処詳細不明。

「その精神でなくっちゃいけない。楽天主義さ。楽天主義があれば奇跡だってなし遂げられる。瓶に詰め、強壮剤として売り出したいね。その特別な治癒力のエキスの・・・抽出法さえ発見できればな」
C・D・リント著「リトル・カントリー」より。

「先生と住むなら、どの家がいい?」
「あそこ」即座に聡美が指差した。それは展示場のフェンスの向こうに建つ、築20年ほどの壁にヒビの走った文化住宅だった。
「どうして?」
「狭くて汚くて、どうしょうもないから、センセのことだけ、見て、考えていられそうだから」
仁川高丸著「キス」より。傑作レズ小説「微熱狼少女」の続編。栗本薫の傑作ホモ小説「真夜中の天使」もオススメ。

「たしかに持久力はあるが、毎回あれだけの美女に出会えれば次の街にも行きたくなるだろう」
TVシリーズ「逃亡者」をみた人のテキカクな評。

「日に日に無神経になっていくこの世界で、私達はかさぶただらけの感受性の殻に閉じこもって暮らしている。どこまでが大いなる情熱で、どこからつまらない感傷がはじまるのか、私にはよくわからない。私達は大恋愛であるかもしれないものをせせら笑い、純粋な深い感情に安易に感傷のレッテルを貼ってしまいがちだ。フランチェスカとロバートの物語を理解するのは、そのために必要なやさしさを持つのは、私たちには至難の業なのである」
「マディソン群の橋」の作者R・J・ウォラーの言葉より。

「まさか、という思いが稲妻になり、かき消え、再び走り、消え去った。まさか」
こういう表現、わかるなぁ。高村薫著「マークスの山」より。

★「今夜の迷言!」

タカギ氏「女心ってなんなんですか?」
我輩「1、男のあばら骨から作られた程度の心。2、たぶん悪魔が巣くってる心。3、田村が刺殺されたというのに一年後にはカラカラと笑ってる程度の心(いまとなっては“田村”が何者か不明)4、我輩の、それでも心を揺さぶってしまうほどの心。5、あなたがこんな質問をついしてしまう程度の心」

K子「一日おきに結婚考えてしまうって、不幸〜」
我輩「しあわせ・・」
K子「なんでぇ〜!」
我輩「一日おきに離婚考えてしまうより」

我輩「彼の電話番号、3千円で教えよか?住所、5千円で教えよか?実家の電話番号も教えよか?写真付きやったら千円アップ」
Y子「財布とってくるワ!」

「昭和30年代のウイスキー」完

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