394「実録 / さっぽろの夜」(Cヤクザ屋さん)

2.18.sun/2018

昨夏からのこの連載、「面接」「出勤」「歌手 御堂明さん」と題しながら思いつくままに記してきた。
で、次はナニから書き出せば?と思案してはみたものの、半世紀近くも前の経験談ゆえすでに記憶も不確か。
そうだ、記憶補うため居酒屋「御堂」にひとりおもむき、当時の先輩である御堂さんにあれこれ伺ってみようか、カッコよくいえば「取材」や・・・けれども380「露出した臓器の話」の手術のせいで、それが延びのびになっていた・・・。

そしての1月下旬、知人と北野田で飲む機会があり、その足でようやく「御堂」を再訪することができた・・・けれど御堂さん、我輩よりも「さっぽろ」のことはすでに忘却の彼方。というより、御歳七十越えられるまで夜の現場を渡り歩いて来られたこと思うと、我輩にくらべ「さっぽろ」でのできごとなど記憶に留めるほどのものではなかったのかも知れない・・・。
新たに判ったことといえば、我輩が「さっぽろ」で仕事を始めしばらくした頃、系列店の「源氏」という大型クラブが近所にオープンした話だった。そうそう、御堂さんはそこと掛け持ちで歌ってたんだ・・・我輩「源氏」のことはすっかり忘れていた。こうして忘却のこと多々あろうけれども、再び思いつくままこの連載をとりあえず再開してみることに・・・。

★ヤクザの影

「クラブさっぽろ」。堺東とはいえさすがクラブである。
客層は会社幹部のような方ばかり。ゆえに従業員のなかでだけでなく、お客さんふくめて店内では我輩が常に最年少の存在・・・そんなハタチほどの若輩者の経験談と思ってお読みいただきたい。
「会社幹部の」と記したけれど、この連載のきっかけとなった宮本照夫著「ヤクザが店にやってきた」のその「ヤクザ」の影を知ることとなるのは、勤めはじめてしばらくしてのこと・・・。

ある夜、二人連れの、会社員風ではまるでない雰囲気の男たちがカウンターに座った。
まだホステスさんや歌手の御堂さんたちが出勤していない開店早々のことだ。初めてのお客ゆえマネージャーの松山さんが接客した。我輩と先輩バーテンのオダさんは忙しくなる時間帯に向け支度中だった。
しばらくして、カウンター席からお客の嫌味な声が聞こえてきた。ふと見ると、松山さんに何か文句をつけている。そしてひとりが手にしていたグラスのウイスキーを松山さんに浴びせかけたのだ。で、思わず駆け寄ろうとした時、片手で我輩制しながら松山さん、落ち着いた口調で応対を続けた。ママはというと、どこかに電話をかけていた。

それからすぐに男たちは帰ったのだが、入れ違いに4、5人の背広姿の男たちが店に入ってきた。
で、一人の男が「どこや?」とママに。そしてまわりの男達に「探せ」と。
我輩「あ〜、バックにおるんや」と、その時初めて水商売に関わるヤクザという存在を、ヤクザの出入りを排除し続けた前述の宮本照夫さんの店とは真逆の、「さっぽろ」のバックにはあの広域暴力団下部組織S組がいると知ったのだった・・・。

北野田の御堂さんによると、その幹部のひとりが「さっぽろ」開店当初、店を仕切っていたという。
のちにその幹部(我輩には優しい2〜3人の幹部のひとり)、組長の愛人と関係を持ったとのことで、「さっぽろ」にも「破門状」が回されてきた。そのとき破門状というものを初めて見た。ハガキサイズ二枚分の厚手の上質紙に、「この者S組とは今後一切関係なしゆえ云々」という文面だったように思う。

ある夜、こんなことも。
松山さんに、「スミちゃん、黒服持ってるか」と聞かれた。
若輩の我輩そんなのあるはずもなく「どうしてですか」と尋ねると、「S組の幹部が出所するらしい。出迎えの頭数そろえるのに動員要請されて」と。翌日松山さん、店から一人で堺の刑務所までおもむくこととなった。

★ヤクザの影が影ではなくなって

しかし彼らヤクザ屋さん、店には日頃は出入りしていなかった。
が、カウンターで我輩たまたま来店のS組幹部の方に接客していて、ヤクザに酒を勧められた際の作法について実地研修(?)受けていた時、組の人間が店に入ってきた。で、幹部に近寄り耳元でささやいた。「沈めてきました」と。間近にいた我輩、それを耳にしてしまった。幹部は表情変えることなく黙ってうなづいた・・・。
だから前述のチンピラふたり、破門になった幹部の方、その後どうなったんやろと少し気になった覚えがある。チンピラはボコボコにされてええんやけど・・・。

でもこうした夜の世界で我輩自身は平穏無事な日々を過ごしていた。
が、そうは問屋がおろさないのが現実というものだった・・・。

たまたま松山さんも先輩のオダさんも休みの夜、閉店時刻ゆえゴミ袋を持って二階の店から一階に捨てに下りたその時、深夜の路上にヘッドライトの光がギラリ。二台のクルマがビルの入口前に急停車。中から数人の背広姿の男たちが降り立った。で、店のビルの階段を上がり始め・・・我輩「わ、いまからお客やなんてバーテンさんかわいそ」と、ネオン消した「さっぽろ」ではなく、二階から上の店に行くんだとばかり思って彼らの後についていくと、「さっぽろ」に入っていった・・・。
「え、いまから仕事かよ〜」とあわてて彼らの横すり抜けカウンターに入り、「いらっしゃいませ」

すると、フロアに突っ立ったままの集団の先頭にいた白髪混じり短髪中年の、それも片腕のない男性が、「お前か」「はい?」「さっき電話出たのお前かって聞いとんじゃ」
「電話?」、そいえばさきほどバンドマンの清水さんが電話で話をしてたな。そしてママに、「なんかこのひと怒ってて」と受話器をママに渡し・・・清水さんは?と目で探してみると清水さん、残っていたお客さんらのテーブルに座り、うつむき顔そむけながら水割りのグラスを握りしめていた。客のふりして・・・。

「あの人です」と名指しできるはずもなく、「わたしは電話取ってませんが」「男はお前しかおらんやないか。この店は客に電話取らせるんかッ」「でも私は取ってません」と、しばし押し問答。
すると後ろに控えた方々が片腕の男をどうにかなだめ、ようやく引き上げていったのだが・・・。

翌日、松山さんが「昨日ナニあった」と尋ねるので事の次第を報告すると松山さん笑いながら、「組から電話あって、夕べのバーテン、骨のあるやつやから組に入るよう言えって。抗争で腕落とされたあの人、S組の組長や。片腕でネクタイ締めれるらしいわ。あとの人はみんな幹部。どうする?」と。もちろん我輩、「ここで働きます!」

こんな陰の勧誘話じゃなく、陽の話もあったにはあった。
読売テレビスタッフらが飲みに来ていた時だ。当時の人気深夜番組「11PM」で司会の大橋巨泉ら出演者に水割りなどを提供する場面があった。で、それを担当する中年バーテンダーの補助役に我輩をという話・・・この件は松山さんではなく、あのロシア人ハーフという厚化粧ママが話を受け、ソレっきりに・・・。

★大いなる失態・・・

話は戻る。
片腕の組長の時は無知ゆえだったのか怖さは感じてはいなかった。
が・・・。

ある夜、貸し切りで数十人の会合があった。
それも、あの有名な広域暴力団幹部の面々とS組幹部一同の・・・でもみな背広姿で紳士的な雰囲気。一見すると一般企業幹部の集まりのようだった。でも一見できただけであとは大忙し。脇目もふらず水割り作り続けていたその時、「スミちゃん、コレなんや」のひと声が。顔をあげるとカウンター越しに、片腕の組長制止してくれた幹部のひとりが。手にしたモノ見ると水割りグラス。「水割りですが」「よう見てみ」。見てみると、グラスの底にビール瓶の栓が!

「組長のやで」と笑いながらその幹部、「さ、さ、はよ作り直して」
当時は製氷機なんてものはなく、この夜も調理台のブロック氷をアイスピックで割りながらの絶え間ないドリンク作り。一方では大量のビール瓶の栓を開けてはホステスさんに渡し続けるというさなか、砕いてためておいたアイスボックスの氷の中に、いつしか栓が飛び込んでしまってて・・・。

恐ろしかった。怖かった
この時は殺されるんじゃないかと思った。
沈められるんじゃないかと思った。
後刻聞くところによるとその片腕組長、極端に酒癖悪く、電話の件のときも酔っていたとか。が、この会合ではまだシラフだったゆえ、我輩一命とりとめたわけで。大げさかもしれぬが、これも若さゆえ・・・。

人生、ふと人のイヤな一面を垣間見てしまうことがある。
「彼女」に別の男ができた時の我輩を見る一瞬の目つき、うつむいて水割りグラス握りしめる男の一瞬の動作・・・そこでそんな人達とは縁を切れればいいのだけれど、我輩の卦による「あなたはトラブルを避けよう避けようとします。が、トラブルなしでは生きていけないタイプです」の予言通り、このあとバンドマン清水さんによる災難が再び待ち受けていようとは、思いもしていなかった。また、第一回「面接」で松山さん命じた「店内恋愛禁止」が意外なところで破られるとは思ってもみなかった・・・。

「実録 / さっぽろの夜」つづく

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