186「傑作本!」

6.18.fri./2010

★「今夜の本!」

立て続けに傑作本に接することの幸せを感じる昨今。

前々回チラッと紹介した坂東真砂子の直木賞受賞作「山妣(やまはは)」につづき、今回は百田尚樹「永遠のゼロ」(講談社文庫)と、大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞三冠受賞の垣根涼介「ワイルド・ソウル」(新潮文庫)

「山妣」は、明治末期の雪に閉ざされた越後の山里を舞台にした伝奇小説(異常な事件や奇異なことを題材とした物語。本書はその枠を打ち破った作品とのこと)
雪深い狼吠山に住んでいると噂される山姥、地主の屋敷に逗留する両性具有の旅芸人、その屋敷の過去を心に秘めた嫁、小作農の娘の瞽女、鉱山町の遊女らそれぞれの業を後半収束させるさまは見事。方言を駆使した、壮絶かつ濃密な運命劇。

「永遠のゼロ」は、戦後60年の夏、歴史の陰に埋もれた一人の戦闘機ゼロ戦操縦士の悲劇が明らかにされるという、ラスト「感涙」の作品。
帚木逢生「逃亡」と同様、国家に翻弄される個人の悲劇が惜しみなく描かれていて、奇しくも「ワイルド・ソウル」もそう。
1960年代のブラジル移民(棄民)の悲劇をもとに、地獄の生活をかろうじて生き残った人々が現代の日本政府に対し復讐をはじめるという、ある意味痛快な物語。

「日本は戦後、素晴らしい復興を遂げました。でもそれは生きること、働くこと、そして家族を養うことの喜びにあふれた男たちがいたからこそやと思います。ほんで、この幸せは、宮部さんのような男たちが尊い血を流したからやと思います」
「軍隊や一部の官僚のことを知ると暗い気持ちになるけど、名もない人たちはいつも一生懸命に頑張ってる。この国はそんな人たちで支えられているんだと思う。あの戦争も、兵や下士官は本当によく戦ったと思う。戦争でよく戦うことがいいことなのかどうかは別にして、彼らは自分の任務を全うした」とは共に「永遠のゼロ」からの抜粋だが、この考えは「ワイルド・ソウル」の世界にも通ずるものあり。

ゼロ戦というと、当時世界最優秀の戦闘機とうことだけは知ってはいた。
が、本書ではそのことが克明に描かれ、例えば当時の単座戦闘機の航続距離が数百キロに対しゼロ戦は3千キロもあり、ドイツの名機メッサー・シュミットが英国本土を攻撃した際、わずか40キロのドーバー海峡の往復も困難だったという話なども目からウロコ。

さらに目からウロコだったのは、米軍と日本軍の思想が全く違うものだったということ。
米軍兵器は一言でいうと「防御兵器」
敵の攻撃からいかに味方を守るかという兵器で、日本軍には全くない発想だと。日本軍はいかに敵を攻撃するかばかりを考えて兵器を作り、その最たるものが戦闘機。
やたらと長大な航続距離、素晴らしい空戦性能、強大な20ミリ機銃。しかしながら防御機能は皆無。
「日本軍には最初から徹底した人名軽視の思想が貫かれ、これが後の特攻につながっていったに違いない」と文中で述べられているが、主人公の宮部小隊長もいう。
「八時間も飛べる飛行機は素晴らしいものだと思う。しかしそこにはそれを操る搭乗員のことが考えられていない。八時間もの間、搭乗員は一時も油断できない。我々は民間航空の操縦士ではない。いつ敵が襲いかかってくるかわからない戦場で八時間の飛行は体力の限界を超えている。自分たちは機械じゃない。生身の人間だ。八時間も飛べる飛行機を作った人は、この飛行機に人が乗ることを想定していたんだろうか」(戦闘機では通常1時間半の搭乗が限度とか)。

歴史小説や剣豪小説に接すると日本人が誇りに思える反面、非人間的な指導者が多すぎることにも驚かされる(年間3万人以上もの方が自殺する現状みてもその一端はいまも息づいている?)
国旗掲揚国歌斉唱の法案化、それらを無視する政党など、我輩はそれら極端な派よりいうなれば中道右派だけど、先の「永遠のゼロ」からの抜粋の戦前、戦中生まれの、気骨があり苦言を呈する方々が今の世からいなくなることに対し恐れさえ感じる昨今。

読後評価「山妣」「永遠のゼロ」共に、5/5。
「ワイルド・ソウル」は作者が60年代生まれという若さのせいもあるのか、上記作品に比べアマゾンでの生活描写に迫真性と濃密さに欠ける面ありかで、4/5。

付録:「蟲(むし)」(坂東真砂子。角川ホラー文庫)第1回日本ホラー小説大賞佳作なれど、人間の体に巣くう蟲を描くリアル感、説得力に欠け、1/5。

「傑作本!」完

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