376「実録 / さっぽろの夜」(A出勤)

9.18.mon./2017

★出勤

面接の数日後、初出勤。
驚いたことに、面接担当だった松山マネージャー、ヒゲを生やしていた。

我輩は敬愛する高野山の祖父に習い、二十歳前から髭を蓄え始めた。
「若いのにヒゲ・・・」と、同世代の見知らぬ男たちにささやかれるのを耳にしたほど当時は若者のヒゲは珍しかったし、人から見ればおかしかったのかもしれない。
その松山さん、前回は作詞家の平尾昌晃に似ていると記したけれど、ヒゲを生やすと俳優の藤竜也ソックリに(その頃、藤竜也がデビューしていたか否かは憶えていないが)
我輩が出勤延期したため「もう来ないのだろう」と、面接時の我輩真似て自分もヒゲをと思い立ったとか。でも、若輩の我輩より年上の松山さんのヒゲのほうが立派で似合っており、お客から「兄弟か?」といわれたものだ。そんなこともあってか、その後松山さんは我輩を特に目にかけてくれるようになった。

★ミス面接

「面接」に関してはミスった思い出もある。

前回触れたキャバレー「ロイヤルガーデン」から近くのスナック「タムタム」に移ったときのこと。これがバーテンとなったきっかけだ。
「ロイヤル」の中年ホステスから「今度スナックを開店するので手伝って」と声かけられ、「この優しそうな人のもとでなら」とロイヤル辞め・・・「タムタム」初出勤日に、ガックリ。
店の経営はホステスの妹だった・・・それがいわゆる三白眼の、意地の悪そうな、我輩の最もイヤなタイプで・・・。

でも店は当時としては洒落た作りだった。
一階が4席ほどのカウンターと小さな丸テーブルひとつほどだったか。螺旋階段で上がる二階がボックス席2〜3卓。
あとから採用の少し年上の大柄の女性は素人ホステスで、一度誘惑されかけたことがあったけれど誘いにのらなくってよかった。というのも彼女、数ヶ月後に山中で自殺してしまうような人だったのだから。悩みごとがあるようには当時若輩の我輩まったく気づかなかった・・・。

そんな三白眼ママの店だからかヒマだった。
立地も問題。
阿倍野筋から路地入った奥に店があるのだけれど、その路地突き当りがラブホテルの入り口。
店とホテルが隣接してるようなもので、その路地に入っていくこと自体が人目はばかるような「純」な時代だったもの。
覚えている客といえば、ママの愛人の某デパートメガネ売り場の主任という、夜でも薄い色のサングラスをかけている男くらいか。
で、ヒマだからと数ヶ月で我輩クビに。それはもう嬉しいくらいだったけれどその際、割ったという皿や夜食の分まで給料から事細かく差し引かれ、これには頭にきた。
ゆえに我輩、ランチタイムに呼んでいた仲間の写真や服飾の専門学生らに(彼らのことも三白眼ママは「金使わん客ばっかり」とグチっていて)、「ボクもう辞めるからあんな店行くな」と通達。
そして数週間後に、店は潰れた。
いまは店も改造され別の店舗に。隣は「まいど」という名の知れた焼き鳥屋になっている。
その服飾専門学生の一人に紹介されたのが、次の仕事先のスナック「シェーン」。そこでのバカ話もあるのだけれど、話がますます長くなるので「さっぽろ」の話に戻ろう・・・。

★さっぽろ

堺東の市民会館裏に当時キャバレー「王将」があった。
道路隔てた向かいのスナックビル二階全フロアが、クラブ「さっぽろ」
一階エレベーターホール脇のカウンターだけの空き店舗に数ヶ月後、社長(本業は鉄工所経営の在日半島人。愛人が「さっぽろ」ママ)が、王将客目当てに寿司屋を開店。詳しい事情は知らぬが(競合店対策か)王将から寿司屋への出入りが禁止されたようで、オープン日から閑古鳥が鳴いていた。
後年の我輩サラリーマン時代、たまたま入った千日前の元禄寿司で他の職人に混じってかつてのその寿司屋の大将が働いているのにばったり会ったことがある。どこかから引き抜かれ店を任されたほどの人が元禄かと、わびしい気持ちになったのをいまでも覚えている。

店の他の男性従業員は、バーテンのオダさん、歌手の御堂明さん(「大阪夜の宗右衛門町」でレコードデビュー)、カラオケのない時代ゆえ御堂さんのバックでギター伴奏する清水さんがいて、清水さんが時たま歌うアントニオ古賀の「その名はフジヤマ」は聞き惚れるほどだった。
女性群は、キャバレーユニバース(141「キャバレー」参照)出身で、ロシア人との混血らしいが、ただただ化粧が濃厚すぎ美人かどうかも分からぬほどの、背の高い中年ママ筆頭に十人はいたか。
ちいママもユニバース出身。ある夜泥酔した時、和服の裾めくりあげ太ももの入れ墨我輩に見せつけながら、「何があってもママについていかなアカンでぇ!」と啖呵を切られたことを覚えている。そういえば松山さんもユニバース出身だった。で、我輩が皆のなかで一番年下の二十歳ほどの時代・・・。

ノンフィクション本「ヤクザが店にやってきた」からの話がこのページの発端だったけれど、かつての思い出どんどん蘇ってしまった。次回は歌手「御堂明」さんのことを記そうか・・・。

「実録 / さっぽろの夜」つづく

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