334「新・恐るべき空白D」 確率の問題(上)

11.10.thu./2016

★25%の確率で

前回記載後に気づいた。
そこでの「イヤホンなし事件」「蛇口全開事件」に加えてもう1件あったのだ(「事件」とか、わざわざ「あった」なんて大げさだけれども墨丸閉店後、「発病」以外に「出来事」なんてなくって・・・)
で、去年の入院中の話だけれども、あの「小さき男」と入れ替わりに四人部屋に入ってこられた中年男性、この方は四六時中携帯でテレビを観ていて(※)・・・と記すからにはそう、これまたイヤホンなしで。

※店をやめての自宅のある山中暮らしゆえ、電車、バスをサラリーマン時代以来といっていいほど利用するようになった。
で「若者が」と思いこんでいたのは大いなる間違いと気づいた。
いまや老若男女のほぼ全員が車内でスマホに向き合ってる異様な光景を目撃するようになったのだ。浦島太郎的戸惑いと居心地の悪さ、気味悪さを抱く昨今、病室にもケータイという良からぬ小道具が侵入していた・・・。

その方ある意味賢いのは、看護師さんが入室してくるとすぐ電源を切ってたってこと。
「切る」ってことはこれは「迷惑行為」だと自覚、なんだろうけど、ならば同室者三名に対してはどういう自覚を?と思うわけで・・・。
被害妄想というなかれ、その部屋では新参者ゆえじっと我慢の我輩以外の古株患者「牢名主」「関東」さんらもその中年男性とはかかわらぬようにしていたようなのだから。

で今回気づいたのは、「四人部屋」という限られた世界かつ「短期間での二度の我が入院生活」において、常にこういう方がお一人いらっしゃったという事実。
なんと四人に1人、25%の割合でこういう方が・・・ということは極端にいえば理不尽な方が我が人生において常に(その割合もしくは以上)周囲にい続けていたのではないかということだ。

「社会に出たならば七人の敵がいる」なんて子供の頃に聞いた気がするけれど、七人どころか・・・である。
物心ついて以来、集団生活、団体行動に馴染めず避け続けていたことにある意味負い目を感じていた我輩だけれども、それは馴染めなかったのではなく生存本能的に「25%の存在」から身を守る術だったのかもしれぬと今回気づいたのだ。
そういう意味では人生の後半、組織というものから脱出(脱サラ)し、墨丸という類は類を呼ぶ的小集団に(※)身をおいてこられたのは幸運だったといえるのかもしれぬ・・・結局、借金抱えたまま病に倒れることになるんだけど。
アッ!「四人部屋」どころか、もっと身近にあの我が妻リ・フジンいてはったわ・・・。

※我輩は「類は友を呼ぶ」より「類を」が現実的と常々感じている。

「新・恐るべき空白」つづく

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