465「夢か、まぼろしか?」(後編)

8.17.sat/2019

★まさに、白昼夢

ふと右手に目を向けた。
「コ、ココは!?」
と驚いたのは、散策中のとある商店街右手の路地の雰囲気。そしてその奥にある居酒屋の存在。

これらはかつて「夢」に出てきたあの路地そっくりではないか?
梅雨入り前だというのに蒸し暑いこの日の正午過ぎ、汗だくで歩き続けてきた湊本通り商店街からその路地へ。
夢の中ではその店先を道なりに右に進むと、石畳の路地の左手にはこじんまりした飲食店建ち並び、右手は樹々の葉が覆いかぶさる黒っぽい板塀・・・が、実際その先も路地には違いなかったけれど石畳でもなく、左側には古い土塀がつづき、右はいま歩いてきた商店街各店舗の裏口・・・ここも夢の世界酷似ならば残る我が人生どうにかなっていたかも、大いなる存在というもの信じたかも・・・。

夢ではその路地、逆方向から歩いてきていた。夜だ。ほのかな店の灯りが人通りのない打ち水で濡れた石畳照らすなか「あぁ、こんなところに呑み屋街があったんだ」と、呑助ゆえ感激しつつ通りを抜けた先の居酒屋が冒頭目にした店だったわけ。
まるで異次元に迷い込んだような、つかの間のこれは奇妙な体験、まさに白昼夢・・・。

「肉体と脳に課されたすべての活動と同じく、夢にもひとつの機能、ひとつの目的があってもいいのではないか・・・。だが、どのような?秘教じみた妄言はいくらでもある。が、いまだかつて、だれひとりこれに科学的な解答を与えていない」
以前紹介のギヨーム・ミユッソ作「あなた、そこにいてくれますか」より。
次はかつての「今夜の迷言!」より。

ビデオレンタルショップで。
男「こんど『デジャブ』借りといてや」
女「『デジャブ』って意味なに?」
男「既視感」
女「・・・」
男「意味わかったんか?」
女「危機感やろ?分かるがな」
男「既視感って日本語自体、知らんとおもった・・・」
この男と女、あえて誰か言うまい・・・。
同様の我が夢についてはN0.286「夢の中へ」にも。

★5月26日(日)

まさに白昼夢かのその日、午前10時10分大阪ミナミ発の高速バスでこの地に降り立った。

駅前弁慶像の下で16時、半世紀ぶりに会う人々との待ち合わせ。駅というのはJRの紀伊田辺駅。南紀白浜の手前の街、田辺市の。
この地で青春時代過ごした我輩に案内状が届いたのが3月上旬。母校田辺高校演劇部21〜23回生の初の同窓会開催との知らせ。
で、この件プラスα(のことは後日)で4月よりバイトを始めていた。リハビリ兼ねての少々過酷な肉体労働。でないと旅費も参加費もありゃしない、店の借金も残ってるし。

捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったもので5月中旬、これも半世紀ぶりにかつて演劇部部室に出入りしていた合唱部のI女史と呑む機会が。
彼女によるといまは田辺〜大阪間の高速バスがあり、往復運賃五千円ほどだと。鉄道の半額ではないか。それも高速道路開通で2時間あまりの乗車時間と聞く。

そしてのこの日、集合時間まで青春の残滓求めて市内を横切る商店街など4、5本の通りを行ったり来たりしていたわけ。あいかわらず昼食も取らずに。酷暑のなか。
スタート地点の駅舎はこの地去ってから二度目かの大掛かりな改築工事中。ゆえに昔の面影など一切なし。通い詰めた映画館4館はすべて廃館。当時南紀で初めて開店したデパートの切荘は廃墟ビル。家族で数年住んだ官舎跡地は幼稚園に。屋根裏という名の城と名付けた我が下宿先は駐車場に変貌。かつて行きつけの喫茶店はもう一軒も見当たらず。292で記した親友Fクン実家の写真店も探してみたけれど区画整理でそのあたりは銀座大通りと化していた。かつ、こうして歩き回った商店街店舗ももう見知らぬ町のそれで、日曜にも関わらず人通りのないシャッター街・・・。

こうして3時間歩き回り、夕刻からの宴会に備え駅前ホテル地下でスパゲッティ・イタリアンという名のナポリタンを食す。
16時、駅前広場に出ると目の前に停車した車から今回の参加者Nクンが降りてきた。そしてそのすぐ後ろの車からは先輩のU女史が。ともにひと目で彼らとわかった我輩なのに、彼らふたり並んで立っているにも関わらず互いの存在、まるでの見知らぬ同士。
U女史とは半世紀ぶり。前述のI女史もそうだったけれど、お顔が少々老けた様子だけで声などかつてのまま。まさにこれらも白昼夢のよう・・・。

同窓会宿泊先がこれまた・・・漁村の入り江を船で渡ってたどり着くという、その着地先の岬ただ一軒の建物「市江崎荘」(白浜町日置1573−4 0739-52-2374)。
宿泊客はその日、我輩ふくめ6名のグループのみ。うち3名はそれぞれ墨丸時代に店に来ていただいていた方々。
18時からの会食後さらに飲み続け語り続けたのは我輩とこれも半世紀ぶりにお会いした、当時裏方美術担当の先輩、現デザイナーのY氏のみ。で、こうして腰据えて呑み始めるとあいかわらずの午前三時まで。我が病後、泥酔もせずこうして延々と喋りかつ呑めるようになったのはなぜだろう?

特にお会いしたかった先輩方のお一人は亡くなられ、お二人は闘病中とか。お一人は遠方過ぎての不参加。
同期S女史は行方しれずとか。その他の仲間はそれぞれの都合で不参加だったけれど、亡くなられた方のことなどこの日初めて知ると、まさに光陰矢の如しの思い。
来年もこの会開催とのこと。過酷なバイト労働、続けねばならぬ・・・。
が、この夜の宿泊宴会費、酒代込みで一万二千円。新鮮魚料理でこれは安い。

★5月27日(月)

この日は我輩もう一泊し、駅前飲食店街「味光路(あじこうじ)」で誰かと呑む算段だったけれど、いつもの「3時まで飲酒」の疲れで午後早々の高速バスで帰阪す。
この小旅行自体が白昼夢・・・つげ義春描くところのシュールな劇画世界に迷い込んだかのようだった。

※9月に中学、高校の各同窓会がこの地で開催される。
当時からクラスメイト大半の氏名も覚えずの学生生活だったゆえ、それらはパス。代わりに今回断念した駅前飲食店街で気のあった仲間と呑めないかと考えている。

「夢か、まぼろしか?」完

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