438「ガジュ丸の呑酒暦 神無月(宮崎編)」gajyumaru no donsyugoyomi(第十話 後編「らくい」)

11.15.thu/2018

「呑酒暦」とは、我輩ガジュ丸の「呑む、読む、観る」三大娯楽キリギリス的人生において、初訪問の呑み屋をめぐる、めくるめく(?)物語。かつ、その月の特異な出来事の記録であ〜る。
さて十月のお店は・・・(再訪率50%以上がOK店)。

★未知の地へ

背中に響くかすかなエンジン音と振動。
それで目覚めた午前3時。表に出てみると漆黒の闇。
まるで異界の空中に浮かんでいるような・・・。

なぁ〜ンて、はじめての体験。
10月15日月曜、大阪南港フェリーターミナル17時55分発、鹿児島志布志港8時55分着のフェリーでのこと。
フェリー乗船は我輩初めて。意外と快適なカプセルホテル風プライベートベッドで深夜に目覚めデッキに出てみると、海と空との境が皆目分からぬ真っ暗闇。そんな異様とも思える目前の空間、初めてだった。

★その発端

今年の春、愚弟がフェリー利用しての南九州バイク旅行を敢行。
その途中、我が高校時代の親友サカモトのモリちゃん宅訪れ歓待されたという。
なぜ愚弟が我が友と?と一瞬思ったけれど、かつて我輩結構交友の輪が広かった。類は友を呼ぶのごとく、例えば我輩小学校時代の友人と社会人になってからの友人とが同席しての呑み会など日常茶飯事で。そうした付き合いの名残りだったんだろう。
けれども墨丸時代後期ともなると互いに妥協できぬ年齢となったのか、個性的過ぎる面々ゆえなのか、なかなか類は友、いや類は類の集まりもならずして、我輩それぞれ個別の人たちと呑むことが多くなっていた・・・。

朋輩モリちゃんのことは今までも126や144「高野山たどり着き隊物語」シリーズ、177などで登場してもらってはいるのだが・・・愚弟いわく「サカモトさん、いうとったで。兄ちゃん、九州に来るくるっていいながら全然けぇへんって」
・・・そうなのだ。
モリちゃんは過去何度か住まいの宮崎から大阪の我輩に会いに来てくれたというのに、なぜか常に借金まみれの我輩、関西から離れることさえもままならぬ地縛霊のような日々・・・もう10年近くモリちゃんと会っていなかった・・・。

愚弟更にいわく「旅費出すからモリちゃんとこ一緒に遊びに行こか」
その途端「愚弟」などと呼べなくなってしまった・・・もしかしてきやつめ、同族の血を引く病み上がりの我輩の死期、本能的に感知し急に優しくなったのか・・・。
とにもかくにもこうした恩恵、毎度のことながら少々情けなや。いや大いに情けなや。宝くじ当選しての恩返しのお相手がこうしてまた一人ひとりと増えてゆく・・・。

★サンフラワーきりしま

出立の日の午後、堺東で待ち合わせたその弟いわく「船での夕食高いからコンビニ弁当買お」
が、落ちぶれたといえども我輩、コンビニ弁当だけは口にしたくはない。
かつてとあるコンビニ会社幹部は自社製品だけは口にしなかったと聞く(当時、シャープ幹部は家族に故障の多い自社製品買わせなかったとも聞いた)。
防腐剤やら添加物だらけの弁当かつその漬物もサラダもレンジで温まっての上蓋取った瞬間の異様な匂い。そんなトラウマから今も脱しきれていないのだった。昨今そうじゃなく結構美味しいらしいけど・・・。
で、我輩「せっかくの旅行やねんから、高島屋の惣菜売り場で買お」

そうして乗り込んだ新造船サンフラワーきりしまのレストラン価格、意外にも下町食堂のソレと変わらぬではないか。かつ自動販売機飲料も町のソレと同様の値段。豪華客船ならいざしらず、新造船といってもフェリーなんて内装ふくめこんなもんかの感(弟よ、学習しといてくれよ〜。愚弟に戻ってしまうぞ〜)。

海の見える窓辺の椅子に陣取って出港前から弟につられてもうカップ酒(弟は我輩と異なり昼酒もオッケーかつ味わうというより呑めりゃ良いタイプ。料理酒をも呑んだ男だ)で、コンビニ弁当と値も変わらずのデパート名店街の弁当はやはり旨かったという次第。

★南九州初上陸

こうして記し始めると延々と話が続いてしまうのが我輩の悪いクセ。
出発時点だけでこんなだから要点だけに絞らねば「呑酒暦」の話にたどり着けそうにもない。
で、志布志港で出迎えてくれた頭が薄くなっていた懐かしのモリちゃん運転のクルマで16日〜18日、鹿児島と宮崎の名所旧跡巡り。その間の特に印象的なことといえば・・・

@人がいない

クルマで走ってると路上を歩く人を見かけない。
「ワシの地元KN市よりココは人口少ないんか?」とのつぶやきに弟、サッとスマホで「KN市10万対都城市16万人。KN市は人口減少傾向やけど都城市は増加傾向やって」
アナログ人間の我輩などこうした場合、あとで調べようと手近の紙切れにメモす。枕元、ポケット、机周辺にそれらが未処理のままどんどん溜まっている・・・。
ではクルマ社会なのかといえばKN市より走行中のクルマはるかに少なく、信号も少ない・・・。
歩道で一人の男性、なにやら器具持っての作業中。
「アレ、ナニしてるん?」との問いにモリちゃん、「除草剤散布してる」
日陰の歩道は青々と苔むし、日向部分には雑草はびこっているゆえだった。吸血鬼の街かとも思えた、それほどなのだ。
さらに、山や林の中に「ポツンと一軒家」多々。
多すぎて珍しくもないだろうからおなじみのテレビ番組取材も来ないのか。通学は?買い物は?と他人事ながら気になってしまう、それはそれは奇妙ともいえる南九州だった。

A見どころは

この鹿児島、宮崎観光中に見逃してならないのは、かつて日本を死守してくれた特攻隊員遺品など展示の「知覧特攻平和会館」だろう。
じっくり見学となれば丸一日要するというのを「知覧武家屋敷群」見学で時間とられ、1〜2時間ほどしか滞在できず。こうした施設隅々まで見なければ気が収まらぬ我輩、ああ、その機会もう一度作りたしッ。

B記憶の喪失

酒宴の席でモリちゃん、我輩が二十歳代に住んだ国鉄阪和線浅香駅近くの文化住宅から引っ越したあと、彼が引き継いでそこに入居したという話をした。
「嘘やぁ〜!」という我輩に、当時我輩勤めていたZ団体の仲間ら十人ほどとのその部屋での宴会写真を見せられた。その住宅が三愛住宅という名だったことも改めて思い出させてくれた。
同時に、今は亡き高野山の祖父宅での我輩知り合い十人以上との当時の宴会写真も見せられた。そのうちの大半は誰だかわかったけれど、数人の女性の顔は見覚えあるものの誰だったかさっぱり分からぬ。かつ、こんなにも大人数で祖父宅に押しかけていたとは。若気の過ちか・・・。

二十歳の頃にバイトしていた堺・砂道町の三角ビルの話は247や299で記した。
で、モリちゃん「あそこのバイトも引き継いだで」
我輩「嘘やぁ〜!」
・・・ホントだった。
我輩その名忘れていたレストラン支配人は木村さん、チーフシェフは笠井さん、喫茶チーフは大竹さんって名を彼すらすらと。で、「ホンマや・・・」
でも、これで記憶がよみがえるってんじゃなく、上記の「引き継いだ」ことそれでも全然思い出せず・・・この「墨丸亭綺譚」読まれた方から「昔のことよう憶えてるなぁ!」といわれるけれど、こんな記憶グセもあるんだ?

Cあの人はいま

宮崎といえば、あの墨丸会員がいらっしゃる。
大阪から転勤された宮崎からジャンボ宝くじ贈ってくれたりしたけれど、我輩入院中に連絡途絶えたチチカカさんだ。
クルマで街なか走行中、関西では見かけぬチチカカさん本名Tさんの名がついた美容院などを見かけた。そうだ、チチカカさんのここは故郷でもあるのだ。
宮崎都城市のショッピングモール勤務と聞いていたので、たぶんココではないかと日南市の鵜戸神宮見学後の休憩タイムにその店舗に電話してみた。
・・・すでに退職され、いまは行方知れずとか。幸せでいてくれたら良いのだが・・・。

★「炎の舞 らくい」

南九州一泊目は、宮崎県都城市のモリちゃん宅。
午後6時から翌朝聞くところによると午前2時まで、奥方キヨさん共々四人で呑んでいたらしい。
我輩退院後、味覚障害で満足な食事摂れぬのに、健康時に比べ長時間飲み続けられるようになったのが不思議。反面、ナニ話してたか後半の記憶があいかわらず、ない・・・これはでも当たり前か、8時間も呑んでるんだもの。

二泊目は、都城ホテル。
夕刻、男三人でモリちゃんが特別な日に利用との「炎の舞 らくい」(都城市牟田町9−9街区7号)へ。
ここでの料理は宮崎地鶏ふくめ名物カツオのたたきを藁で焼き上げている。海から離れた都城でなんでカツオだけれど、塩で食すそれは関西では味わえぬほどの美味。ウエイターお二人も大阪人に比べ素朴感あり。で、彼ら褒め称えてると弟いわく「ホモと思われるで」。ウエイトレスも褒めてあげる。

この店の裏通りが繁華街というけれど、この「らくい」に至るまでも人通りなし。
が、道路脇には代行車がズラリ。
まだ11時前だったか、モリちゃんを最寄りの西都城駅まで送っていくと、なんと早くも終電出たあと。駅が閉まっていた。吸血鬼の街でもないようだ。けれども通勤に不便はないんだろうか。ないからだろうけど、ないというのも奇妙だ。駅員は楽だ。

再訪率:55%(繁華街の他の店にも立ち寄ってみたいというもんだろう。モリちゃん宅は100%!月イチで通いたい・・・)。

★教訓!

BSでかつての青春ドラマ「俺たちの旅」再放送作品を観たことを以前記した。
「俺たちの旅」は若き中村雅俊、秋野太作、田中健、この三人の友情を描いた青春ドラマだ。
初期の青春編はおのれの青春に夢中だったゆえ観る機会が少なかったけれど、BSで観た番組はなんと彼らの二十年後と三十年後の人生ドラマ。若者だった彼らの40代、50代の人生が描かれていた。もちろん脇役もそのまま歳とっての出演。
観ながら彼らの時代が我が人生と重なり、かつ我が友人たちのこと思い出して感激。すごいドラマだった。
最終回ラストシーンで、中年となった田中健が中年の中村雅俊と東京駅で別れる際に言う。
「会おう。歩ける限り、命ある限り」

高校時代、三羽ガラスともいわれたモリちゃん、我輩、タナカのケイ・・・ケイはすでに死去。
「ケイの奥さんには会ったことないなぁ・・・」と我輩。
「結婚式で友人代表スピーチしとったやん!」とモリちゃん。
・・・コレも記憶から脱落してた。
京都岩倉の学生下宿で一緒に呑んだNは有名プロデューサーとなったというが彼も亡くなったと今回の酒席で知った・・・そんな話題経てモリちゃんと鹿児島空港10時55分発JAL搭乗で別れる際、ドラマ「俺たちの旅」のラストシーン思い出していた・・・。

モリちゃんは退職後、近所に土地を買い、趣味で畑仕事をしている。
サラリーマン時代は車通勤ゆえ我輩のように飲み歩くこともなく、タバコはとっくに辞めている。もうひとつの趣味は金ためてのキヨさんとの国内旅行。
羨ましいと思った。
が、いま思えば我輩のようなタバコと恋と酒漬けのキリギリス的人生、これら控えれば「俺だって旅行ぐらい!」と・・・。

前回記したフリーマーケットも終え、もう何ヶ月も立ち入っていずして再度荒れ果てた書庫の整理を11月7日から開始している。
10日に書架の整理に取りかかり始め、読みたい本、読み返したい本ばかりが目についた。
もういつ死んでもおかしくはないおのれの年齢のこと思うとこれらの本、読み尽くさぬままとなることが残念至極。
ゆえに11月中に書庫と我が部屋の本の整理終え、恋はもうウンザリだけどモリちゃんに習いタバコを辞め、酒を控え、書庫を安楽安息の場所に作り変え、死ぬその時までそこで本を読み続けようと決めた。
ゆえにこの「呑酒暦」連載も今回で最後とする。
以降は「その月の特異な出来事の記録であ〜る」がメインとなるだろう・・・。

※弟アキオくん、ありがとう。モリちゃん、キヨさんありがとう。目覚めさせてもくれて!これから俺はアリ的人生を送る!・・・かな?

「ガジュ丸の呑酒暦」完?

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