402「お・し・ご・と」彷徨編

4.23.mon/2018

昨秋の384「お・し・ご・と」に続く春編です。

★辺境脱出

昨今ようやく冬眠状態から脱したけれど、いまだ後遺障害残る我が肉体。
その後遺症で寒気の間は筋肉こわばり、活動しにくく(ゆえに「冬眠」なんだけど)、体ほぐすためにも行動開始をと求人チラシ手にとった。
かつて、障害ゆえ断念した遺跡発掘、短期従事した衆院選の仕事に続き三度目の手にするチラシだ。
思えばかつてのいずれの仕事も冬期に見つけたモノではない。ということは、やはり本能的に「冬眠」時期を避けていたのであろうか・・・。

今回チラシで目にしたのは、最寄り駅近くのビル管理の仕事。来客および電話応対中心とか。
地理的条件の良さもさることながら、朝8時から業務開始という早朝の難あるものの15時頃には終業。それから大阪市内に飲みに出かけるにはピッタリの時間帯ではないか。

かつ、身内から中古の軽四譲られることになっていた。
この辺境の地ではクルマなくして生存成り立たぬゆえ、ボロの軽四が我が家にあることにはある。わが妻リ・フジンこと山椒大夫が通勤に使用中の(ゆえにボロと化した)それを代わりに廃車する算段ながら、我輩が維持費払えれば一台を我がモノとし、この自動販売機もない辺境の地から日夜脱することができるのだった。

★辺境ではなかった

ビル管理会社に電話してみる。
難点が。そう、健康状態を問われた。
かつて二度もの発症とこれは正直にはいわず、「片足が少々不自由で」と答えておく。それでも「面接前にできれば現地を見ておいて下さい」との先方の弁に勇気づけられ、パソコンのグーグルマップでおおよその場所確認し出かけることに。

朝夕の通勤時間帯以外は一時間に二本のバス発着しかない。それでも赤字路線だというここは陸の孤島、辺境の地。ゆえに将来さらなるバス本数減想定し、徒歩ならば最寄りの駅まで何分で行き着けるのだろうかとかつて歩き通してみたことがあった。で、「この場所なら駅の手前だ。楽勝ではないか」と、体ほぐすためにも徒歩で行ってみることに。

店屋の角を左に曲がり・・・急な坂道だ。マップうろ覚えのその坂道を登り始める。
途中で坂を下ってきたロードレース用バイシクルの見知らぬ青年が疾走しつつ「こんにちわ!」と我輩に声かけすれ違う。このあたりでは見知らぬ小学生たちも「こんにちわ」と声をかけてくる。良き指導なされていると思う反面このご時世、声がけの相手が変質者ならば・・・と毎回心配してしまったりもする。

こういう挨拶でゲンナリするのは、我輩がバイクを乗り回していた頃のことだ。
遠出するとツーリング中のバイカーたちが片手上げ挨拶してくる。ハイキングなどでもすれ違う見知らぬ人が「こんにちわ」と・・・ひねくれた思いだけれど、この人達は職場や近所でもこうして明るく挨拶してんのだろかと思ってしまう。経験上こうした非日常の場以外での「明るい」挨拶なんてあまり耳にしたことがないんだけど・・・。我輩はまぁ、明るく「こんにちわ!」と近所の人たちに声がけするようにはしてはいる。しらじらしくってバイカーやハイカー達にはしなかったけど・・・。

なんてこと思いつつ、「はてこの道で正しいんだろうか」と心配になってきた。
脳裏に浮かぶのはグーグルマップ衛星写真の映像。ゆえに詳細な道順思い浮かばず、駅までは1時間もかからなかったのに、この時点ですでに1時間を優に超えていた・・・。
坂を上がりきった、これはちょっとした山の頂上ではないかと思える住宅街の公園にいた中年男女に目的地の町名問うと、この山の頂上のはるかまだ向こう、頂上反対側のそれも麓だった・・・。
こうして春のうららかな昼下がりの旅立ち、ひと山越え息も絶え絶えで帰りのバス停にたどり着いたのは出発3時間後の夕暮れ時。辺境ではなくこれはもう魔境の徘徊・・・。

★落とし穴

はたまたうららかな春のこれは午前、地下鉄堺筋本町駅に降り立つ。面接だ。
青春時代にこの地の喫茶レストランでバイトをしていた。
住吉我孫子の墨丸時代にお客さんに教えられ、この地で開催された兵庫の竹田城写真展見学に訪れたこともある。だからビル管理会社の場所にはあの魔境でのビル発見にくらべあっさり行き着くことができた。

が、ここで思いがけぬ「落とし穴」が。
面接担当者開口一番、「接客業務なのでヒゲは剃れるでしょうか?」

サラリーマン辞めて三十年近く、我がヒゲが問題になるとは思ってもみなかった。
何年か前にタクシー運転手が「ヒゲ問題」で会社をクビになった云々での訴訟事件があった。すでにヒゲの自営業者だった我輩、その判決がどうなろうともう無関心だったけれど、時間給のバイト仕事でもいまだ問題視される「身だしなみ」のひとつであったのだ。皇族も生やしているというのに?
で、いつものジョークで「ハゲ隠しでして」といいかけ相手がハゲてるのに気づき、あわてて「敬愛する明治生まれの祖父に習って十代の頃からのヒゲでして、これはもう剃れません」と。
これは採用ならずと悟りつつも会話を交わし終え席を立とうとした。よろけてしまった。
後遺症で、寝起きや座しての直後にはあることながら、担当者「大丈夫ですか!」。バック抱え重いガラス扉を開け退室する際にもふたたびよろけ、「大丈夫ですか」(この時点ではその言葉にはもう「!」はなかった・・・)。

※「ハゲ隠し」:ヒゲの印象で額の広さの印象が薄れるという我が発見の真理。かつてバーコードハゲ老人にその秘法伝授し実行した尾木ママ似ロリコン男のそやつ、結局ゲスな人物と後日判明。伝授してやったこと大いに後悔したこともある。

★途中下車

せっかくなので懐かしの動物園前駅で途中下車。
青春時代、この地の洋画三本立八百円新世界国際劇場に毎週ほど通っていた。その帰りには小便臭いジャンジャン横丁の、少し知恵遅れの姉とその妹が経営の焼き鳥屋にというパターンだった。けれどその店も、すぐ潰れることになる第三セクター遊園施設建設時に立ち退きとなって、いまはもうない。
当時、若い女性の存在などこの西成舞台のマンガ「じゃりン子チエ」しか思い浮かばぬような日雇い労務者の町だったのに、今やミナミの繁華街と変わらぬほどに様変わり。

市立美術館の半地下にあった喫茶店ルージュも絵画研究所に変貌していた。ボーリングブームの頃、始発で降り立った天王寺駅から天王寺公園脇の暗い道抜けての新世界で早朝サービスタイムを利用していたものだ。が、その道脇の鬱蒼とした樹々も高い壁もなくなっていた。
天王寺公園そのものも、いまやごちゃごちゃと売店立ち並び、以前の広々とした開放感も静けさもまるでなく・・・良き時代を知り得た時代に生きてよかったとしみじみ思った。

なにげなく立ち寄った市立美術館展覧会。
で、こんなのどこがええんやろと思う作品群のなか、「おっ!」と立ち止まり見入ってしまった「椿」と題した50号の日本画。作者名見るとなんとかつてのサラリーマン時代、共に仕事をしたことのあるデザイン会社の前田和穂さんの作品ではないか。
風の噂で画家に転身とは聞いてはいたけれど、これは偶然の発見。

発見といえばこの日、かつて何度もこのあたり散策していたはずなのに、家康が本陣構えたという茶臼山にも初めて登ってみた。だがここからはもうこの時代、ビル群に遮られ大阪城は垣間見ることもできなかった・・・。

★後日談

ビル管理会社からの連絡ないまま時が過ぎた。
しかし、廊下天井の蛍光灯など、脚立使っての交換作業もあるだろうと想像すると、二度あることは三度あるで障害ゆえそれでの転落事故等あったかもしれぬ。で、これで良かったのかとも・・・が、我が「辺境脱出計画」など露とも知らぬわが妻リ・フジン、「もう年やし働かんでもええやろ。はよ書庫珈琲しいや」なんていうけれど、万札握りしめての自由への脱出あきらめきれぬ我輩、人材募集貼り紙の地元スーパーに試しに問い合わせてみた。身だしなみについて・・・やはりヒゲは不可だった。「女を土俵に上げろ」なんてくだらぬ論議より、もっと身近に時代遅れのこんなヒゲ問題もあるのだよ・・・。
こうして中古の軽4での脱出退路を断たれ、この緑の魔境で我が肉体は埋没し朽ち果てていくことになったのである・・・アーメン、ソーメン、ヒヤソーメン。合掌。

※春の到来とともに「書庫珈琲 墨丸亭」開設準備も進みだした。5月中旬と末にはすでに予約が入り、その頃には完了の算段。墨丸会員はもちろん、コレを読まれているあなたのご予約、お待ちしておりま〜す。

「お・し・ご・と」彷徨編 完

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