74「ヒマ日誌」

9.15.sat./2007

★でんでん

今週はあいかわらずヒマな日々(毎月15日頃から19日頃まで)。
今夜は墨丸会員734チャン氏グループが終電で大阪に帰られる際、「あ〜、今から寂しい夜がはじまる」というと、「いやいや、今からですよ!」と元気づけてくれたおかげか、入れ違いにこれも大阪より墨丸会員691号ポストマン来店。

そしてこうしての深夜、二人して「ホルモン食べたいなぁ」となり閉店後、久しぶりに住吉・長居へ。あ〜、でも開いてる焼肉店なし。
ここまできて「笑笑」「白木屋」なんてなぁと、長居公園通りの焼鳥屋「でんでん」へ。千代田に墨丸移転以来始めての訪問。なんと大将は5月から持病の腰痛で休み続けておられるとか。ママさんお一人で頑張っておられた・・・。

★フェンス

「大将にくれぐれもよろしく」と店出たあと、まだ飲み足りなさそうなポストマン「我孫子はまだどっか開いてるでしょ?」
で、歩き出したけれど、我孫子まで一駅分歩き通す体力気力、我輩もうなく、かといって車とめた場所までは目の前の阪和線高架下、フェンスで囲まれた広大な線路跡地ぐるっと大回りせねばならず・・・「え〜い、このまま直進!」と、高さ2メーター余ほどのフェンスを酔った勢いで乗り越えた。
塀を越えるなんて子供のころ以来ではないか。
こうして高いところに登ったのも高校時代、柿を盗みに木に登った以来ではないか(あ、この話はまたの機会に)。

その新鮮さに反し、そのしんどさといったらぐるっと大回りする以上だったかも。若く背の高いポストマンさえ息が切れていた。おまけに表と裏側二箇所乗り越えればのはずなのに、敷地内にまだ二箇所もフェンス待ち構えていて
・・・こんな厳重にして誰が入るねん!あ、わしらやった・・・。
我輩「乗り越える時、なんかポケットのなかでポキッって音した」
ポストマン「携帯ストラップひっかかって降りれませんでした」

★そらまめ

汗だくで、これまたひさしぶりの居酒屋「そらまめ」へ。
そしてこうしてこの夜、旧墨丸のお客サンたちに次々とお会いし、いつものように「長居に帰ってきてや〜」といわれると、酔った勢いですぐその気になってしまう我輩・・・う〜む、千代田はヒマやけど、これまた別れがたい方々多いよなぁと、悩みつつこの日も朝まで・・・。
そんなこんなでお客サンの紹介等で長居東4丁目、南海我孫子前、我孫子に2ヶ所と、どんどん住吉区内の候補物件が上がりつつある・・・。

9.17.mon.

★徹夜本

並行して数冊、本を読んでいる。
浅田次郎選「人恋しい雨の夜に」、佐木隆三「死刑執行」、小説すばる15周年記念厳選15編「短編復活」、横山秀夫「顔」、南條範夫「残酷の系譜」など・・・。

ま、閉店後の、アルコールに浮かんだような脳みそではそれぞれのめりこめれるほどの作品ではないゆえの並行読書なんだが、昨日から寝る前に読んでいる(重くて持ち運べず)小説が俄然面白くなってき、久方ぶりのうれしきかつ非情な(サラリーマン時代の、もう10分あと5分・・・と、いつしかしらじら夜が明けてくるという)「徹夜本」の雰囲気が。

文庫本1冊程度なら一気読みも可能だけれど、本書は450ページ余りの二段組単行本で、厚さ約3センチ。
米国ドラマ「24」的めまぐるしい展開でいまだ半分も、いやもう半分しか残っていないページに今後どのような物語が待ち受けているのか想像もつかず、読んでしまうのがもったいないという現状。では読後、また。

9.18.tue.

★ジェフリー・ディーヴァー

昨日触れた小説のこと。
今朝4時半に店を閉め、後片付けと食事後帰宅。シャワー浴びてから読み始めて昼に読了。この3日間完全寝不足。

作品は、ジェフリー・ディーヴァー「コフィン・ダンサー」(文藝春秋)。
だれも顔を見たことがない「棺桶の前で踊る死神」とよばれる伝説的殺し屋と捜査当局との死闘描いた、まさにこれはジェットコースター・ノベル。
後半の予想もせずの連続どんでん返しに、明日には読了かと思っていたのに本日一気に読破。

現場鑑識中の事故で四肢麻痺となった元ニューヨーク市警科学捜査官リンカーン・ライムが、ベットに寝たきりの状況で数々の遺留物をもとに犯人を追いつめる、そのシリーズ2作目。

こう記すと「なんか退屈そう」と思われるかも(我輩は1作目を手にした時そう思った)。
主人公いわく「私なら物音ひとつしない寝室や薄汚れた路地を見ただけで、その場所が犯行現場となるまでの物語を一字一句逃がさず読み取ることができる。絨毯やタイルに飛び散ったロールシャッハ・テストの絵のような血痕から、被害者がどのくらい抵抗したか、難を逃れる可能性がどれだけ残されていたか、どんな死に方をしたのか、見抜くことができる。残された塵をひと目見れば、犯人がどこから来たか言い当てることができる。誰がという問いにも、どうやってという問いにも、私なら答えることができる」という、「ホンマかよ」ってなことを、実際に一つひとつの遺留物から証明、納得させてくれるさまは予想外に現実的かつスリリング。

しかしそのライムも今回の犯人には、「ダンサーはこれから何をするつもりだろう?想像はできても、確信は持てない・・・」と弱音を吐いたりして・・・。
ま、ライムのベットでの推理という「静の驚き」に加え、彼の指示で現場の捜査にあたる警察官アメリア・サックスなど魅力的な脇役たちのハラハラドキドキさせてくれる「動のスリル」(もちろん特異な犯人の行動ふくめ)も読ませる要因となっている。

本書は、注意深い方なら殺し屋のある描き方に「ン?」かも。
また、同様作品のフレデリック・フォーサイスの名作「ジャッカルの日」(映画版も傑作)お読みの方は「この場面、ン?」ってな箇所もあり。
そう思われた方は結構この手の本を読みこなしておられる方だと・・・うふふ。

シリーズ1作目「ボーン・コレクター」(デンゼル・ワシントン主演の同名映画版は大味で駄作。また「なんでライムが黒人やねん!」)。著者の筆跡鑑定人キンケイド(この鑑定ってのも我輩にとって初めての題材)主人公の「悪魔の涙」とともに、前回紹介した横山秀夫「出口のない海」につづく傑作本であった。

9.21.fri.

★ツバメ

いい話をお聞きした。
お客サンが墨丸の帰り、路上に落ちていたツバメの巣からヒナを二羽拾ったんですって。
益鳥ゆえ市役所に問い合わせると、「引き取りに伺う」ってはずが翌日「引き取れないので紹介する動物病院へ」と依頼の電話。

病院では「永くは生きれないだろうからそれまで世話されたら」とのことでエサのやり方等教えてくれ、一羽につき診察料千円(役所が払えよな・・・)。
でも3週間ほどででりっぱに成長して飛び立ったとか。
大変だったのは、生きた虫を毎日10回、エサとして食べさせねばならぬこと。で、大人になってはじめてエサの蝶を採りにいったとか。でもミミズは吐き出して食べなかったそうだ。残業も断って共働きの奥さんとお二人、夜中もエサやりつづけての旅立ちとなったとか。来年が楽しみですよね。でも日本に舞い戻ってくるのは3割とのこと・・・。

「そんなわけで、久方ぶりに飲みにこれました」と、そのお客さん。
「きっといいことありますよ。ボクなんか子供のころスズメのヒナ拾ったら、翌朝向かいの家の屋根にスズメの大群がうちに向かってびっしり。母が『逃がしてやり!』」っていったけど『いやや!』って。シートン動物記の出版で動物にも魂があるって初めて人々に理解されたらしいですけど、あるんですね、魂。あ、でもうちに呑みに来られなかったらツバメのヒナもどうなってたかわからんわけやから、うちにもちょっと御利益あるかも?」(単純・・・)。

この夜、話はヤキトリになぜか発展し「焼鳥のスズメはどうもヒヨコらしい」との説を知る・・・。

9.22.sat.

★西村寿行

最近新作がでないなぁと思っていたら・・・。
新聞でその作家西村寿さんが、8月に肝不全で死去されていたのを知った。
我輩と同年代の国際モデル山口小夜子さんも先ごろ亡くなられていた。
あ〜、だんだん我輩の番が・・・。

70年代に月刊誌で西村さんの「魔の牙」をたまたま読んだときの衝撃はすごかった。
暴風雨で山小屋に避難した数名の男女が、絶滅したはずの日本狼の群れに襲われるパニックに加えての自然の猛威の(土石流のすさまじさをこの小説ではじめて知った)極限状況下、さらに人間同士が・・・。

で、処女作「瀬戸内殺人海流」(瀬戸内海の公害実態には目からウロコ)からハードアクション「牙城を撃て」頃までむさぼり読んだ。が、80年代頃から暴力や凌辱描写のワンパターン化が目立ち遠ざかってしまった作家だった。
アーリータイムズを毎晩1本空けていたというから、ま、同じバーボンを3日で空ける我輩は西村寿行享年76歳まではとりあえず生きれるか・・・。

★「今夜の映画!」

今ごろ?といわれそうな、ボクシング映画「ミリオンダラーベビー」は、詳しい内容知らず観たゆえ、後半の予想外の展開は新鮮だった。イーストウッドって多彩な才能の持ち主だと感服。まだ死なないでください。4/5

音楽が好みでなくってみるのを渋っていた伝記映画「Reyレイ」は、ドラマチックかつ青春時代に無意識に耳にしていたレイ・チャールズの数々の名曲に目からじゃなくってこの場合、耳からウロコで、4/5

★「今夜の名言!」

以前、心霊ブームに対し識者が「原爆を落とされた広島、長崎などそれでは霊だらけではないか」との意見を聞き、常々我輩もPTSDという語句目にするたびに「戦時中の兵隊さん、空襲下の人々、沖縄戦の人々は?」と思いうなづいたものだけれど、朝日新聞9/16付読書欄で精神科医の香山リカさんも、中澤正夫「ヒバクシャの心の傷を追って」の書評で同様のことをおっしゃっておられた。

『相撲協会の処分が、朝青龍の心の崩壊の危機を招くほどの心的外傷になったというのが本当ならば、筆者が「史上最悪の外傷記憶」と繰り返す被爆体験は人の心にいったいどれほどの危機をもたらすのか、想像にあまりある。これまで心の障害については「深刻な傷があって当然」という以上の具体的な報告、分析がほとんどなされてこなかった。ちょっとした猟奇事件がおこるや「心のケア」が叫ばれる報道を見るにつけ、筆者は「被爆者と何というちがいだろう」と思い、なぜ彼らの「心の傷」が治療・補償の対象にならないのか、という疑問を感じるという。私たちはつい目の前の「心の傷」に目を奪われがちだが、日本社会には62年たってもなお減衰しない未曾有のPTSDに苦しむ人たちもいることを知る義務が誰にもあるのではないだろうか』うん、うん。では、また。

「ヒマ日誌」完

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