455「嫌悪感って?」(後編)

4.30.tue/2019

★後編なんて予定になかった・・・

夜勤でない夜は必ずといってよいほど墨丸で酔いつぶれていたOちゃんは、我輩より年下の独身。この墨丸亭綺譚にも何度か登場の男性でもある。
Oちゃん酔っての失敗談数々あれど、その話を本人から聞いたり見たりするたびに、「ああ、かつて酒に飲まれていた我輩とおんなじやん・・・」と、妙な親しみを感じていたものだ。
我輩と似ていたところは、泥酔のあまり翌日の仕事に支障をきたすこと。いや、きたしすぎることだ。
Oちゃんの場合、酔って寝過ごしては大枚払ってタクシーであわてて会社に駆けつけることたびたびという、マジメなんだかどうか一言ではいえぬようなところが我輩と似ていたわけで・・・。

そんな泥酔の悪習、後年抑え込めた我輩であったのだけれども、Oちゃんは中年に達したいまでもそうであって、苦い経験保持者ゆえの我輩の真摯な忠告などもちろんもう何度も。でも、墨丸最安値ゆえOちゃん愛飲の、ブラックニッカやサントリー角、ホワイトのロックでの泥酔時、こっそり烏龍茶にすり替えてみてもしばし分からず飲んでるほど、その呑み方、酔い方改まりもせず・・・。

そんなOちゃん泥酔しての深夜の帰宅時のことである。
よたつく自転車ペダル踏み込みながら、「あ〜!」「お〜!」と大声で叫びつつ店から遠ざかってゆくのが常だった。そんな帰途、交番の椅子に座らされていたとのお客の目撃情報談も。

で、本人に尋ねてみた。
「あの、あ〜!って叫び声、何なん?」
「え?覚えてへん・・・」
交番の件も聞いてみた。
「え?覚えてへん・・・」

★が、我輩は覚えていて・・・

墨丸完全閉鎖後の昨今、気づいたことがある。
我輩自身が、無意識に「あッ!」「おッ!」「えッ!」「ウッ!」などと口走っているのを。
ソレもシラフで。真っ昼間にも。一日数回も・・・時たまバスや電車の中ででも(この時はあわてて口を閉じる)。
今回の連載で、嫌悪してしまう人らのことを生意気にも記してはきたけれど、自分自身に嫌悪する面があることを、前回「後編」として終わろうとしたとき気づいてしまったのだ(で、前回分は急遽「中編」に変更)。

墨丸時代、夕刻からほぼ無制限で働き、疲れ果てて簡易ベッドに倒れ込み目覚めると開店準備という、休日なしに等しかったそんなサイクルの日々が延々とつづき、思えばボ〜するヒマもなく・・・けれども現在、ぼんやりテレビ画面など眺めていると、ふいに子供時代から今日まで生きてきた間の、おのれの恥さらしなさまざまな過去のコトが心にふと浮かんできてしまうのだ。人に嫌な目にあわされたこと以上に、おぞましいおのれの行いのことが。
それら思いが脳裏に浮かんだ瞬間、思い出したくもない!とばかりに「あッ!」と声に出し、頭を振ってそれら思いを封じ込めているのに、振り払っているのに気づいたのだ。無意識に。ホント、発作的に声にも出して・・・。

★かつての「今夜の名言!」より

「今夜の本!」今月紹介の、中国・北京を舞台にしたノンフィクション「真夜中の北京」で、その英国人著者による「中国の干支ではひつじ年の人は鬱病体質」というような一節があった。
そういえばある知人はひつじ年で、些細な過去のことを何時間も思い悩む神経衰弱っぽいところがあった。
いま思うと、我輩なども心にふと浮かんだおぞましい過去を振り払わずつらつら思い巡らしていたならば、これはもう知人のように心療内科通いとなるんじゃないかと。だから振り切ることで平常心保てているんじゃないかと。
・・・親愛なるOちゃんもそうなんだろうか。
で、思い浮かぶのは、以前「今夜の名言!」に記した浅田次郎の小説の次の一節。
「人間は、嫌なことを片っ端から忘れていかなければ、とうてい生きてはいけない。でもな、そうした人生の果ての幸福なんて、信じてはならないと俺は思う」

青春時代から心に残っている至道無難禅師のお言葉。
「身の科(とが)を 己(おの)が心に知られては 罪の報いをいかが逃れん」

が、最新の脳科学によると、イヤなことを忘れることで学習能力や記憶力が高まるという説も。
反して、我輩よりも何事にも反省も後悔もせず(振り払ってもいず)、過ごしている方への言葉は・・・
「人材は、どうやったら育つのでしょう」
「伸びる人、伸びない人には違いがある。伸びる人は素直。成功してうまくいった時は”運が良い”と考え、失敗した時は”自分のどこに問題があったのか”と考える謙虚さがある。しかし、逆であることが多い。プライドが高くて、うまくいかないと他人のせいにしてしまう。本当はもっと伸びるのに。そこを改めることができたらうれしいですね」
(どこから引用か不明)

ちなみに、我輩の座右の銘は「人のふり見て我がふり直せ」、なんですけど・・・「我がふり思い返して我がふり直せ」が只今の心境。もう遅いですけど・・・。

「嫌悪感って?」 完

後日の追記。
今回、完と記したあと、我が身のいやらしさが我が子らに遺伝していないことにホッとしていたのだけれど、ある日、気づいた。気づいてしまった。
我が子らには我が妻リ・フジンの遺伝子も受け継いでいることを・・・。
無情、である。

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