377「実録 / さっぽろの夜」(B歌手 御堂明さん)

9.30.sat./2017

★25年目の偶然

この第三回は、前回予告の「さっぽろ」専属歌手・御堂明さんのお話。

さて、長居の墨丸二号店時代だから1997年頃のことだ。
167で朋輩「浜島さん」のことを記したけれど、当時浜島さんは堺・浅香山の居酒屋「ポテトおじさん」閉め、堺東・翁橋に移転。串カツの「串勝屋」を深夜営業していた。
墨丸から遠くなったのでなかなか行けずのたまたまの深夜、その「串勝屋」で我輩呑んでいたときのこと。

「串勝屋」場所が堺東ゆえ同じ地区にあった「さっぽろ」の話を浜島さんとしていた。
するとカウンターの見知らぬ客が、「ああ、さっぽろってあったなぁ」と懐かしそうに。
「え、ご存知なんですか?」
「ああ、御堂明って歌手おったやろ?」
「ええ!はい!」
「彼、狭山で『御堂』って居酒屋やっとるで」
この時点で「さっぽろ」辞めて25年は経過していたか・・・。

★居酒屋「御堂」

浜島さんの店で「御堂」知り、仕事を終えての深夜、教えられた狭山市にクルマで行ってみた。
府道沿いに「御堂」の立て看板が。
で、元歌手の御堂さんと再会したわけだ、25年ぶりに。お姿なぜか昔のまま変わらずの御堂さんがいらした。さすがスーツ姿ではなかったけれど。

この時のことは今から20数年も前のことなのであまり覚えていない。酔ってもいたし・・・。
記憶にあるのは「麦焼酎ロック」注文すると「ちょっとまっててや」と、近所に自転車で買いに走られたこと。で、それを一口呑んで「コレ、水割りですか?」「いや、ロックやで」
そのいいちこパッケージには「アルコール20度」と。生まれて初めて度数20度の焼酎を口にしたわけで、通常より5度低いだけでまるで水みたいだった・・・。そして、御堂さんは「さっぽろ」辞めて狭山のラウンジを知人に任されていたこと。さっぽろ同僚とは交流がないこと。昼間は「ボイストレーナー」をされていること。それと「スミちゃん、あの頃可愛かったなぁ!」と言われたこと(我輩、「さっぽろ」では最年少でも二十歳ほどだったんだけど)ぐらいか、覚えているのは。その直後に飲酒運転罰則厳しくなり、再度訪れることが出来ぬまま年月流れに流れて幾星霜・・・。

★数年前の偶然

墨丸我孫子店のお客で呑み友フユキさんの店、南海高野線北野田駅近くの焼き鳥屋「八起」で我輩呑んでいた。
で、近隣の飲み屋の話題から、「御堂」のある狭山と北野田が隣接のはずゆえ「むかし知り合いの人が店やってて・・・」というと、フユキさん「ボク行ったことないけどその店まだありますよ。ウチのお客さんが行ってるみたい」と。・・・世間は、狭い。かつ、これまた偶然だ。
帰りに北野田から狭山までの道順おしえてもらいクルマで行ってみた。
が、店あるはずの道路を行きつ戻りつすれどなぜか「御堂」見当たらず。この日「御堂」電話番号登録のケータイも持っていずして・・・閉店したのだろうかと。

★そしての昨年

去年4月のことだ。
墨丸のお客さんらが、飲み会で我輩を大阪まで毎回呼び出すのも不公平だと、中間地点の北野田で飲もうとなった。
で前述「八起」へ。が、その日「八起」満席で入れず。
それで思いついたのが「御堂」だった。
電話してみた。営業していた。以前に店が見つからなかったのは当時御堂さん、事故で入院し店を閉めていたからだった。この時点で「さっぽろ」辞めて45年ほどが経過していた。

北野田駅から歩いて10分ほどで「御堂」に着くことができた。
「なんや、駅から歩いて行けるやん」と、前回からほぼ20年ぶりに「御堂」を訪れることができたわけだけど、こんな近場ならいつでも来れたのに、・・・。
そのときは我輩ふくめ4人で。が、皆には不評。あまりにも店が○○すぎて・・・。

そういう点では、40年位前に堺・浅香山に住んでいた頃、駅前の小さな市場に「おとら」という、婆さんひとりでの飲み屋があった。我輩は「おとら婆さんの店」と呼んでいた(今はその場所にマンションが建ち昔の面影なし)
「おとら」には銭湯帰りによく立ち寄ったものだ。けれどわが妻リ・フジンがタヌコと呼ばれていた純情時代の彼女もその店のあまりの○○に、彼女のみ二度と行かなかった店だ。当時は新世界はじめ、そんな店は珍しくもなんともなかったと思うのだけど・・・。
冒頭の「浜島さん」と出会った「タイガース」も深夜飲みに入った時、年とった大将ひとり椅子に座って足の裏をもんでいた。で、そのまま手を洗わずに我輩注文の料理を・・・串に刺した焼き鳥だったからまぁ助かったけど?

★そして、2017年

今年の8月19日の話。
去年4月の呑み会メンバーの一人、墨丸会員57号貧血姫が、「あれから八起に友達と行ったけれどいっつも満席で入れない」とのことで、ならばと我輩フユキさんに電話予約して一緒に行こうと・・・「八起」は予約なしでは入れぬほどの繁盛店になっていた。
この日もテーブル、カウンターすべて予約席。新規のお客来店しては「スミマセン、予約でないと」と店側は常に謝罪してる状況。
結構呑んでそろそろお開きと思ったところ、貧血姫「御堂にいきましょう!」
「えっ!」である。
4月のあの夜、彼女ともうひとりが率先して「もう出ようや」とこっそり我輩にささやいたというのに・・・?

★御堂明さん

で、「御堂」。店内、誰もいない。
過去の二回はお客がいなかったけれど、今回は御堂さんもいない?
看板も店内も電気は煌々とついているのに?
携帯に登録している番号に電話してみる。
と、目の前の電話機鳴り響いてビックリ。固定電話の番号だった。
「やめとき」「ええやろ」と貧血姫と話しながら勝手に冷蔵庫からビール取り出し栓抜き探してると、帰ってきやはった。
「不用心ですやん!」「ええねん、ええねん。いつもやねん」と、近所に仕入れに行っていたという御堂さん。場所柄、常連さんオンリーの店なんだろうな。

我輩「さっぽろ」辞めてもう半世紀近く・・・なのにまたまた御堂さんはなぜか昔の面影のまま。
「当時御堂さんはおいくつでしたん?」
「25や。マネージャーと同い年やった」
前々回、松山マネージャーは30歳前後かと記したけれど、25歳だったんだ・・・当時の方々はずっと大人だったのか、そう見えただけだったのか?

この夜は貧血姫の要望で元歌手の御堂さん、カラオケ何曲か歌わされるも貧血姫「上手やわ、さすがやわ」とこれは本気でおっしゃっていた。御堂さんのデビュー曲「大阪夜の宗右衛門町」は古すぎてかカラオケには入っていなかった・・・。
で、彼女注文のだし巻きには本人箸もつけず(前回のトラウマだろう)、注文のビールはマイグラスで。ま、彼女はどこでもマイグラスなんだけど・・・。
しこたま呑んで歌って二人で三千円ほど。安い。歌うとボイストレーナーゆえの御堂さん評価もありで。
この夜は後ほど中年男性お二人それぞれ来店し会話を交わし、「御堂」を知って初めて他のお客と出会えたわけで、ようやくここでも飲み友できそうな感。

この「実録 / さっぽろの夜」のため、一度ゆっくり御堂さんとお話し、記憶を新たにしてみようかな・・・。

「実録 / さっぽろの夜」つづく

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