504「コロナ禍の愉快な夜」

10.21.Wed/2020

★「ああ、愉快である!」

なぁんて言葉がでたのは、10月19日の月曜夜。
2年ほどぶりか、墨丸会員テラ吉くんと会うのは。
地下鉄西田辺駅で17時30分待ち合わせ。
改札出たところで壁際に立つ男性がマスク姿なのにもかかわらず、すぐテラ吉くんだとわかった。声かけると彼は一瞬怪訝そうだったけれど。
というのも、のちほど飲み会場所で合流の墨丸会員マ女史とともにおっしゃるには、我輩のこと「以前とは別人」「声にハリがあって墨丸時代に戻ったみたい」などと。
9月中旬の飲み会でも墨丸会員チャンさんら同様の弁だったこと思い出した。
以前彼らに会った際の我輩、病後の雰囲気アリアリだったらしく、声弱々しく呂律もあまり回らずだったとのこと(自分ではまるで自覚なし)。
今夜など「杖ついて来られるんじゃないかと思ってました!」とテラ吉くん。

・・・そうだったんだ。
今まで誰もそんなことおっしゃられなくって、気を使ってくれていたのか。
もう1年半にもなるリハビリ兼ねての肉体労働バイト、効果の程は「?」と前回も記したけれど、医師に「なかなか以前の体調に戻らないんですが」と問うと「現状維持できているのだ」との回答通り、傍目ではやはり効果が?と少し納得(少しというのも、自分としては以前のほうがはつらつとの思いありで)。

この夜、チェーン店の焼き鳥屋飲み放題終了後、財布出すとテラ吉くん、頑として会費受け取らず。
「なんでやねん!?」「墨丸でおごってもらったり、呑みに連れってくれたりお世話になりっぱなしですから」と。
我輩覚えてもいず。墨丸に出入りしはじめた大学生の二十歳だったその彼も、もう40歳。アッという間の月日の流れ・・・。
ならばとご招待のつもりで二軒目誘うと、もうお腹いっぱいという彼らに「じゃあ、酒だけ」と、我孫子のアキラさんのバー訪れるも、休み。ゆえに並びにある懐かしの居酒屋「なじみ」へ。コロナ禍で今年はじめての訪問。

※はじめて知った。焼き鳥屋で飲み放題タイム終了し、まだ肴も残ってることだしと単品で飲み物追加しょうとすると店員「できません」。最近、たいていの店で単品注文しての延長不可が多いという。一年近くも外出自粛していると盛り場システムも様変わり・・・これもコロナ禍のせいか?不可解!

この日は夕方まで雨だったゆえバイク使えず、我輩バスでの帰宅。
ゆえに22時過ぎ、勘定だけして先に出ようとするとマ女史「前はもっと遅くまで呑んでたやん!」「いや、今夜はバスゆえ」と、勘定しようとするとテラ吉くん「いえいえ、ここもボクが!」(なんという奴だ・・・)。
「ならばこの金でタクシーで帰ろう!」とふたたび席につき・・・結局テラ吉くん、千円しか受け取ってくれなかった・・・。

この夜の我輩、なぜか「愉快なり」なんて日頃使わぬ言葉をたびたび口にしていた。
その帰り道も「ああ、愉快だった」とつぶやいて、「はて、愉快なり、なんてなんの映画のセリフだったっけ、小説の言葉だったか?」と思い巡らすも不明。
翌日、酔いが冷めて思い出した。
それは、本来のテレビ番組取材目的から逸脱し、サカイなる元日本兵の裏の顔が偶然暴かれることとなる、傑作ドキュメンタリー「日本兵サカイ・タイゾーの真実」、200で紹介の下記文言からであった。その番組観てもう何年もたつのに口にしていたなんて・・・。

『機密性の高い、戦略的に重要な人物を収容するという米国の秘密捕虜尋問所「フォートハント」で、サカイと同室となった海軍大佐の戦後の手記「生ける屍の記」にサカイとの交流の箇所がある。番組で紹介された一節が「二人きりになって昼食を共にし、散歩を共にする。愉快である」』

「コロナ禍の愉快な夜」完

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