490「ひゃっきん話 其の三」

5.13.wed/2020

高校時代に読んだ短編に、植物の「意識」を解読する機械を発明した男の話があった。
たしか英国のロアルド・ダール作と思うのだけど、先ほどホコリまみれの彼の著作十冊ほどのページパラパラめくれどもその作品見当たらず・・・主人公が植物を刃物でカットしようとすると植物が悲鳴をあげるような反応をするという場面があっていまだに我輩、剪定などのときその記述思い出し、イヤな気持ちに少しなるわけで・・・で、今回はそんな植物のお話。

★観葉植物

さて我輩、和歌山の高野山で生まれた。
何十年か前にいまは亡き父とその生誕地を訪れた事がある。
そこは、高野山境内入り口の大門前通り過ぎ、途中に民家などもない山道を車で数分ほど走った山あいの原野だった。

「たしかこのあたり」という父の示すあたりも他も住居建物の痕跡皆無。
が、その脇の山肌に「四十林班」という墨で書かれた立て札の残骸発見。
当時、高野町四十林班と呼ばれた官舎群があったその地の表示板だった。
自宅に持ち帰ったその表示板、いまもどこかにあるはず・・・。

物心つくまえにその地離れたゆえ当時の記憶一切ないけれど、そんな山中生まれのせいか海より山のほうが我輩落ち着くような・・・そのせいだろうか、むやみやたらと緑の観葉植物を身の回りに置くようになったのは、一日の大半を店内で過ごしていた酒場墨丸時代からだった。
それら時代の植物群は、我輩が病で倒れての入院中、我輩の身代わりに枯れ果ててしまったけれど・・・。

などといっても植物についての知識は我輩皆無である。
好きとか趣味とかいうほどではないため、知っている名も数種類のみ。
育て方も、冬場は水やり控えめにというぐらい。
なのに現在、我が家の二階にそれらが密集繁茂。我輩が日常過ごす部屋周辺に。
が、このパソコンのある二階寝室には一鉢もない。整理整頓飾り付けなどせぬままだった酒場墨丸の事務室同様。我が妻リ・フジンは一階もどうにかせよというけれど、日頃目が届かぬ一階ゆえ、植物なども育てる自信も意欲もない・・・。

コレを記すにあたってそれら鉢を数えてみた。
テレビがあるため夜間最も滞留する部屋に36鉢。つづく隣室43鉢、トイレに4鉢、階段付近に17鉢・・・な、なんとその数、ちょうど計100鉢!花の鉢はひとつもない。緑一色だ。我が前世はバッタか。

これらは2015年夏の病で酒場墨丸独居生活から自宅に戻ってから買い求めたモノだ。
ホームセンターでの五百円以下の処分品(当地ではロイヤルホームセンターよりナフコのほうが処分品断然多い)と、水栽培で増やしたポトスのぞくすべてが、100円ショップ商品。
鉢や受け皿もプリンやアイスクリーム、ケーキの洒落たプラ容器なんてのを代用し、観葉植物などに金をかける意識なんてないはずなのに、一鉢百円としても雑草みたいなもんに1万円以上も費やしていることになる。枯らした分ふくめると・・・もう、魔の100円ショップといえるな。

最近は置く場所見当たらぬゆえ(一階の部屋のぞいて)、周辺の草むらからホームセンターで見かけたようなモノ掘り起こし、鉢に植え替え、日頃通る屋外玄関周囲に置き始めている・・・先日知ったことだけど、長生きする人間というのは日頃運動している人より土をいじる農夫だという。
土中の菌が健康に大いに関わっており、除菌除菌と騒ぎ立て、汚れるからと子供のどろんこ遊びを止めたり、飼い犬を家の中だけで育てたりすることもペットふくめた昨今のアレルギー問題の一因だとか。
ま、我輩などこの年になって土いじりしてもだけど・・・つぎ我輩倒れると、これら観葉植物100鉢は、また「殉死」だな・・・。

「ひゃっきん話」一応、完

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