202「片隅から」

10.5.fri./2010

★手洗い

ランチ始めたおかげで閉店後眠たくって眠たくって読書など論外。
ヒマなランチタイムはたまった新聞読むので精一杯。

そんな中で「おっ!」という小記事に新聞二、三日分に一度は出会ってます(大事件はTVニュースで事前に知ってしまうしね)。
で、最近印象に残ったのは産経新聞9月19日のコラム。

題して「徹底的な手の洗浄から」
これが健康紙面だったら目にも留めなかったんだろうけど「イタリア便り」って欄で取り上げられていて、「なんだろ?」と。

いまや当たり前の(医師の)「手の洗浄」、150年前にイグナーツ・フィリップ・ゼンメルワイス博士って人が「発見」したんですって。
医療関係者以外にはあまり知られていないこの方(自称京大医学部中退のボク、知らんかったわ)、1818年ハンガリー生まれ。
若くしてウィーンの総合病院の産科病棟に勤務する医師となったとき、死亡率の高いことで有名だった産褥熱(京大中退者注:産後の回復期に起こる発熱性の病気)患者の死因が、死体解剖終えたばかりの医師・研究者の手に付着した病菌が媒介したものである可能性に気づきました。

1847年、博士が同病棟に立ち入る医師全員にクロール石灰液(中退者注:知らんわ・・・)で手を洗浄することを実行させた結果、入院していた産婦4千人の産褥熱による死亡率が11%だったものが、驚くなかれ5%に減少し、さらに翌年には1%に低下。

「おっ!」と思ったのはそれにとどまらず、博士のこの世紀の大発見は医師仲間のねたみを買ったうえ、「それまでの医師の責任」問題に触れるため学会で受け入れられることなく、結局博士は精神的にも追い詰められての1865年、不遇のうちに死去・・・。

いまや常識的な手の洗浄。その陰には・・・って、なんかドラマチック。小説の題材にでもなりそうではありませんか。

★91歳の新進作家

小説の題材といえば、9月21日の産経抄で紹介されてた91歳の新進作家、久木綾子さんって方の名も初めて知りました。

この方、ご主人が亡くなる70歳まで専業主婦!
2年前のデビュー作「見越しの塔 周房五重塔縁起」(新宿書房)は、山口市の瑠璃光寺の五重塔を訪れた際「この塔を建てた人達を書いてみたい」と思い立つ。
で、全国の五重塔を巡ると共に膨大な資料に当たり、建築を学ぶために大工の棟梁に弟子入りまで。中世の時代を学ぶために東京から兵庫の歴史博物館に日参しての取材年数14年、執筆に4年をかけた大河作品とか(読みたいわ!)。

続く今年7月刊行の「禊の塔 羽黒山五重塔仄聞」は、塔を取り囲む溝から聞こえる水音に着眼。
地元でもその由来が知られていなかったこの排水溝がなければ地盤が崩壊していたと見抜き、その溝を掘った修験者を主人公にした作品ということで、いままで邪魔物扱いだった溝を清掃する活動が地元で始まったという記事でした。

★千草忠夫センセ

前出の「禊(みそぎ)」の文字で思い出したのが、エロ作家千草忠夫センセのこと。
たしかこの字を使った題名作品あったような・・・。
千草センセは、自称京大医学部中退ポルノ作家のボクがその陰の世界の大家と唯一信奉している方。単なるエロにとどまらないストーリーテラーなのです。結城彩雨って人もスゴイけれど、この人の作品はえげつなすぎます。この辺の「理性」がボクの本が売れん理由かも。

週刊ポスト9月10日号の連載記事「現場の磁力」でセンセのことが取り上げられてました。
センセは95年に64歳で没するまで長短400篇発表。120冊を出し、総計部数は600万部を超え、なかでも2段組925頁、全2巻の「千草忠夫選集」はエロ本史上類がないとか。長居の古書店懐徳堂でみかけ、買おう!と思ってお金用意したらもう買われていた。好きモンおるんやなぁ・・・。

覆面作家とは聞いてはいたけれど、記事を読んで詳細判明。
それによると、金沢市内の女子高で英語を教え、生活指導もする教師で、「育ちと教養が邪魔して、破廉恥になりきれんとこがあったなぁ。教師としては人格者やったですよ」とは、エロ作家の団鬼六氏。
記者は市内の女子高、郷土史家、地元の新聞社を訪ねますが、消息のかけらに触れることもなく、センセが没したあと夫人が土地を相続し著作権を継承していることが分かったぐらいで(家族にも内緒で執筆していたそうな。奥さん、ショックやろなぁ)、この小説家の気配は地元で徹底的に秘匿されているとのこと。風俗小説を書いていた梶山季之さんの子供なんかいじめられたって聞いたことあるもんなぁ(ボ、ボクは自称だけです。ね、念のため)。

★自殺

話は変わって「なるほどなぁ」と思ったのが、9月15日の曽野綾子さんの産経新聞でのエッセイ。

日本の自殺者が年間3万人を超えたことに対し、「自殺する人は誠実すぎる人が多い」(そやろなぁ、ボクも誠実やもん)と述べつつも、日本人は現在「命を脅かす外的な危険がないこと」を自殺の多さの理由のひとつにあげていました。

殺人がついてまわる推理小説などは、砲火の激しい前線の塹壕の中などでは、古来決して読まれないものだと言われてきたといい、「人間は平和の中でこそ、人を殺す話を娯楽として楽しめる」(そういや、借金苦で死ぬような小説なんて最近読めないもん)

曽野さんは幼い時、母の自殺(未遂)の道連れになりそうになり、30代に鬱病を発症。40代に失明の危機を迎えた時、トルコの調査旅行でドライブインもない450キロの移動の間、旅に出て以来初めて片時も離れなかった死のことでなく、いつご飯が食べれるかを考えている自分を発見。

「それが人間の素朴な本性というものだろう。自殺願望のある人は、1日か2日、断食をしてみると、死ぬことと同時に、生きる欲もあることが分かるかもしれない」(かもしれない、と断定しないところがイイ)と結んでいました。
題して「断食で生きる欲を確かめられる」

う〜ん、新聞片隅にはこんな記事があるのでたまった新聞、捨てられません。・・・断食でもするっか。

「片隅から」完

<戻る>