169「パソコンが死んだ日」

2.9.tue./2010

★浅川マキ

1月24日の産経新聞に、俳優の故・松田優作が常連客だったという東京・下北沢の店のマスターが、彼が好んでリクエストした曲を選んで一枚のCDにした、という記事が載っていた。

そこにただ一人、日本人歌手として名を連ねたのが70年代に我輩が好んで聞いたフォーク歌手の浅川マキ。
CDに取り上げられたのは、「おいらが死んだとき エナメルの ピカピカのシューズはかせておくれ それから帽子も忘れずに」という『セントジェームス病院』
有名な『時には母のない子のように』『夜が明けたら』『かもめ』などより我輩は、「坂道を上ると 私の部屋に明かりがついてる すぐにわかった 消し忘れだってネ」ではじまるせつないメロディの『坂道の家』が、青春時代のわびしき心にしみこみ聴き入った(当店にある彼女のCDにはこの曲は入っていませんが)。

その浅川マキさんが、17日亡くなった。
享年67歳(こんなに年上だったんだ)。
名古屋での3日続きのライブハウス公演最終日に姿を見せず、ホテルの一室で倒れていたという。前夜のステージは素晴らしいものだったとか・・・。

★エリック・シーガル

話は代わり、「愛とは決して後悔しないこと」の名セリフ(と言われたけれど、我輩はなんとも思わず)で全観客が涙した70年代の米映画『ある愛の詩』
愛する人が死の病に倒れて、というありきたりな展開は本国ではヒットせずとか。けれどもラストシーン、恋人アリー・マッグローを亡くしたライアン・オニールの、雪降る公園のベンチでの打ちひしがれたその姿とともにフランシス・レイの主題曲が流れると、我輩も思わず涙し原作本まで買ってしまって・・・その原作者エリック・シーガルも今年72歳で亡くなっていた。

★ロバート・B・パーカー

73年発表の『ゴッド・ウルフの行方』以降、現在まで刊行され続けている私立探偵スペンサーのシリーズ(何冊か買ったけれど、いまだ未読。私立探偵モノが好みじゃないせいもあるんだけれど。でもレイモンド・チャンドラーの私立探偵フィリップ・マーロウのシリーズにはその名訳と洒落たセリフにはまってしまった経験ありで。食わず嫌いなんでしょうね)の米作家ロバート・B・パーカーも、シーガルにつづき77歳で亡くなっていた。

別報によると、米国人気作家の多くが1〜2年に一冊ペースで新作発表するなか、彼は必ず3点刊行。
にもかかわらず年々クオリティが高くなるといわれ、またこれには驚いたが、量産する作家は日米ともにチームで分業するケースが多いが(!)、彼は独りタイプライターに向かって書くタイプ。で、05年に亡くなったエド・マクベイン(黒澤映画「天国と地獄」の原作者)とともに「最後の職人作家」だったとか。
翻訳刊行元の早川書房が追悼フェアの文庫セットを準備中とのこと。30年以上の歳月とともに成熟してゆく主人公と脇役たち、な〜んて興味深いじゃありませんか。

★サリンジャー

で、浅川マキの訃報とともに今回特に「え〜!」だったのが、米作家J・D・サリンジャーの死。27日に91歳で。

断筆した彼に代わって名作『ライ麦畑でつかまえて』の続編や伝記出版を手がけようとする第三者に対し中止させる訴訟を起こしたとの数年前の記事で、「え、まだ生きてたん!」と驚いたほどだったのに。

31日の産経抄では、作家として筆を折って40年以上もたつ彼の隠遁生活と日本の文学者のそれとを比較。
いわく、鴨長明や吉田兼好の場合、世を捨てても「庵」から俗世や人間を観察する認識者の立場だが、西行や三頭火らは、隠遁そのものに重きをおき、その行為より作品を表現。特に西行は晩年には歌も捨て、自らの生涯の痕跡まで消し去ろうとしていた。だとすればサリンジャーも西行型の隠遁者に近かったのかもしれない。西行がいまだに日本人の心をとらえ、サリンジャー文学が長く読まれるのもわかるような気がする、云々。皮肉なもんですなぁ・・・。
ま、「ライ麦畑で」の主人公ホールデン少年同様、ここで安易な「冥福を祈る」な〜んて言葉は記さないようにしよう・・・。

★パソコン

こうしたわが青春の片隅で光り瞬いていた方々の死(輝くほどではない。会ったこともないんだから)、昨年の愛犬チョークの死に始まり、俳優大木実さん、画家のワイエス氏、知人のポテトおじさん、そしての今回と、最近こんなことばかり記してしまい(ま、わが年齢から思うに、青春時代すでに年上の彼らの死は当たり前のことか)、これはわが身辺にも死神が・・・と少々不安覚え、気のせいか胸の辺りが急に息苦しくも感じてきたまさにその時、この記事書いてるまさにその瞬間、このパソコンのハードディスクが破損。93年以降すべての記録が消滅してしまったのでありま〜す。

う〜む、このパソコンの死はわが身代わりであったのかもと自ら慰め、墨丸会員803号直助嬢いわく「いまから新しい第一歩が始まるってことですよ!」と慰めてくれれども、「あ〜、めんどくさい!パソコンなんてもうヤメじゃ〜!」

後日、お客さん方々から「ネットにはぜ〜んぶ残ってますよ〜」「あ、そ〜」
で、単純に「そんなら消滅事件日の24日に書きかけたこのページ、思い出しつつ完成させよ」と本文を記するに至った次第。

暗い話ばかりじゃ縁起悪いかもで、「あは!」と「へぇ〜」と思った話題を以下。
(週刊新潮1月14日号特集「悪魔の人名辞典」より)
可哀そうにこの記事に取り上げられた人々のひとり「野口美佳」って誰だった?と読んでみると・・・いわく「新版『桃太郎』の作者。彼女が経営する年商160億円の輸入下着通販会社『ピーチジョン』は『桃太郎』の英訳(意訳)だそうだ。社長が所有している六本木ヒルズマンションのドアを開けてみると、あらびっくり、中から女性の亡骸と蒼くなった押尾学が出てきましたとさ」で、「あは!」篇。
とある宗教団体会長をとりあげた文が秀逸だけど、ここには書けません。当店本棚の新潮ごらんください。新潮の皮肉っぽいコラムは「フォーカス」時代から光ってます。

つづいて(産経新聞1月20日より)
記事の題が「南造雲子ってだれ?」で、だれ?と読んでみると・・・中国では最近、日中戦争をふり返る記事やテレビ番組で取り上げられる日本人スパイがいるという。南造雲子と言う人物で、ネットの中国版グーグルで検索すると現役日本首相なみの知名度とか。
中国の歴史雑誌に掲載された略歴によれば、1909年生まれで日本の諜報機関で特訓後、17歳で中国に派遣されスパイ活動。蒋介石暗殺未遂事件などで活動し、42年に中国特務機関により殺害。テレビの特集番組で歴史学者が「被害はあの川島芳子(墨丸注:「中国のジャンヌ・ダルク」「男装の麗人」と呼ばれるも、不美人な方?)より大きい」とも指摘。

う〜ん、南造雲子っていたっけ?と読み進むと、日本語のわかる中国人は「読み方からして『雲子』という名前は不自然だ」「日本側の文献にまったく登場していないのはおかしい」との意見。中国メディアが作った架空の人物が歴史に組み込まれたのではないかとの意見もあるらしい。
記事を書いた日本人記者は「日中両国の有識者による共同歴史研究で、正体についてぜひ調べてもらいたい」と皮肉っぽく結んでいました。で、これは「へぇ〜」篇。
次回は明るい話題に終始しませう!

「パソコンが死んだ日」完

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