372「実録 / さっぽろの夜」(@面接)

8.16.wed./2017

★「ヤクザが店にやってきた」

4月の「今夜の本!」で紹介のノンフィクション「ヤクザが店にやってきた」は、いわゆるガラの悪い街といわれてきた東京・川崎市で、40数年間にわたり「暴力団入店禁止」を飲食店の店頭に掲げ、それを頑なに実践してきた経営者宮本照夫さんの手記。

彼の幾多の著書は商売に群がる暴力団の実態とその対処について事細かに記されているゆえ、警察学校でも活用されているとか。
で、我輩「うむ、23年間の墨丸時代では・・・?」
でも真っ先に思い浮かんだのは、バイト時代の水商売のことだった・・・。

青春時代、さまざまなアルバイトをしてきた。
新聞配達に始まり、デパート屋上の遊具モノレール運転手、電柱地主の契約更新回り、印刷会社の営業アシスタント、バナナの店頭販売、豆菓子の製造、大衆食堂の皿洗い、お好み焼き屋やメガネ屋の店員、喫茶店やレストランの調理やウエイター、出前持ちなどなど・・・。
そのころ仲間内でこんなことを言っていた。
「もう未知の世界の探検なんてあれへんねんから、いまが探検みたいなもん。違う土地、違う仕事、違う人ら・・・仕事かわるたんびにいろんな世界垣間見れるんやから」

そ〜して大阪阿倍野筋の、ビルの一階がマンモスバー「プレイボーイ」(「プレイガール」だったか?)、その二階系列店のグランドキャバレー「ロイヤルガーデン」のボーイあたりから夜の賃金の良さを知り(夜型人間ゆえもあり)、キャバレー近くにオープンしたスナック「タムタム」に引き抜かれたのをきっかけに、松原にオープンしたスナック「シェーン」、京都花見小路のスナック「291アーリーナイト」経て、正規の就職めざし昼間のバイト生活に戻ったのを最後にサラリーマン生活に突入・・・。

いま思えば学習障害かと思えるほど数学の勉学一切放棄の我輩、大学生活よりバイト生活で実体験をとの日々だったけれど、そのフーテン的生活終盤には履歴書職歴欄埋めるため、専門学校や阿倍野の某小劇団に潜り込み、そこに4年間在籍とした。実際は数ヶ月だったけど・・・。
これら日々の生活それぞれにもちろん「物語」があるんだけれども、今回は「ヤクザが店にやってきた」で思い出した店の話・・・。

★「さっぽろ」にて

さっぽろ、といっても北海道ではない。
堺東の市民会館裏手のレジャービル二階にあった、クラブ「さっぽろ」のことだ。

ちなみに我輩、北海道は好きではない。
反しての沖縄ファン(ゆえにこのページでのペンネームも我が名とガジュマルの木をあわせた「ガジュ丸」だ)、いままで何度か彼の地についての旅行談記してきたけれども、北海道話はこのページでは無記入。それというのも思い出したくもない旅の記憶があるからで。だからこの墨丸亭綺譚にも一切そのたぐいのイヤな思い出話は記してはしていない。多すぎるほどあるんだけど・・・。
北海道の話は、ま、ヤクザみたいな男とふたり、費用は全額彼持ち我輩運転手バイトで、北の大地を何日かかけて横断した豪華観光旅行の話なんであるが・・・あ、また思い出してしまった。だからこの話は打ち止め。店ではバカ話として常連さんに話してはいたけれど・・・。

クラブ「さっぽろ」で働いたのは二十歳頃のことだ。
その店のことを何処で知ったかはもう記憶にないけれど、開店前の時間に面接を受けた。
面談相手は、その店のマネージャー松山さん。愛媛出身の方だった。
作詞家の平尾昌晃を男前にしたようなハンサムな方で、確か30歳前後の方だったように思う。
それまでが主に小さな店のママさん面談だったゆえ、こうした本格的なクラブのバーテンのそれは結構緊張したものだ。
その面接で覚えているのは、「従業員同士の恋愛禁止」と言われたことだ。
これが後の事件に繋がるんだからいまも覚えている。この事件のことは後に述べるけれど、我輩絡む話ではない、念のため。

翌日、採用の電話があった。
こうなると我輩、仕事が決まった安堵感と、しばらくはゆったりできぬとの思いから「歯医者に通い始めたので」と虚偽の返答し、勤め始める日を数日後にしてもらった。
そうして初仕事の日がやってきた・・・。

「実録・さっぽろの夜」つづく

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