42「少女趣味的映画回想記」

★「少女。どこまでいっても清冽な浅瀬”」

(男)ああ、聞いとくれよ。
   あいつは昔はやさしいいい女だった。
   マリナ・ヴラディのように甘い顔をしていたので、
   マリナ・マリムラって名をつけてやったのはこの俺さ。

六、七十人も入ったら満員の、ムシロ敷きのちいさな仮小屋で、
ぼくはその芝居、唐十郎「少女仮面」を観ていたその時に、
腹話術師と人形の、眠気を誘う会話のなか、“マリナ・ヴラディ”
その名を聞いたそのとたん、遠い記憶の彼方から、甦ってきた
「野生の誘惑」アンドレ・ミシェル。

町の青年が、森の奥深く、出会った少女に恋をする。
しかし少女は、魔女の娘。
少女は青年と町に住むために、魔法を捨てて人間に、なったその日の
ラストシーン・・・

森を出て、野原を越えて青年の、もとへと向かうその前に、
立ちはだかった魔女狩りの人々。
アレクサンドル・クウプリン原作の、映画化作品。

海を知らぬ少女の前に、麦藁帽子のわれは両手をひろげていたり
(寺山修司「初期歌篇チェホフ祭」)

少女マリナ・ブラディのこの作品、
祖父に連れられ、
クラークの「フランダースの犬」、チェフライ「誓いの休暇」、
カルネ「天井桟敷の人々」、コクトー「美女と野獣」、ヴィッキ「橋」、
カイヤット「眼には眼を」、ジャック「空と海の間に」・・・
これら映画、観たころのこと。

そして、映画の世界が“夢の世界”ではなく、
大人になることへの“期待の世界”だったころのこと・・・。

彼女の白い腕が 私の地平線のすべてでした
(マックス・ジャコブ「地平線」)

けれどそのあこがれは、
少女はいともたやすく女となり、
女はおんなでしかないことを思い知らされた思春期のころ
はやくも崩れ去り、
まして今日、少年ネロにも、通信兵アリョーシャにも、
大道芸人バチストのようにも、一頭の野獣にさえもなれなかった男は、
仕事をさぼり、暗い湿った劇場に、足を踏み入れ紛れ込む、
その後ろめたさとともにある、陰湿な歓びだけとなったのでしょうか・・・

「なぜ、壁があるの? 落ちたいわ」
(ジーン・ネグレスコ「ユーモレスク」)

いえいえ、それはちがいます。
あの「野生の誘惑」で、青年に買ってもらって初めて履く靴に、
とまどいながらも素直に歓ぶマリナ・ヴラディ、その姿だけは、
ぼくのなかで、いまもかすかに残りつづけてはいるのです。

腹ぺこで 道に迷って 体は冷えて
ひとりぼっちで一文なしの
ちいさなむすめ 年は一六
身じろぎもせずに立つ
コンコルド広場
八月十五日 正午。
(ジャック・プレヴェール「美しい季節」)

「重いな。これは何だ?」「夢のかたまりさ」
(ジョン・ヒューストン「マルタの鷹」)

以上、恋に恋していた頃の短文より

「少女趣味的映画回想記」完

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