243「クロちゃん・・・」

4.6.frai./2012

★更新していずで

「最近ホームページ更新してませんね、なんかありました?」とか「ボクが『うちはウサギの子』の話は2話目より1話目のほうが面白かったって言うたから書く気なくなったん?」とか「書くことありますやん、『時計仕掛けのオレンジの悪夢』のその後の話とか」などとお客サン方に言われ続けての、久しぶりのこのページ。

4月に入り異常にヒマで時間有り余ってるのに、でも「なぁ〜んも記したいことあらへん」と思い続けていての今宵、パソコン前にしてみると不思議となにか浮かんでくるもので、題して、過ぎ去りし3月の「あるきっかけで」の出来事を・・・

3月11日(日)は、墨丸常連方のチャン氏、サノ氏、テラ吉くん、マツウラ氏、やすべぇ嬢、新人の愛美嬢ら計八名参加の、墨丸会員388号C姉宅で高級和牛しゃぶしゃぶ鍋パーティ。

★で、パーティ中座してのお話

鍋パーティ前の8日(木)、長居店時代からのお客様、山本さんご来店。
彼いわく「マスター!また店しましてん!」

十数年前、山本さんは西田辺で大型ビールバーをオープン。
それはそれは本格的なビールバーだったのですが・・・ほどなくクローズ。
その山本さんが再度店を持ったというのです。

月にゼロもしくは1日程度しか店を休めぬ我輩、この夜逃してはいつご挨拶に伺えるかと、しゃぶしゃぶパーティ中座し、皆に「2時間位で戻ってくるわ〜」と、その店「和風BeerBar 彩」(我孫子観音通り沿い。バーというより洒落た居酒屋)へと出向いたのでありました。

で、我輩そろそろパーティに戻ろうとした頃、一人の男性客と喋りはじめ(てしまい)・・・男性「中古車屋してますねん」
我輩「ボク、ゆくゆくは車売ろうって思ってますねん」
男性「え、ぜひ、ぜひ!」

我輩、仕入れで乗っているのがダイハツの軽四。5月が初の車検。
自宅の、我が妻リ・フジン通勤使用の、かつての我が愛車ホンダ・フィット特別仕様車はもう八年余りの走行で7万5千キロ。
ほどなく三万数千円もの自動車税払わねばならぬ時期(考えたらなんやねん、この税金。今後は税金安い軽しか買わん。いや、買えん・・・)。

我輩の軽四は、三年間の走行いまだ4千キロ余り。
いかに活用していぬかこれで分かるというもので、ならばである。
軽四をリ・フジンに譲り、フィット売り飛ばせばこの不況下、軽四賃貸駐車場料月一万五千円、月々の保険料六千円余りなど諸々の維持費浮くではないか!

車買い換えるたびに「お、新車でドライブ!」と楽しみにするものの、結局休みもなく仕入れ用のみとなる現実もかんがみて・・・。
で、中古車屋社長の奢りでウイスキー飲み続けての酔いに満ち溢れてしまった脳みそ支配下のもと売却決心し(してしまい)、その社長の名刺受け取ってしまったのでありました・・・。

その酔った時点では、軽く10万円以上で売れるだろう、かつ仕入れはこれからの季節、自転車活用ならば健康にも良し。余裕あれば中古の原付購入も良し。ドライブはレンタカー。自転車乗りたくない真冬迎える頃には宝くじ当たってて・・・などと都合よく考え、否、これまた単に酒に犯された脳みそにハタと思い浮かんでしまったというだけのことで、その後パーティ面々から幾たびか電話あるも、もう戻れぬ泥酔状態(すみませんでした)。気づくと店のベッドのなかであった。

後日、リ・フジンにその売却の旨伝えようとしたそのとき彼女よりメール、「フィット、エンジン不調にて修理代4万円近くかかった・・・」
な、なんと不運な!
売り飛ばすつもりの車にそんな大金使うなんて!

軽四とフィットの交換にきたリ・フジンに、「フィット、オイル交換しとったんか?」「オイルってナニ?」「オイルと空気圧チェックだけはゼッタイせえって言うてたやろ・・・」「・・・」(もうアカン。死にたい)。

そしての後日、中古車屋社員が査定に来訪。
な、なんと不運な!
査定の結果、フィット、事故してたらしいのだ。
バックバンパー内部の鉄枠に修理の痕跡少々。
「事故車だと3万ぐらいにしかなりませんよ」
「え〜、エンジン修理したばっかりやで」云々で、結局6万円・・・。
事故云々の件はリ・フジンにもう問いただす気力もなかった。

ちなみに他の中古車屋に査定してもらうと「人気の黒色ですし、車検も1年残ってますから10万以上・・・」「(ドキッ!)」「・・・の、本来ならその金額になりますが、事故してますから3万ですねぇ」(ガクッ)。

心揺れ動く。
売るべきか、手元に置くべきか。
ガソリンもまだ半分も残っているし・・・。

★で、金を使い果たしてしまったお話

3月19日(月)夕刻、聞き覚えのない声の女性から電話あり。
電話の主は、青春時代に一時期過ごした南紀田辺市での高校時代の同窓生、いまは田辺で陶芸作りをしているF女史だった。

いわく「先日ねぇ、見覚えのない女性が店にこられてね、その方、あなたと同じ演劇部だったって。で、お話してみると思い出したわ、Hさんよ!卒業以来会ってなくって本人って全然分からなかった。で、今度墨丸に呑みに行こうってことになったの!」

電話終わって、「う〜む、田辺かぁ。久しく行ってないなぁ・・・」
で、前述の「ガソリンもまだ半分・・・」に思い至り(ってしまい)、かつ「駐車場代も保険料も浮くし6万円入るし、愛車乗り収めで・・・」と翌20日、ネットで格安宿泊施設検索(してしまった)。

祝日明けの21日(水)、急遽店を休業にし、午前10時過ぎ一路田辺市に向かう。でも予算上、高速道路使わず国道経由で。

青春時代、バイクでは3時間かからず行き着いたのに、休憩なしでなんと6時間近くもかかってしまった。
途上、なつかしのドライブインレストランなどすべて廃業。高速開通の裏の現実である。ヒッチコックの名作映画「サイコ」の舞台になったモーテルもこんな道路沿いやったな・・・。

かつ、久しぶりの国道走行で思い出したのが中学時代、友人らとママチャリで田辺から大阪まで走破するつもりが和歌山市で挫折。
高校時代には別の友人らと和歌山市から大阪まで徒歩で行き通そうとし、泉南樽井付近で挫折。
これらすべて我輩の発案ながら、無謀かつ挫折の日々の青春であったな、と(いまもやん・・・)。

18時ホテルチェックイン予定ゆえ、時間に余裕あるので白浜まで足をのばしてみた。
ちらほらみかける人影はアベックばかりの夕暮れの三段壁。
孤独感で死にたくなってくるやんか。でも自殺防止看板あちこちに。
これぐらいの高さで海に飛び込んで死ねるもんやろうか?と海面覗き込むと水まだ冷たそうで人目もあるしと、思いとどまった(て、しまった)。

田辺市内の海辺のホテル「ハナヨ」到着19時。
朝食付き五千円也。
フロントにて・・・
「大浴場あります?」
「貸切露天風呂ならあります。無料です。30分間ですが」

うむ、貸切か。いいじゃん。
3階全フロアが大中小の貸切露天風呂。
我輩のはもちろん小。だが三畳余り分もある大型湯船。
30分という短さはたぶんカップルが不埒なことをなす余裕与えぬためであろうか。ざま〜みろ、であるが、単身としてもこれはちと短すぎた。

20時、フロントで聞く。
「この近辺でおすすめの飲み屋あります?」
ホテルから徒歩数分の居酒屋「かしま」への地図を描いてもらう。
そこを起点に飲み始め、タクシーで駅前繁華街にくりだすつもりだったのだが・・・車も通らぬ暗い夜道、こんなとこに飲食店あるんかいなと歩き続け・・・道に迷ってしまった。
元地元人間のはずだけれど、数十年たつと町並景観すべて変わってい、でもこの辺りから駅前まで20分以上も歩かねばならぬのは分かり、タクシーも通らぬ夜道、うんざりしながら歩き続け・・・

ようやくたどり着いた駅前商店街入り口付近、疲れ果てて最初に目に付いた居酒屋「膳」へ。
偶然にも筋向いはかつて泊まったライダーズハウス(20「南紀田辺行!」参照。なつかしのそのハウスはなぜか閉まっていた)、その当時にはなかったこの居酒屋、結構流行っていて店主も若すぎ、話せる相手もいずして早々に退出。
※地元には冒頭のF女史ふくめ飲み仲間の学友いるんだけれど、F女史達は墨丸に来られることだし、今回は久しぶりに一人酒敢行の予定。一人旅での「出会い」確立高しの統計、先日の新聞にもあったし。うふふ。

駅前の蕎麦屋で腹ごしらえ。
ここで初めてスーパードライのエクストラ・ビール(氷点下の!)を飲む。
スーパードライは炭酸が強いだけで好みではないのだが、これはウマイ!
墨丸にも置けないだろうか?

つづいて、地下のジャズバー「オスカーU」へ。
木製のドア越しに大音量のジャズがガンガン響いている。
入る。
白髪の老人マスターひとり。
お客は中年の、ともに肥えたカップルのみ。
とりあえず、フォアローゼズをロックで。

隣席の、すでに泥酔状態の太った男性がよだれ垂らしつつ話しかけてくる。こういう方とは「出会い」たくないんだけど・・・。
「この辺の人と違いますねぇ?」と男性。
「元々こっちで、明洋中学卒です」
「ボクは東洋中です」

そのカップル帰ったあと、マスターいわく「さっきの方、カウンターの椅子とテーブルの椅子交換してたでしょ、カウンターのん小さすぎて尻入らんの。先日あの二人、軽四で熊野までドライブしたんやって。ふたりも軽の座席によう座れたもんやわ。車も動くもんやねぇ。お客サン明洋ですか。わしも明洋卒や」

とにかくジャズの音量がすごい。
で、「会話しずらいから音量落として」といいかけたらマスター「わたしもこの年でね。いつ店辞めてもいいんです。で、気に入らん客なんかいっつも追い返すんですわ。音楽がうるさすぎるなんて言う客なんか特にね」(あ、いわんでよかった)

お話伺うと中学先輩のマスター、我が学生の頃「オスカー」というジャズ喫茶を経営していたとか。当時の市内喫茶店すべて網羅していたはずの我輩だが、もう覚えていなかった。
閉店の12時までターキー飲み続けての収穫は・・・

「この通りに〇〇屋さんありましたよね?」
「ああ、Sんとこやな、いまはホテルになっとる」
(Sさんは高校時代の上級生で、彼は男色系ではないかと思わされる出来事があったのだ)
「Sはちょっとコレっぽいなぁ」(とマスター、手の甲を頬にあて)。
(おっ、やはり真実?!)「で、そうなんですか?」
「いやぁ分からん。結婚して子供もおるからなぁ。応援団の後輩連れてここにもよう来るで」
「お、今度来やはったらボクが来てたっていうといてください」
(今度そのホテル「NANKAIRO」に泊まったろ?)

はたまた小腹空いたと、駅前のスナック乱立繁華街で(その割りに人通り全くなし)、安そうな鉄板焼き「まる」に。
飲み始めて大将いわく「どっから来たんない?(どこから来た?)」「なんで地元ちゃうって分かんの?」「なんか雰囲気でよぉ」
彼も明洋中学出身かつ後輩で、ここでも会話がはずむ。

久しぶりの田辺弁聞き、「それなんて意味やった?」と次々に教えてもらう。
言うちゃある=言っている
遊んじゃあら=遊んでる
生きちゃーったか=元気やったか
やにこい=すごい
つれもていこら=一緒に行こう
てきら=お前ら
はちはげた=すっからかん
きやって=ごめんなさい
かだら=体

また会おらよぉ=また会いましょう
ほいたらよぉ=さよなら
・・・とその店を後にしたのであった。

結論:「思慮深さ」というのが我輩には一切ない。
結局、車は売却。
それでもエンジン修理の件いまだ心残りで、売らねばよかったか否か、の堂々巡りの呪縛からいまだ脱せず。
関連して、いまの軽四の代わりに手放したリース契約のスポーツカー・コペン、あれなら手放さなかったかも、なんて今ごろ後悔しはじめた。
かつ、契約上、3月末の保険代、駐車場代払わねばならなかった。
かつ、軽四車検代要るのになにも考えず飲みすぎ、金使いすぎた。
かつ、大阪への途上、ガソリン空になりまた半分入れなおさねばならなかった。
お客のC女史に「クルマなかったら、ますます家に帰れんね」といわれ、その現実に初めて気づいた。
「出会い」もなかった。
というより旅行中、女性客自体見かけもしなかった(あの太り過ぎカップルののぞいて)
「オイル」も分からぬ女と結婚してしまってた・・・。

4.7.sat.

★クロちゃん・・・

冒頭記述の「なぁ〜んも書くことない」どころではなくなった。
本日4月7日土曜、就寝中にメール着信音。
こんな朝からならリ・フジンか、と無視。
いや、彼女からのあらゆる連絡は我輩にとって、もうトラウマそのもので・・・。

午後12時35分、携帯鳴り響き目覚め、手にとる。
墨丸会員541号テラ吉くんだ。
なんやろ?
急用以外はメール男なのにと携帯を手に。
すると、「クロちゃん、亡くなりました」
会員511号の、我輩の飲み友クロちゃんが早朝5時、火災で焼死したというのだ。

先の朝メールもテラ吉くんで、メールでいわく「朝方、火事がありました。まさかクロちゃんじゃないですよね、ははは。斜め向かいの白いマンション」と。
クロちゃん近所に住む彼も「まさかなぁ」と思っていたようで、後刻ネットで調べるとクロちゃん本名がでてい、我輩に連絡してくれたのだった。

現場マンションに行く。
いまだに消防隊員が忙しそうに入りしていたのでいったん引き返し、もう落ち着いたかと再度出かける。
ドアが開けっ放しだった。
消防に事情を聞こうと思っていたが、誰もいず。
奥のベランダから消防が入ったのかそのガラスが割られており、奥の部屋の床は一部抜け落ち、手前ダイニングの二間とも天井落ちるほどの全焼。
無傷だったのは玄関にあった黒の革靴だけだった・・・。

あの抜け落ちた床、たぶんそこが火元ではないか。寝タバコでだろうか。
禁煙外来に通い禁煙実行中と自慢していたクロちゃんなのに、また吸い始めてたんだろうか。

その火災の5時ごろは、我輩前述ページ記し終え、録画DVDで幕末の志士、中村半次郎らを描いた時代劇「狼よ落日を斬れ」を(先日みた映画「半次郎」も同じ人斬り半次郎描き、カライモ食べての屁をこく同様シーンにうんざりしつつ)、「面白くもない」と思いつつも妙に眠れず、ウトウトしつつ午前8時半頃寝入ったのだった。サイレンは聞こえたのだったか否か、覚えていず。

クロちゃんが最後に来店したのは、2月の8日水曜日の深夜2時20分。
その夜、最後のお客だった。
そのとき、鬱病で入院すすめられてはいるが、そうすると自営業ゆえ生活がたちゆかなくなるといい、それはお互い様の状況ながら(このときから我輩も病気になったらもう最後やと気にかかり始め)「しんどいときは墨丸においでや!死ぬなよぉ」と最後に声かけたことは覚えていた。
彼は携帯なくしたか見当たらぬのだと、自宅固定電話の番号書き置き、酔っていつものようにふらつきながら帰っていったのだった。

3月に入っても来店せず、どうしてるかと電話しようとしたのだけどその番号メモ何処においたか、ならばマンション訪ねてみようと、忘れぬようにメモ帳に「クロ」と記しつつも日が過ぎていった。

数日前、お客のN女史が「マスター、クロちゃんの携帯通じたわ。とにかく生きてるって」と聞き、それでも直接会ってみようと思っていた先日、買い物メモ帳にきちんと彼の固定電話番号記してあるのを発見。
それでも、直接行けば喜ぶだろうと考えていた矢先の出来事。これが、つい1日か2日前のことなのだ。

が、無駄なことだった。
今回彼のマンション訪ねても、ポストに名前など記していず、訪ねても部屋が分からなかったわけで、この1〜2日の間に電話だけでもかければよかったのだ。それで彼の運命が変わるわけでもないだろうが、この固定電話メモの突然の発見が妙に気にかかり・・・。

親しかったお客サンでいままでに、森安葬儀社の若社長、ポテトおじさんこと浜島さんが亡くなったけれど、彼らの死亡知ったのは何ヵ月も後。ゆえに今回は特にこたえた。

結論:「思慮深さ」というのが我輩には一切ない。バカである。死んでしまったクロはもっとバカである。

店には、彼が寄贈してくれたギターと羽海野チカの将棋コミック「3月のライオン」全巻、ビリーのブートキャンプDVDが残っている・・・。
無常である。合掌。

「クロちゃん・・・」完

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