463「ボクのビブリオエッセー」

8.6.tue/2019

かつて「ボーイズライフ」という少年向け月刊誌があった。
小学生の頃、SF短編を投稿。
超電子顕微鏡が発明され、それによって人体の細胞のなかに「宇宙」が発見される。そこには地球に似た星が。そして顕微鏡を覗いている自分もいて・・・という筋だった。が、ボツ採用・・・。

我輩の住むK市住人ではないにもかかわらず、我が弟が市舞台の「鬼ガール!!」という、この春から現地撮影の映画エキストラの一員として堺から出向。朝から晩まで参加していたという。

この長編映画着手の前夜祭で、同スタッフによる同じく市舞台の短編映画3作品が地元で上映済みだ。
それを鑑賞中の我輩、その面白みのなさに後ろめたさ感じつつ会場から一人途中退出してしまった話を以前記したけれど、この夏にかけその長編作がK市で撮影されていたわけ。
地元住人のエキストラ募集は知ってはいたけれど、作品に期待薄なのと交通費もなしの「無給」ゆえ下流市民の我輩は応募せず。それでも参加の好き者の弟いわく「面白なさそうな映画やで」

そんな彼は1,2ヶ月前、産経新聞読者エッセー欄にも投稿。これも記念品のたぐいなしとか。
以前、「御巣鷹山日航機墜落事故」のテレビドラマでの話だったか、新聞記者が投稿「マニア」への侮蔑的発言のシーンがあり、以来そのたぐいの記事は「この人らヒマなん?」と目を通さなくなっていた。
が、弟掲載作読んでみて「へぇ、結構採用されるもんや?」と、日々この「墨丸亭綺譚」したためているゆえそんな一文を「ボーイズライフ」以来半世紀ぶりの7月18日木曜、人生二度目の投稿。夕刊連載の、本にまつわるビブリオエッセー欄だ。

7月30日火曜、知らぬ番号から携帯不在着信3件。返信してみた。
産経新聞本社だった。
で、投稿作について担当記者さん「面白いですねぇ。面白いです。作品の内容紹介がないのに伝わってきます、作品への愛着が。土曜か月曜掲載ですが、文字数超過なので修正カットよろしいでしょうか」なぁんて耳にすると無報酬でも嬉しいもんで、「おまかせします!」
以下がその投稿原文と掲載分(段落もそのまま)

★投稿原文

「山本周五郎全集」 新潮社

二十代の頃、朝の通勤電車内で手にした小説主人公「おさん」の行く末知りたく、「半休して読み切るか」。が、幸か不幸かそれは短編。
で、課長にまたもやにらまれることなくすみ・・・。
それからだ、夢中になって読み漁った山本周五郎先生の時代小説群。
三十代、古書店で「山本周五郎全集未収録作品集」全十七巻手にした際、はたと気づいた。
先生はもうこの世にいらっしゃらないんだ。読破してしまうとこの類なき優しさに触れることも涙することもできぬではないか?ああ、もったいない、と。
で、「わが晩年、最後の楽しみに」と、唯一敬愛する作家にもかかわらず、読み続けるのを中断。
四十代、脱サラ。わが姓と「日本婦道記」収録の「墨丸」合わせ命名の、本と映画好き集える酒場「墨丸」開業。
そしての六十代、病に倒れ、二十三年続けた店やむなく閉じての現在、近隣の方々ご利用をと、自宅倉庫改造の私設図書室「書庫墨丸亭」準備中・・・。
むかし女友達らに「『日本婦道記』の女なんていまどきおるかいな」と笑われたのはまさにその通り。
いま我が足元には、妹いわく「新婚当時の兄ちゃんの嫁はんみたいやな」の、ブラック&タンの毛並みで「墨丸」と名付けた雌犬が片時も離れずにいる。が、その我が手には「妻のトリセツ」なる本。
まさに光陰矢のごとし。後遺症残る身でいま書架の前にたたずみ、先生の作品のみならず、これら蔵書読みきらぬまま人生終えるかの歳に達してしまっていることに気づき愕然とす。

★8月2日金曜「ビブリオエッセー」掲載分

「日本婦道記」 山本周五郎

『その比類なき優しさに』

二十代の頃、朝の通勤電車内で手にしたのが山本周五郎の小説「おさん」。主人公の行く末を知りたくて、「半休して読み切るか」。ところが幸か不幸かそれは短編、課長にまたもやにらまれることなく、すんだ・・・。
それからだ、夢中になって読みあさった周五郎先生の時代小説群。三十代、古書店で「山本周五郎全集未収録作品集」全17巻手に入れた際、はたと気づいた。
先生はもうこの世にいらっしゃらないのだ。ここで一気に読破してしまうと、この類なき優しさに触れることも、涙することもできぬではないか?ああ、もったいない、と。で、「わが晩年、最後の楽しみに」と、ただ一人敬愛する作家にもかかわらず、読むのを中断した。
四十代、脱サラ。わが姓の「住(すみ)」と「日本婦道記」の中にある大好きな短編「墨丸」、同じ読みに思いも重ねて命名の、本と映画好きの集える酒場「墨丸」を開業した。
そして六十代、病に倒れ、23年続けた店をやむなく閉じての現在、近隣の方々のご利用にと、自宅の倉庫を改造して私設図書室「書庫墨丸亭」を準備中だ。
昔、女友達に「『日本婦道記』に出てくる女なんて今どきおるかいな」と笑われたのはまさにその通り。
今、わが足元には、妹いわく「新婚当時の兄ちゃんの嫁はんみたいやな」の、「墨丸」と名づけた雌犬が片時も離れない。
後遺症残る身で書架の前にたたずみ、周五郎先生の作品のみならず蔵書を読み切れぬまま人生終えるのか・・・それを思うと愕然とする。

※600字程度でという限定短文に慣れぬ我輩、文字数削除に一苦労。山本周五郎を周五郎にすればこれもまた文字数カットできたんだと、プロの各修正には「なるほどなぁ」
けれど、大好きでもないのに「大好きな短編墨丸」とか、「妻のトリセツ」部分カットは、この本持ってはいないけれどオチみたいなもんだったのにと、再度の投稿意欲生まれず(「記念品のたぐいなし」だけど、掲載紙一部が後日送られてきた・・・)。

※470に後日談。

「ボクのビブリオエッセー」完

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