396「ガジュ丸の呑酒暦 如月(尼崎篇)」gajyumaru no donsyugoyomi(第二話「あいあい」)

2.28.wed/2018

「呑酒暦」とは、我輩ガジュ丸の「呑む、読む、観る」三大娯楽キリギリス的人生において、初訪問の呑み屋をめぐる、めくるめく(?)物語、かつその月の特異な出来事の記録であ〜る。
さて二月は・・・(再訪率50%以上がOK店)

★死に目に・・・

この歳ともなると多くなる・・・お葬式が。

2月17日土曜の朝、「おばあちゃん危篤っていうからいまから行くけどクルマ乗ってく?」と娘のサクランボウからの電話(で、起こされた)。
義理の母の危篤状態が続いていることはもちろん知ってはいた。娘が様子伺いにおもむくからというのだが我輩、「この前行ったとき話もしたし今日は行けへん」と返事。
が、その電話のあった頃に義母が亡くなったことを、我輩も娘も知る由もなかった・・・。
早朝から様子を見に出向いていた我が妻リ・フジンこと山椒大夫が後刻、「日曜にお通夜、月曜お葬式」と。九十五歳。大往生だ・・・。

「親の死に目に」というけれど、本人が意識あるうちはまだしも、そうではない各種チューブにつながれた状態で、意識なく死線さまよう、いやすでに死線越えつつある人の枕元には、できればこれは立ちたくはない。その悲惨な姿が脳裏に刻まれてしまうからだ。
我が敬愛する高野山の祖父、祖母、叔父それぞれが具合の悪くなった時、いずれも我輩東京在住中に亡くなってしまい、残念ながら死に目には会えずじまい。が、それがいまでは良かったのではないかと思うようになっている。
実父の際は意識はあったけれども筆談のペンも持てぬ状態で、父の最後の思い出としてはまずソレが脳裏にちらつく。が、祖父、祖母、叔父の場合は生前楽しく酒を酌み交わしていたそのシーンなのだ。
そういうわけで義母の場合、意識がなくなってからは見舞いには行っていなかった・・・これはでも我輩の勝手な言い分だ。意識なくとも本人は心の奥底で親しき人の声を耳にしつつ旅立ちたいと念じているのかも知れないんだから・・・。

とは言っても義母の場合、我が妻リ・フジンこと山椒大夫がタヌコという愛称で呼ばれていた独身時代、初めて自宅に招かれた際の義母となる人の第一声が、「あなたですかッ、うちの娘を毎晩毎晩連れ歩いているのはッ。タバコを覚えさせたのはッ。結婚するつもりなんでしょうねッ」で、その弁が思い出としてまず脳裏に浮かんでしまった。
この話を通夜の酒席で我が妻の姉たちに披露し、「心残りは生前、『お義母さん、僕たち仲間が帰ってくれよぉといくら頼んでもイヤやと帰らなかったのはお宅の娘さんで、タバコも知り合う前から吸ってましたよ』と釈明せぬままのことや」と冗談でいうとお姉さんたち、「この子はそんな子やわ」
あの時わざと席外し、結婚するハメに陥らせた本人はというと、「男のくせに小さいこと言うわ」と。いま我輩がポックリ、もしくは我が妻がそうなるとすれば、脳裏にまず浮かぶのはきっとこの、「小さいこと」という理不尽そのものの言葉だろう・・・。

★キャンセル

この知らせのあった17日の夜、実は大阪住吉の杉本町で墨丸会員チャン氏とキムラさんとの呑み会が予定されていた。けれどもちろん行けるはずもなく、キャンセルに。
確か前回も何らかの理由でこちらからキャンセル申し出たことがあり、「ああ、信用失うなぁ・・・」と、今回不謹慎にもこちらのほうが気になってしまった。

先日も、墨丸会員M氏、ヒトリン嬢に呼ばれ住吉の我孫子で呑むことがあった。
その席で、あることから「今日はキャンセルしようかと思ったけれど・・・」と言いかけると、M氏「スミちゃん、直前キャンセルするんやもんなぁ」と。そういえば彼とのキャンセルもあったのだ・・・。

「彼女」とのデートより男友達との「呑み会」優先するほどの、呑むことについてだけは律儀な我輩ゆえ(ゆえに二人っきりのデートより男友達交えてのソレが多かった)、よほどでなければキャンセルなどしないのだけれど、これらキャンセル発生はすべて我輩の発病後のことだ。
この我孫子の日は右奥歯がかみ合わせの際に痛くてたまらず、二日前からまったくモノが食べれぬ状態が続いていた。
原因は免疫力低下とのことで、前々回は痛みなしで左歯ぐきが腫れ、先月は少々痛み伴って右奥歯が、そして今回は再び右がひどい痛みを伴っていた。いわゆる「歯が浮く」という症状で。でもキャンセルしては悪いと出かけたのだけれど・・・。
で、ナニかお腹に入れておかねば悪酔いすると、事前に駅の立ち食いそば屋でうどん注文したのだけれど、その柔らかいうどんさえも噛めず、だし汁飲み込んだだけ・・・そんな状態ゆえ「キャンセルしようかと」発言したわけだけど・・・。
日本酒二杯と食べれるかと頼んだオデン厚揚げだけで、酒宴の価値ゼロ、いや大いにマイナスの、早々に我輩のみ早引けした悲惨な呑み会であった・・・(長くなったけど、コレが今月の呑舟暦話ではない。念のため)。

★で、お通夜

18日日曜午後七時から、阪神尼崎杭瀬駅近くの葬儀会館でお通夜。

が、我が妻リ・フジン「準備が」とのことで昼過ぎにKN市をクルマで出発。
「わしは7時までナニすりゃええんや」というとリ・フジン、「商店街賑やかやで。ブラブラしとったらエエねん」
で、杭瀬着後の午後三時からその商店街に出かけ・・・「どこが賑やかやねん?シャッター商店街やないか・・・」
彼女の知る商店街は住んでいた娘時代の、40年以上も前のソレだったんだろう・・・。

えんえん歩きまわり、たった一軒だけ開いていた喫茶「英國屋」で女性週刊誌二冊、読売新聞それぞれ隅々まで目を通してもまだ午後六時。その間の収穫といえば、皇室と「海の王子」のトラブル(天国から地獄やな)、キョンキョンの不倫宣言(彼女なら不倫暴露されてもええわ)などの詳報だったか。
コーヒー一杯でねばり飽き、どこかで軽く一杯と居酒屋探せど時間的にもかソレさえも見当たらず、仕方なくホント仕方なく、唯一看板に灯が入っていた立ち飲み屋に・・・・。

★「あいあい」

マズイ日本酒、安っぽい酒の肴、こぎたない雰囲気、それらに昼間っから群がる酔っぱらいのオッサン・・・我が酒呑み人生において、それらイメージで敬遠し続け、なおかつ立ったままでも呑みたいというほどのアル中でもなく、ゆえにいままで立ち飲み屋だけには入ったことがなかった。

墨丸閉店以来、病の後遺症の一つである味覚障害でウイスキーなどの旨味わからず、酒は日本酒オンリーとなった我輩、いかにも立ち飲み屋の女将さんといった風情のカウンターの中年女性に、「酒、ぬる澗で」と注文(立ち飲みと言いつつ幸いにもこの店は椅子席だった)。グラスになみなみと日本酒注がれ、さらには受け皿も溢れんばかり。
注ぎ終え厨房に置かれたその一升瓶ラベルがちらりと目に入る。
「日本盛」だ。「世界長」「大関」と並ぶ、かつて我輩それら置く居酒屋には肴が良くても二度と立ち入らぬと決めていたほどの「マズイ酒三冠王」の一本だ・・・グラスに口近づけてひとくち呑む。うまいやん?

いや、最近思うのだけれども、日本酒は「うまい」というよりなにか体にぴたっと合う独特の風味が身にしみる良さがあるのだが、いまやその日本盛がウマイのだ。
これは発病で味覚減退し、甘みのみ感じられる我が肉体マイナス改造の結果ゆえ、愛飲の辛口菊正宗の旨味わからなくなり・・・ゆえに自宅墨丸亭ではスーパーで一番安い、2.0g八百円ほどの「白鶴まる」なんてのを、かつて見向きもしなかったそんな安酒をいまは呑んでいる・・・。

黒服姿の我輩に、「お葬式終わりましたん?」と女将さん。
「いまからですねん。女房がココ出身で」と返事しつつ、朝からナニも口にしていぬゆえ、壁に貼られた短冊品書きの「いたわさ」注文。薄っぺらい5〜6切れだったけれど、百円!続けて頼んだオデン豆腐も、百円。
で、もう一杯頼もかな、と思ったその時、機嫌の良さに水を差すが如く携帯が鳴った。
「ナニしてんのッ、もうみんな集まってるでッ」と、感情抑えること知らぬ我が妻リ・フジンから・・・まだ六時四十五分やないかと渋々お勘定。で、なんと計五百円!
「杭瀬に来たらまた寄ってくださいねぇ!」の愛想のいい女将さんの声に送られながら、杭瀬駅から西に百五十メートルほどの所にある、立ち飲み「あいあい」を後にしたのであった。

前回、この連載始めるにあたり「持ち金もないのに(連載)思いついたのは、2月のあるできごとゆえ」と記したのは、こんなにも手軽に安く呑める「立ち飲み屋」なる存在を知ったからであった。
が、会館での寝泊まりの疲れからか、前述の「歯が浮く」地獄がこのあと待ち受けているとは、このとき知る由もなかった・・・。

再訪率:50%

「ガジュ丸の呑酒暦」つづく

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