550「春のひととき」(数日後・・・)

04.21.木/2022

★夢を見た。

夢のなかで”大いなるもの”に尋ねた。
「ボク、いつ死にますか?」
”大いなるもの”が答えた。
「30年5月6日」
苦痛が続くのは嫌なので、さらに問うた。
「死因は?」
「心筋梗塞」
あっという間に死ねるな・・・。

ホッとして目が覚めた。
そして気づいた。
「30年って、令和?西暦?」
令和なら、あと26年。読みたい本、読み尽くせるかも!
西暦なら、あと8年。たったの・・・。
病から回復し、はや7回目の夏を迎えるという時の流れ振り返りつつ・・・。

この話を知人にするとその方が言った。
「経験上、心筋梗塞って激痛やったでぇ」
その知人が誰だったのか、なぜか思い出せない。
ボケての26年ならば、地獄・・・。

★スーパーコノミヤ南花台店で。

夢を見た数日後のこと。
買い物終えてのサッカー台でレジ袋に食料品を詰め込んでいた。
4歳ぐらいの少女がサッカー台にやってきた。
そして両手を台の上に投げ出しながら「おかあちゃん」と言った。
その少女の横には若いお母さんが。
思わず微笑んでしまった。

「おかあちゃん、おかあさん、かあさん」
久しぶりに耳にした、素敵でやさしい日本の言葉。
ちなみに、立派じゃない父親のボクは「”お”はいらん。とうちゃんと呼べ」と、子どもらに言い聞かせてきた。

そして、入院中の母のことを思った。
その母との最も古い記憶は・・・たぶんサッカー台の少女ほどの、幼稚園に入る前の年齢。
どこか田舎の駅舎の外に立っている。
目の前に母がいる。
その母がかがみ込んでくる。
そして、ボクの口もとにお菓子かよだれの跡があったのか、ハンカチに少し唾を付けて、やさしく拭き取ってくれ・・・。
そんな光景をまざまざと思い出せるというのに、それからはや70年近くも過ぎ去っていた・・・。

というような話を、さらに数日後の3月8日19時50分、92才で亡くなった母の告別式の喪主挨拶ですることになってしまった。「死ぬ夢」はその予兆だったのだろうか・・・。

★そのサッカー台。

なぜサッカー台?
イギリス英語の「sacker。袋詰めする人」からだそうな。
一般の日本人には意味不明かものこんな言葉ふくめ、世界に冠たる美しき言葉と文字有する我が国で、素人目にも緊張感ありありの高島忠夫さんの司会だけが印象に残った、第1回日本アカデミー賞という最悪の猿マネネーミング、地下鉄をメトロ、売店をキオスク、いい歳した大人が互いに幼児語のパパ、ママと恥ずかしげもなく呼び合う昨今の風潮。むかし、米国の小学生が先生に「日本は何番目の州?」と尋ねたという話もさもありなん・・・。

「春のひととき」続く

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