285「楽しいお正月・・・?」

1.26mon/2015

★1日(木)
あけましておめでとうございます。

さてこちらは相も変わらずの年始年末。
それだけでもめでたいことなんでしょうが、旧年12月中に処理すべき事が未処理のままというのもねぇ。

―駑狎依。
飲食関係の未開封ダイレクトメール多数。
即開封せずとも(たぶん)良かった郵送物多数。
開封したくなかった役所関係の郵便物多数。
その他様々な書類の整理。
大掃除。
3猟蠖醜陲妨けての伝票類集計。
ぅ瓮縫紂疾依。
以上、12月中に週単位で、上記順に消化するはずの算段が例年のごとく年末まで、「手付かず」!

年末初めてご来店のお客さんで、墨丸仕事始めの4日にも再来店のR嬢いわく「掃除終わりました?私は大掃除も確定申告も日々手がけて、とっくに終了してますよ」云々で、我輩「お客さん、A型でしょ?」(当たり!)
我輩のこの未消化、ある意味では仕方のない事かもで、朝方就寝、起床昼過ぎ、仕入れと銭湯行で、はや夕方という日々なわけで(休日も月一やしね)

で、正月1日は、お客さまに新年らしくと「メニュー整理」作業を。
昨年1年間で廃番となった数々のボトル項目抹消や、フードの抹消・追加などで計14ページの新メニュー作り。
この作業で、本来祝うべき正月1日が終わってしまい・・・ま、店が休みということで昼食後仮眠、夕食後仮眠、深夜も仮眠と過眠症のごとく眠れた日でもあったことも書き加えておきませう。

★2日(金)
1年ぶりの我が家?帰宅。

親戚一同の集まりに顔を出すためだけど、この日はやくも今年の「トラウマ」第1弾(我が妻リ・フジン支配する我が家に帰宅すること自体トラウマやけど)
すき焼きメインのテーブルに「日本酒のアテがねぇなぁ」と思ってると(口にも出せぬこの状況よ)、日本酒に合う好物の「ナマコ」が出てきた。
「お、ナマコや、ナマコ!」と早速ひと口・・・「ゲホ!」と吐き出し、「こ、これって、おかしない?」と傍らの義弟に味見してもらうと、彼「・・・妙ですね」と、彼は無理やり飲み込んだ。

「おいおい、これ誰作ってん?黒酢かなんか入ってんの?」
と台所の女性陣に声かけると、リ・フジンちらっと顔出し「出汁付いてなかってん」
「で、ナニで出汁作った?」
「酢と天つゆ、イヤちゃうわ、ナニやったか・・・」と言いかけて引っ込んでしまった。
「ポン酢ないんかぁ?」の呼びかけに誰も答えず、リ・フジンとの今年最初で最後の会話は、いや会話にもなっとらんけど、こうして終わってしまったのでした・・・。
で、仕方なくテーブルの「数の子」つまむと・・・ナマコと同じ味付けだった(陰の声:殺そとしてんのとちゃう?)

こうして空きっ腹に日本酒流し込み、21時ころには酔っぱらって寝ちまい、10時間は眠り続けたか。夢にナマコが登場しなくって良かった。1年ぶりの布団が重かった・・・。

★3日(土)
午前中に帰店し、メニューをローソンでコピー、差し替え作業が15時過ぎに終了。

本来なら続いて「大掃除」し、完了ならこの日に店開けようかとも思った。
けれど、12月15日にオープンした旧友Yクンの西成・天下茶屋のバーのことが脳裏に。
昨年中に我が全スケジュール達成なら1日夜に伺う予定だったので、「ウム、今月はもう休みないからとりあえず本日表敬訪問し、そのあと掃除を・・・」と。
かつ今年から「墨丸会員バースディカード」送付を再企画。その制作材料購入にロフトにもと天王寺に出る。

我輩二十歳代頃の天王寺は、キタやミナミに比べ深夜は閑散としていた。
その頃、友人と阿倍野で呑み、深夜人通りのまばらな阿倍野筋を天王寺駅に向かって歩いてるとポツンと明かりの灯った看板が。
「お、まだ開いてる店あるで!」と意気揚々と近づいてみると「チチの屋」。それはノーパン喫茶であった。そんな街だった。

そんな街がいまや一変。
天王寺のみに交通網集中し、四方に人が拡散しないような街に大規模な商業ビル群おったてて?と素人ながら不思議に思っていたのだけれど、ハルカスはやはり予想来店客数に届かぬとか。これらビルが今や廃墟同然の「阿倍野ベルタ」の如くになるともう西成と変わらん街やん?天王寺はかつての下町繁華街の風情の方が良かった・・・。

目当ての商品、ロフトでは気にいるモノなく、じゃあ東急ハンズへと地下道通って向かった。
全然別のところに出てしまった。
頭のなかではあのビルのあそこにハンズがと分かってはいたけれど、二日酔いと朝から何も食べてぬことと、正月の人混みの疲労感でか方向音痴に陥り、結局ハンズに到達できず。
※で、バースディカード企画は3月からとした。

とにかくもう疲労困憊ゆえ、とりあえず「阿倍野ベルタ」地下行きつけのカレーショップで夕食をと(ハルカス地下の行きつけのカレーショップにも到達できず。この日はホント、調子が悪かった)
正月ゆえ休みかも、もしくはつぶれてはせぬかと一抹の不安抱きつつ訪れると(途中に飲食店数々あるのにわざわざ赴くのもおかしい。このあたりでもう我輩常軌を逸してたわけ)、店舗案内版にその店は残っていた。

地下に降りてみると各店舗ことごとく廃店かシャッター下りたこれはちょっとした異空間。こうなると自分のいる位置さえ分からず、歩きまわってようやくカレー看板見つけると、30分後の5時に夜の部オープン・・・。

こんな廃墟でオープン待つ場所もなく仕方なく地上に。
さて、駅に戻って天下茶屋行き電車にのるか?
いや、さんざん歩き回った阿倍野界隈などもう見たくもないと、天下茶屋方面、阿倍野筋沿いに南に歩けば食堂ぐらいはあるだろう、「歩こう」と決めたのがこれも常軌を逸した行動・・・。
途中、道路反対側に「麺」の看板見つけるもこの時点、蕎麦屋なのかラーメン屋なのか、視力までもが減退し判読できず、かつ道路渡る気力もない。
歩き続けて・・・もう飲食店など皆無の地域に入ってしまった。自販機コーヒー缶で飢えをしのぐ・・・。

阿倍野警察右折し、むかし通っていた丸山小学校過ぎ、同じく聖愛幼稚園、以前住んでいた松虫界隈、遊んだ聖天さん公園通り越し(この界隈訪問記は235にて)、ようやく天下茶屋に至る道に。

おお、この道は幼少の頃、高野山に住む祖父を(134「高野山たどりつき隊物語」参照)天下茶屋駅まで見送ったとき以来ではないか!
ゆえに駅までの道、記憶の奥底ではここから直線的に両側に民家立ち並んだ先が駅だったはず・・・なのに、その先行き止まり?
凄いなぁ、記憶って。不確かなのが凄い?

ようやく天下茶屋商店街に出てその先が駅だった。
当時木造だった駅舎は立派な二階建てコンクリート造りに。そのうえ地下鉄までもが通じていた。
この時点で18時。2時間半空腹で歩きっぱなしだった。

でも軒並み飲食店等正月休みで、たまたま開いていた駅前「Α廚法
我孫子でも利用している「Α廚世、なぜか店によって味が異なる。
ここは不味くて値段も高いジンギスカン丼だった。
空腹ならなんでも美味しいというのはウソだった・・・。

続いて駅前「珈琲館」でYクンの店オープンまで時間をつぶす。
これまた珈琲館からうろ覚えの彼の店までが想像以上に遠く感じられて、もう体力の限界。
で、お店ではバーボン一杯とビール小瓶半分だけ飲んで帰るはめに。ごめんね、Yクン。
Yクンのお店:sound & visual[mellow groove 81] / 090-9213-4458

ご想像つくでしょうけど、帰店後大掃除なんてできるはずもなくベッドに倒れ込んでしまった、楽し〜いお正月でした・・・。
注:天王寺からYクンの店までは直線距離でたった約2.5キロ。でも地図を見ると我輩は西に大回りしていました・・・。青春時代のYクンとの出会いは237にて。

「楽しいお正月・・・?」完

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