195「新潟エレジー」

10.25mon/2010

★出発

20日(水)午前9時半より、急遽新潟行。
21日まで新潟での通夜葬式出席で閉店しておりました(この間、ご来店された方々、ごめんなさい)

従兄弟二人の日産エルグランド同乗にて、現地着午後6時前。遠い。
亡くなったのは、このページ連載の「高野山たどり着き隊物語」の村で生まれ育ち、新潟の真言宗正福寺に嫁いだ母方の五女、紀美姉(正確には叔母ですが)。享年72歳。

★回想

末っ子になるほど美男美女に生まれるという墨丸流生態考から判断すると、紀美姉はやはり美人。あとに生まれた今は亡き叔父二人も男前。
ちなみに我輩は長男だけれども、我が兄弟にはこの法則、あてはまってはいない。

白黒テレビ時代、「源平芸能合戦」という福助足袋提供の(足袋の会社がスポンサーだったなど当節想像もつきませぬが)、歌謡曲などで2社の社員が対抗するという番組があった。
その時の相手は今はない永大ハウスだったか、大和ハウス秘書室勤務の紀美姉がチームに花束贈呈役で登場した。
その後東宝だったか映画会社からスカウトされたという話を通夜で披露すると、「なんかの商品カタログのモデルにもなっとったで」などという「そういえば」と忘れていたことも思い出し・・・。

テレビなき時代の紀美姉の思い出は、大阪阿倍野区松虫在住の我が小学校低学年時のこと。
その夜両親は留守で、留守番に来ていた紀美姉と弟の三人。で、なぜか弟と喧嘩し(なぜかというより、夜の娯楽は漫画本しかなく、退屈で喧嘩ばかりしていたわけで)、怒った紀美姉、「喧嘩ばっかりしてたら帰る!」と言い放っていなくなり・・・。

残された我ら兄弟、たぶん「おまえのせいや!」「にいちゃんのせいや!」などと懲りずにまたケンカしたんだろうけど・・・。
当時自宅から阪堺線松虫駅までの道両脇には、空襲跡の廃墟や向こう側が見通せぬほど背高い雑草が生い茂った野原があり、夜はおどろおどろしい場所で街灯もなく、月明かりで青々とした(いまの都会では体験できませぬが)その夜道を、大箱マッチ片手にそれを何本も擦りながらの灯り頼りに駅まで紀美姉を探し追いかけて・・・。

で、駅までたどり着いたか否かはこれも記憶にないが(いや、駅に紀美姉が我輩を迎えにきたのだったか)、結局紀美姉は家のトイレに入ってたか隠れてたかで、我が行動に感激し我輩抱きしめ泣いていたことはまざまざと覚えていて・・・。
以後、美人にしか興味を覚えなくなり・・・いや、そうではない。お客さん方からは「マスターの好みはヘンな人ばっかりやん!」と言われてしまうんだけど。

その紀美姉が亡くなったのは17日(日)の午前1時過ぎ。
そのとき我輩なにしてたんやろ?と、先ほど売り上げ伝票調べてみるとその時刻、市大生の墨丸会員823号ユカ嬢が論文提出間近なのに手付かず難儀中ゆえ、先輩の541号てら吉くん、778号ヤマグチ氏、芸大の811号タクちゃんらがその相談に乗っていた最中というだけで、なんの虫の知らせもなかった、と思う・・・。

★お葬式

通夜葬式で印象的だったのは、お寺さんだけあって(いや、この地方の慣わしなのか)通夜の読経、葬式での読経と御詠歌(紀美姉は地区で御詠歌の指導をしていたという)、そして骨上げ前の読経と三度あり(火葬前の短時間のを含むと四度)、それらが今まで経験したことのない異様なほどの長時間。
神妙な参列者ながめつつ意味不明の読経に、「わしだけか、苦痛なの?悲しみを薄れさせるという効果狙いか、お経って・・・」

火葬場から帰っての読経など風習知らぬ我輩、境内を散策してると叔母が「はよ、はよ、お経始まるで!」(この叔母は「高野山たどり着き隊物語」で、中学生の我輩が山の上の宮さん宅で酔っ払ってる最中、「なにしとんのよ〜!」と連れ出しに来た方。今回もお経のたびに我らを探しに登場。三つ子の魂百まで。かわらんもんやね・・・。

で、その言葉に我輩あわてて本堂へとダッシュしたとたん、何の因果か我が革靴片方の底、ベロリとめくれてしまい(紀美姉が「いかんでええよ」と言ってくれたのかも)、骨上げにはサンダル履き。
火葬場で従兄弟達、「にいちゃん、靴はいてないやん!」
この従兄弟達、我輩同様三回目の読経など露知らず、コーヒー飲みに出かけていた。ゆえにそのお経の苦痛、味わうことはなかったヤツら・・・。

火葬場での骨上げでは職員が並べた骨指差し「これがカンノンさんです」の言葉に我輩思わず、「なんですって?」
小指先端縦半分ほどの小さな三つの骨。
それは指の骨とかで、観音の姿に似ているからそう呼ぶのだという。
わしだけ無知だったのかと思いきや親戚一同「へぇ〜初めてみたわ。ほんまやねぇ、観音さんのお姿やわ」
こうした際、なぜ喉仏の骨だけいつも特別によけておくのか、それは聞き忘れた・・・。

★16日

奇しくも、母方の祖父、祖母、長女が月は違うけれど16日という日に亡くなっていた。そして紀美姉も、16日夕刻には脳出血ですでに意識不明だったとか。
血族の我も(美人薄命ともいうし)、16日という日には気をつけねばなるまい。
また、この正福寺の山号は、比叡山延暦寺と呼ぶように摩尼山正福寺という(寺近辺にはその名の山はないけれど)、紀美姉が生まれ育った村が高野三山のひとつ摩尼山懐の村。奇妙な縁であった・・・。

通夜では紀美姉の死に顔垣間見たけれど(若々しすぎたわ)、葬式や火葬場では情けなくてもうみることができなかった・・・。
昔、叔父が火葬場で我が亡父の骨のかけらを喰うのをみたけれど、親しい人が亡くなった時のその所業、この日、理解できたように思う。

★帰阪

21日は帰阪してのち、店を遅々でもオープンする予定だったけれど、夕方となってしまった大阪への出立時刻から逆算すると、到着は夜中。

新潟への出立日、従兄弟達が朝9時に店に迎えにくるとのことで、午前3時に早々に閉店、「さぁ、寝よう」としたにもかかわらず、こうしたときに限って眠れぬもので、睡眠時間30分のみ。

そういえば日曜早朝、眠りについたころ店の電話が鳴り、母の声で「新潟・・・紀美・・・死んだんで・・・葬式に」と留守電に吹き込まれるのを夢見心地で耳にし、「うん?まさかなぁ、新潟ちゃうやろ、若すぎるもんなぁ」と浅はかにも再び眠りに落ち込み、夢の中では全く別の叔母が死んだことになっていた・・・。

後刻、我が女房リ・フジンからの電話で「新潟の」と明確に知った時も信じられぬ思いで、再びウトウトと眠りの世界へ逃避。
新潟行の車内では運転手の従兄弟に悪いと、睡眠時間たった30分だったのに、ウトウトどまり。
通夜の酒席では「大阪の人たちは笑いながら泣くんやねぇ〜」と地元の人に妙に感心されながらこれまたこの夜、ウトウトどまり。

で、寺から大阪へと出立の際、「温泉でさっぱりしょ!」と我ら三人、新潟のスーパー温泉へ。
従兄弟「新潟やから温泉いかんと!」
我輩「新潟の温泉ってええんか?」
従兄弟「・・・群馬やったかな?」
でも一風呂浴びてようやく人心地ついての午後5時半、いざ大阪へ。

運転役の従兄弟が「さすが眠たくなるやろなぁ」で、ドリンク剤の「眠眠打破」の名あげると、「薬局で売ってる錠剤の方が効くねんで。それも禁止されてるコーヒーと一緒に飲むと」と市内の薬局探しに。
これがなかなか見つからず、通り過ぎるコンビニ横目に「もう、眠眠打破でええやん・・・」と何度目かに思った頃、ようやく薬局発見。
で、すぐ先の高速に入れたのはよかったけれど後刻、従兄弟「にいちゃん、高速入り口まちごうたわ・・・ここ群馬県や」
ああ、もう店オープン無理やん・・・店到着午前4時すぎ。

★店で

「たぶんランチオープンも無理かも」と、この二日間口にしていなかったバーボン急に恋しくなり、それ飲みながら店で録画映画みまくって・・・「起きれたらランチしょ・・・」と、眠気限界の午前8時就寝。

・・・目覚める。
時計をみる。
「ん?まだ7時・・・ん?寝たのん確か8時やん?」
ガバッと起きての窓の外・・・真っ暗。
ランチどころかバーオープン5分前やった・・・。
これは睡眠というより、気絶してたのかも。

そんなこんなで今月、二日も休んでしまいました。
本日雨で、かつヒマ日の月曜日。休んでもイイだろう夜なんですが、やってます。ヒマです。
・・・合掌。

「新潟エレジー」完

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