408「ガジュ丸の呑酒暦 皐月(住吉編)」gajyumaru no donsyugoyomi(第五話 白浜篇)

6.4.mon/2018

「呑酒暦」とは、我輩ガジュ丸の「呑む、読む、観る」三大娯楽キリギリス的人生において、初訪問の呑み屋をめぐる、めくるめく(?)物語、かつその月の特異な出来事の記録であ〜る。
さて五月は・・・(再訪率50%以上がOK店)

★4月26日(木)17時 大阪住吉我孫子西「ちりとりダイニングさかもと」にて

M氏とヒトリン嬢の墨丸古参会員たちに呼ばれての酒席でM氏「なぁ、行こうやぁ」と、'15年の我が発病で墨丸閉鎖後何度目かの誘い。
ヒトリンふくめて「温泉宿に」というのだ。
が、我輩「そんな余裕なんてない」とこれはもう毎回の返答。
月に一度ほど大阪市内まで出向き、こうしてかつての墨丸お客さん方と旧交温める酒席に参加するのが楽しみかつそれが精いっぱいが現状・・・。
しかしM氏よほど日頃退屈なのか粘り強く、「じゃあこうして呑むの控えてその分金ためとけよぉ。宿泊代半額出すからよぉ」と。「宿泊代援助」は毎回の勧誘常套文句ながら、ムムッと思ってしまったのは「呑むのを控えて」の弁。

そうか・・・と、そのとき話に出た「有名温泉ほか28館展開の湯快リゾート」利用ならば、その宿泊費一律7500円の半額+交通費か。これは月一度の大阪までの交通費+酒代に相当かもと、すでに酔い始めた我が脳裏にその可能性思い浮かべてしまい、かつその返礼のことも・・・。
無職になってからは恥ずかしながらおごり返すこともできずして、彼には1、2度着用しタンスに眠ったままの我が衣服の進呈で済まさせてもらっている。
これはサラリーマン時代のスーツ姿は格好良かったのに私服に無頓着な彼ゆえにのことで、これまたナニか見繕ってと、「じゃあ、行こかぁ・・・」
とはいってもある時など「ごめん!」と彼。ブルックス・ブラザーズのジャンパーでお返しのその日に酔っ払って袋ごと何処かに置き忘れてしまったりもしている・・・。

「呑み代節約」決めたにもかかわらず、この夜二軒目の「焼き鳥 大吉」に席移しさらなる相談。
M氏「交通費安くすんのに誰かクルマ出してくれる人おらんか?」
墨丸時代は我輩、格安レンタカー手配と運転役のパターン。が、発病以来どうも我が運転技術に信頼おけぬようで。
しかし、こういう場合にのみシンクタンクとして能力発揮の我輩、酔った脳裏でも日頃フリーな人物検索開始・・・一人目の候補、墨丸古参会員A嬢に電話。で、即「参加します」と、コレはあっけなく決まった。

三軒目にという彼ら振り切り、我輩一人ようやく節約モードスタート・・・。

再訪率:大吉0%(ヤキトリはチェーン店より個人店だ)

★5月3日(木)17時 大阪住吉苅田「中華料理 福楽園」にて

旅行詳細決めるべくヒトリン紹介の、最近オープンしたという中華屋に全員集合。下町の中華屋ながら中国人経営の、本場料理が安く食せるココは穴場かもしれぬ。

この日、各自持ち寄った希望の旅先と日程相談。
この場合もシンクタンクとなる我輩発掘の、「湯快リゾート5月限定 一泊2食+直行往復バス付 7500円」。その案採用となる。当たり前だろう、コレは格安発掘良品。
が、趣味多きA嬢スケジュール勘案しての日・月という曜日にもかかわらず、なんとホテルも旅館も満室続出。ヒマで小金持ちがいかに多いかという現実見せつけられた思い・・・。
ようやくの、南紀勝浦温泉「越之湯」。ただし改装中ゆえ男子入浴はこれまたなんと午前0時から。空いてるはず・・・不本意ながらも一応予約。

二軒目にという彼ら振り切り、我輩ふたたび節約モードに突入・・・。

再訪率:60%

★5月15日(火)16時半 大阪東住吉駒川5-3-10「酒場 トアロード」にて

ヒトリンより「別の候補地発見!」との連絡で急遽打ち合わせ。酒席が長くなるM氏のぞいて・・・。
が、「トアロード」の顔なじみのお客さん方、久方ぶりのママさんらと我輩話がはずみ、かえって「長く」なって・・・ヒトリン「話はよ決めなぁ」と、いったん店を出た。

再訪率:80%

以前この駒川商店街でばったりと、墨丸会員サヨコさんと出会ったことがある。
この地で沖縄料理と泡盛の店「とぅるばるや」(駒川4-18-21。06-7173-6071)のママさんだ。出会ったのに店寄らずの不義理常々気になっており、「じゃあ、そこで」と席をかえた。
墨丸閉店後3年近くもたっての訪問だったけれどママさん大層喜んでくれ、山盛りの我輩好物海ブドウとミミンガー(沖縄は好きだが好みの沖縄料理はこの二品と豆腐ようのみ。酒のつまみでしかないけれど)で泡盛ロックを。

ヒトリン案は「国民宿舎 ホテルシラハマ」。南紀白浜だった。
食事はイマイチとの評判ながら、男女別二部屋確保に加え、朝食付き4027円の安さ。よくぞ見つけてくれたものだ。夕食は白浜飲食街でとし、M氏に「越之湯」キャンセル依頼して白浜に決定。

で、店出た所で出勤の「とぅるばるや」マスターとこれまたばったり。
「すみちゃ〜ん、久しぶりやん!今度電話するから住吉で飲も、飲も!」の弁に涙出そうになりつつ帰途についた。

この日M氏抜きにもかかわず、節約モードにはゼンゼンならず・・・。

再訪率:70%

★5月27日(日)午後12時〜 旅立ちの日(一生旅立ちたいわ・・・不吉)

午後12時、地下鉄なかもず駅ロータリーにメンバー集結。
A嬢の、20年オチ走行20万`というダイハツ軽四、今やあまり見かけぬ非オートマの旧型ミラ・ジーノに乗り込む。
行きは観光地巡りつつ国道走ることとし、その観光地各自リストアップだったけれど、意外にこの方面そんな場所がないものである。唯一共通点が「日本のエーゲ海」といわれる御坊近辺の、石灰岩露出風景連なる白崎海岸。ならばもうそこまで高速利用でと出発。

我輩がサラリーマン時代の40年ほど前、海水浴といえば車で行く和歌山の白浜。
ある時のその途上、小さな看板「右、産湯海水浴場」偶然発見。
行ってみると小規模ながら遠浅で透明度抜群の閑散とした海水浴場に出くわした。で、以後の海水浴は産湯となり、近くにあった白崎海岸発見もその頃。
脱サラ後の夏は墨丸のお客さん方と産湯、白崎巡るのが恒例ともなっていた。初めてきたという今回メンバーもその白い風景に驚く。その白崎もいまや「日本の渚百選」に選ばれ、展望台やら道の駅、キャンプ場、スキューバダイビング施設林立。産湯も夏場は混みあう浜となってしまっている・・・。

一路、白浜へ。
4時チェックイン予定には遅れたが、ミラ・ジーノ、いや我らは無事に「国民宿舎 ホテルシラハマ」到着。
あいかわらず毒舌男のM氏のみ、ホテル(というよりコレは民宿か)外観見ても室内見ても「なんや、こんなトコかよ〜」とブツブツ。髭剃りのカミソリ、バスタオルなし、室内金庫なし、寝具敷くのは自分たちで、隣室の声丸聞こえ・・・従業員はもしかしてこの方お一人かと思えるほど閑散とした1階フロントでそのおばあさんに宿泊費前払い。風呂上がってから町に繰り出すことにした。

風呂は評判良いらしい。
これはまぁ、お湯がだろう。急すぎる古びた石段恐る恐る下りたところにこれまた年代物の小さな浴槽。先客お一人。三人入ればもう満杯。
その先客青年いわく「この風呂、表面が白い膜に覆われてました、湯の花で」。風呂清掃してなくともわからぬような濁ったその湯で顔洗うと海水が混ざっているのかしょっぱい。温泉のことは我輩とんとわからぬが、コレがいい湯というもんなんだろう、か。

先客サン、隣町の田辺でのイカ釣り大会参加で名古屋から来訪とか。
成果なし。成果あれば今夜の肴に少し分けてもらおうと思ったのだけど。帰阪後の新聞によると今年はイカ漁自体が不漁だそうな。
このホテルは二度目というので聞いてみた。
「近所にいい居酒屋ありましたか」と。
銀座通り「小料理 美和」情報インプット。

★同日夕刻〜 白浜温泉飲食店街にて

ヒトリン「おすすめの居酒屋聞いてみるわ」とホテル近くの酒屋に。
さすがと思う半面、優良取引先紹介されるだけとちゃうん?で、その店・・・

銀砂通り「お好み焼き キリンヤ」
一品料理も豊富と聞くが白浜まで来てお好み焼き屋もあるまいと、パス。
続いての「料理民宿うら」
海辺の店とはほど遠い、大阪で呑んでる感の肴メニューゆえ早々に退店。
御幸通り裏手「大皿惣菜まある」
人通りのない住宅街の一角にあり。が、広い店内満席。ゆえに少々待たされたほど。穴場か。期待。生しらすポン酢、もちカツオ刺し身はさすが海辺の店の肴。
ま、我輩はテーブルよりカウンター派。そこで店の方々、隣席の方と喋りながら呑みたい派でもあるので、先ほどの店同様座敷席なのが少々不満。自宅で呑んでる感なのだ。
また、ラストオーダー22時と早すぎ、入店20時半過ぎゆえ、あっという間に22時。ホテル門限も22時ゆえ落ち着かぬこと落ち着かぬこと・・・。

M氏も「飲み屋は二軒とももうひとつやったなぁ、風呂の青年オススメの店にしときゃよかったかなぁ・・・」と、またブツブツ。
この時刻、大阪とはまるで異なり、飲食店軒並みネオン消されていた・・・。

我が青春時代、隣町の田辺市で学生時代過ごした縁でこの白浜にもたびたび来ていた。
時間の余裕あればむかし通ったスナック「てふてふ」(倍賞千恵子を美人にしたような我輩より少し年上のチーママとそのお母さんの店。ここでのエピソードもあるけれど、話が長くなるのでまたの機会に)でカラオケでもと思ったけれど、当時にくらべ小奇麗な宿泊施設や飲食店建ち並び、むかしの面影、「てふてふ」ふくめ消え去っていた。すべてがすべて様変わり・・・。

で、部屋で呑み直すことに。
ホテルで門限阻止する派と買い出し派に別れようと、門限時間ゆえホテルに電話してみると「部屋の鍵お持ちならいつでも入れますよ〜」とのこと。
で、その時刻から気づけば午前4時過ぎまで喋りかつ呑み続けていた。うらぶれた場末の宿のような一室で。が、そこでの酒席がイチバン、というのが少々物悲しい5月の「呑酒暦」であった・・・。

再訪率:呑み屋二軒ともにゼロ% 「大皿惣菜まある」55% 

★5月28日(月)帰阪・・・

女性軍に起こされたのが午前9時半。
男性軍、朝食抜きでホテル出るハメとなる(素泊まりなら2630円だったそうな・・・)。

我輩「北海道旅行でいつ帰るかわからん」とウソ言い残して自宅を出ていた(出奔だ)。
で、本来ならば帰阪後M氏やヒトリン宅渡り歩き呑み続けようと思っていたのに、二日酔いで朝から大阪着の夕刻まで何も口にできず。かつ白浜での呑み代でか持ち金すべてなくなり(酔って失くしたのかもしれぬ)、すごすごと帰宅のハメに・・・元気な他メンバーは近々「カラオケ!」「ヒトリン実家の空き家で持ち込み宴会!」とにぎやかに次なる企画立てていたけれど、我輩はもうその話に乗る気力さえもなかったというのが今回の顛末・・・。

※帰途、かつての学友 I嬢勤める熊野古道中辺路「霧の里たかはら」に。
こんなところにお客が?と思える山の上のひなびた村にある宿泊施設兼ねたレストラン。世界遺産登録のせいでもあるのか外国人旅行者ふくめ何組ものお客が・・・。I嬢遅番で不在だったが、二日酔いの我輩以外のメンバーはランチ堪能。

※上富田町朝来の「ふだん使いの器 なんとなく工房」にも立ち寄る。
学友F嬢の古民家改造の工房。持ち金あれば購入したき品いくつか・・・。陶器好きにはオススメの工房である。我が運好転すれば当地白浜か田辺で3、4日連泊し、再度当工房ふくめて散策見学したしの、南紀の思い出の地であった・・・。

「ガジュ丸の呑酒暦」つづく

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