189「缶コーヒー」

6.30.wed./2010

★どうして?

この季節になると「カチ〜ン!」とくるのがコーヒーの自動販売機。
「なんでホットがないねん?」

冬場はホットとアイスがあるのに、夏場になるとアイスコーヒーのみになるのを欧米人も不思議に思っていると聞いたこともある。
が、どうもアイスコーヒーは日本独特のものらしい。

★アイスコーヒー

そういえばアイスコーヒー、高校時代に行きつけの喫茶店「白樺」で飲んだのが50円だったか。白樺のマスターとママは大阪のキャバレーからこの地方の町に流れてきたとかで、その仲のよさはあこがれだった。が、後年マスターが駅前でスナックを開き、その後ふたりは別れてしまったとか。・・・これにまつわる話はまた別の機会に。

はたちの頃、東京池袋の深夜喫茶で「レイコを」と注文するとウエイター、「あ、大阪の方?ボクも大阪ですねん」で仲良くなり、ちょっとしたドラマがあったけれど、この話もまた別の機会に(この後、アイスコーヒーなんて喫茶店で飲んだ記憶がない?)

文豪永井荷風が昭和11年当時、銀座で夏に熱い茶とホットな珈琲をつくる店がほとんどなく、紅茶と珈琲のその味わいの大半はその香気にあるのであって、氷で冷やせばその香気、全く消えうせてしまうと嘆き、こう続けている。

「しかるに現代の東京人は冷却して香気のないものでなければこれを口にしない。わたくしの如き旧弊人にはこれが甚だ奇風に思われる。この奇風は大正の初めにはまだ一般には行きわたっていなかった。紅茶も珈琲も共に洋人の持ち来たったもので、洋人は今日といえどもその冷却せられたものを飲まない。これを以って見れば紅茶珈琲の本来の特性は暖きにあるや明らかである。今これを邦俗に従って冷却するのは本来の特性を破損するもので、それはあたかも小説演劇を邦語に訳す時、土地人物の名を邦化するものと相似ている。外国の文学は外国のものとしてこれを鑑賞したいと思うように、その飲食物の如きもまた邦人の手によって塩梅せられたものを好まないのである」
「墨東綺譚」より。あ、このことに関連した映画の話があるけれど、これもまた別の機会に・・・。

★缶コーヒー誕生

関連してなるほどと思ったのが、産経新聞の「アイデアの文化史」記事と嗜好品文化を研究する仏教大学教授の高田公理さんの弁。要約すると・・・

世界初の缶コーヒーは1969年誕生の、あのロング缶「UCC缶コーヒー」(疲れているとき、そのまったりした甘さがいい)。
翌年の万博会場で売れに売れたらしいけれど、我輩は当時飲んだか否か覚えていず。
上島珈琲創業者が、駅の売店で瓶入りミルクコーヒーを買い、飲もうとしたとき発車のベル。飲みかけの瓶をあわてて売店に戻した苦い経験から発想した商品だとか。

自動販売機は1973年登場。
喫茶店の衰退はこの自動販売機とクーラーの普及によるものと聞くが、思うに喫茶店全盛の頃、あの無為に時間を過ごしていたような空間にひとつの青春があったように思える。ああいうゆったりした時間が人間には必要なんだろうな。

手軽さと本物に近い味の両立を目指してきたその缶コーヒー、ここ10年ほどで顕著なトレンドは砂糖を入れないその『本格志向』の風潮に、高田さんはこう述べている。
「何をもって『本格』とするのかという問題がある。ヨーロッパでは今でもコーヒーに必ず砂糖を入れる。仮にそのヨーロッパのコーヒーを『本物』だとすると、脱砂糖化が進む日本の缶コーヒーは、どんどん『ニセモノ』化しているのかもしれない」と。

★比較文化

「本場」の長い歴史をショートカットした国で高度に発達した「本物」に肉薄する「ニセモノ」。高田さんは続ける。
「簡便なものを追求すると同時に高級感も求める。そういう矛盾したことを平気でやる人々が、われわれ日本人」

記者の文章はこう締めくくる。
「日本人は『本物の西洋』を知らない。欧米と同じことをやっているつもりでも、どこかずれている。西側先進国の一員だけど、「本場」とはどこか違う。缶コーヒーに象徴される独特のコーヒー文化は、日本という国の姿と二重写しになる」

ちなみに我輩は夏でもクリームなし、砂糖入りホットコーヒー。日本酒もぬるめの燗。亡き祖父は夏場でも燗酒。いわく「乞食は歯が白い。あれは冷たいものしか口にできぬからだ」と。
でも愛用の(じゃないけど)「骨ベッド」の布団は冬冷たく、夏じっとり・・・関係ないか。
で、なんで夏場の自動販売機、アイスコーヒーしかないのかは、とうとう分からず・・・。

★「今夜の本!」

文庫本3冊、読む。
一日でこんなに読んだの、初めて(ある意味、現実逃避なんだ。この数ヶ月、ずっとやけど)

文庫版20万部突破という、奥田英朗「家日和」(集英社文庫)
好みでない短編集ながら柴田錬三郎賞作ってんでも期待。
「家族の肖像をやさしくあったかい筆致で描いた」作品集らしく、それぞれ面白みあるものの「へぇ、なんで受賞作?この程度の作品って他にもあるやろ」の感どまり(ん?家族の暖かさを知ってれば別か?)
我輩、最近は濃密で重厚な長編好み。で、短編集は四コマ漫画程度の面白さあるものの、物足りなさ大。読んで損はないという意味では、評価4/5。

米沢穂信「ボトルネック」(新潮文庫)
墨丸会員541号てら吉くんが「さしあげます・・・」と店に置いていった作品。
その言葉のニュアンスから「面白くなかったんだ・・・」と解釈。
で、裏表紙のあらすじ読むと、「うん?ボク好みじゃん?」
彼とは食べ物も映画も本も女性の好みも違うゆえ、ひょっとしたら、と読み始めたパラドックスもの。現実世界に四苦八苦してるせいか、こんなテーマ、昔っから好み。
主人公の少年が、同級生の女子が転落死した冬の東尋坊を訪れる。そこで何かに誘い込まれるように自分も崖から転落。が、気づくと見慣れた金沢市内の公園のベンチ。不可解な思いで帰宅すると、そこには見知らぬ「姉」が。家の雰囲気も少々変わっていて・・・。
いいなぁ、こういうこと昔から夢想してるもの。

以前紹介した、藤野千夜「ルート225」(映画作品あり)も、幼い姉弟が両親のいない家、死んだ友達が生きている異世界に迷い込み、電柱の町名「間」という字の「日」が「@」になってたり、横丁曲がると大通りのはずが広大な海に、巨人の高橋選手写真入りテレホンカードでのみ公衆電話で両親と話せるんだけどそれも使い切ったりし・・・現実世界に帰れなくなる話だけど、こういうテーマに我輩としてはなぜか駄作はない。評価4/5。

今回の一押し!
花村萬月「皆月」(講談社文庫)
久方ぶりの花村さん作品。
好みの作者の連続読書打ち止めは駄作に出くわした時(冒頭から出くわしたら最悪ですな)。花村さんはどうして打ち止めしたのか、はるか昔でもう覚えていず。

本書は吉川英治文学新人賞作。
橋梁の強度設計の仕事にわき目も振らずのめりこんでの童貞のまま、主人公は33歳のとき24歳の女と見合い結婚。そして迎えた40歳。こつこつ貯めた1千万の金を持ってその女房が蒸発。すべてを失った中年男は義弟のやくざ、若きソープ嬢とのハードな世界に足を踏み入れ・・・。
「愚かで、無様で、後先を考えず、破滅に向かって落ち込んでいってしまう」登場人物たちはまさに今の我輩のようで、阿刀田高さんのあとがきにある「小説とはなんなのか。その答えの一つに、読み終えたとき、『ここに人生がある』。それを実感させてくれること」。まさにそんな作品。

惜しむらくは、読書中、二箇所に既視感あり。
「むかし読んだ?」と思いきや、同名の映画を見ていたのだった・・・。
ブ男でもてない中年主人公役が奥田瑛二(あのプレイボーイが、と完全ミスキャスト)、妻役が荻野目慶子(魅力なしでミスキャスト)、義弟のやくざが北村一輝で少しは救われたけれど、映画は駄作。その悪印象なければ評価5/5だったんだけど。評価4/5。

「缶コーヒー」完

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