352「歩いて、歩いて」(出発篇)

3.07.thu./2017

★ふたたびのウグイス・・・

2月26日早朝、今年初めてのウグイスの鳴き声で目覚める。
時計を見ると6時半。
この日を境にその鳴き声で目覚めると、時刻はまたもや6時半。
「なんや、ニワトリみたいやん?」

で昨年、326で記した憎きウグイスの話が6月だったことを思うと、「へぇ〜、こんな寒い時期から鳴き始めるんや」と、寒さのせいでかなんとなく弱々しく聞こえる鳴き声の持ち主の生命力に感心させられた次第。
だからではないけれど(だからでしょ?)、翌27日は隣町の歯科医院に初めて訪れることになっており、「我輩も生命力発揮や、弱々しくも・・・」と、徒歩で出かけることに。

★歩いてみて・・・

隣町へは例えていうと、山の中腹にある自宅からいったん谷に降り、バス通り沿いに隣の山の上の町へとなる。何分ぐらいかかるもんだろ?と、時刻チェックして出発。

隣町に入ると小さな洋食屋が一軒ある。たぶん洋食屋だ?
というのも、店の駐車場奥の入り口にメニューらしき小さな看板あるものの道路からは遠すぎてナニが書かれているか見えやしないのだ。こういう点、元同業者としてそんなことが気になって仕方がない。
亡き父が当地に家を建てて以来だからもう何十年も前からバス車窓通してその店を見ているというのに利用したことがない。何十年も前からその店があったとしての話だけど・・・。
わざわざバスを降りてということもあるのだが、昔から飲食店の本能的な選別能力があると自負する我輩にとって(酒出す店に限ってやけど)、入ってみたい、みたくない意識ではなぜかその店には入る気がしない。
入ってみて実際はどうなのか一度確かめてみるべきだな。我が卓越した能力が健在か否かが分かるというものだ。

その店過ぎると、ある大事件に関わったとされる方の住居もある。
荒れ果てている。雨戸も閉められたまま。ときおり軽自動車が庭先に止められている・・・。

墨丸の店で寝起きしていた頃の夜、家々の窓の灯り目にするたびに「あ〜、幸せそう〜」とその灯りの下の団欒想像して羨ましく思っていたものだけれど、いまこうして昼間に町中歩いてみると、荒れ果てた庭先、破れた障子窓などなどの家も目につく(あ、うちの庭もこの間まで草ぼうぼうやったわ!)
そこから連想して(あくまでも単なる連想)、先月読んだノンフィクション「『子供を殺してください』という親たち」の、育児や教育の失敗からの子供の、といっても30〜40代にもなった息子らの引きこもり(メシ喰わさんだらええだけやのに)、暴力等による家庭崩壊の問題思い出し、酔眼で人家の窓の灯みて云々はまさに酔眼ゆえだったかもしれぬと・・・。

「歩いて、歩いて」(再出発篇)につづく

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