545「12/28/2021」(再会)

02.20.日/2021

昨年の510「12/28/2020に続く、我が誕生日のお話。
ああ、アッという間の一年!

★当日、12月28日火曜日は・・・

どこの県だったか、酒場の営業規制せずとも他府県とコロナ罹患者数変わらずとの新聞記事読み、優柔不断でやはり期待はずれだった現総理に比べての、その県知事英断に拍手の感の頃、産経新聞コラム「花田紀凱の週刊誌ウオッチング」では、”コロナに関して、ぼくが最も信頼している木村盛世さん(医師、元厚生労働省医系技官)にオミクロンについて聞くと、ひと言。「ただのカゼでしょ」”
というわけでもないでしょうが、ようやくお声かかりはじめての呑み会参加の昨今(罹患しやすい年代ゆえ感染源となってはと、我輩からのお声がけはいまだ遠慮中・・・)。

実は我が誕生日、昨年同様、ひとりで呑みに出かけよう・・・と、その矢先、室内の観葉植物の鉢ひっくり返し、土かき集めたチリトリ二度もひっくり返しての土だらけの部屋で茫然自失。出かける気力喪失し、録画映画「カイジ」三部作をダラダラ観続けたのがその日の実態・・・。

★明けての12月29日水曜日

不幸中の幸いというか、お声がけいただいての翌29日、一年ぶりに墨丸会員チャンさん、チャンさん友人キムニィのお二人と再会。
キムニィ、仕事部署代わったとかで、長髪髭面に容姿変貌していたことが一年というブランクを感じさせた。
で、コロナ禍ゆえこれもともに一年ぶりの大阪住吉我孫子町の居酒屋「さかもと」、杉本町のスナック「安くて”すみ”ません」をハシゴ。

「さかもと」は昨年の我が誕生日にひとりで呑んでいた店。
で今回、予約していた四人がけテーブル席で我ら歓談し始めてすぐ、入口で「四人いけますか?」との女性の声。
大将「すんません、満席なんです」
で我ら、三席空いていたカウンター席に移ってあげた・・・のに、最後まで彼女ら四人じゃなくって我らと同じ三人のまま。それも我らに礼のひと言もなく。「アリガト」と言ってほしいわけじゃないけれど、憮然たる思い。

「安くて”すみ”ません」では見知らぬ女性がカウンター内に。
で、我輩に彼女「墨丸のマスター?」
かつて我が「墨丸」我孫子店近所の、ママが亡くなられ今はなきスナック「アルジャン」に勤めていたというその方、魅力的なのにまるで記憶になく、新鮮といえば新鮮なひととき。
最終電車で帰宅。

★その翌日、12月30日木曜日

この日の夕暮れ時、二日酔いでかったるいながらも我輩、ふたたび住吉にいた。
というのも昨夜の皆との別れ際、チャンさん我輩に「キムニィ、スナック気に入ったみたいやから明日も付き合ったってや」と。キムニィ、昨夜が初めてのスナックデビューだったのだ。真面目、すぎる。我輩と正反対の、アリとキリギリスならばアリ人生歩んでいる方がここにもいらした(我輩も真面目だけど)。

チャンさん「さっきの店、明日の予約入れときましたから!」と言い残し、ひとり去る。
「安くて」はチャンさんの奢りだったようでその提案無下にも断れず(断る気もなかったけれど)、キムニィに「同じ店より違うとこも行ってみたいでしょ?」と、地下鉄我孫子周辺の店に変更すること提案し了承の泥酔キムニィだったのだが・・・。

年末だということを失念していた。
かつて行きつけの我孫子の店々すでに正月休み。
で、キムニィに予定変更する旨、メール。
と、「二日酔いで起き上がれません・・・」(予想範囲内!)
で、スナック行、あっさりキャンセル。

が、コレには「ホッ」
我輩もこの日、二日酔いゆえ呑む気分ではまるでなかったのだ。
さらに、かつてキムニィ宅での酔っての一宿一飯の恩義というものがあり、コレで貸し借りなしだと、これまた「ホッ」
「安くて”すみ”ません」にもチャンさんかってにの予約キャンセルの電話を入れる。

あいかわらず朝から何も食べていず、目の前の「王将」に入る。
グラス生、餃子と焼きそばセット注文。
でも病の後遺症の少食体質いまだにで、焼きそば食べれずの年末30日・・・。
早々に帰宅。

★新年1月11日火曜日

年明けのこの日、なんと十年ぶりに、かつて我孫子町の阪和線線路沿いにあった居酒屋「きた越」(恒例 墨丸忘年会でもお世話になったお店のひとつ」)の大将と再会。「あけおめメール」に「今年こそ会いましょう!」とあって。

指定待ち合わせ場所は、西成ジャンジャン横丁南口、夕刻五時半。
我輩、四時過ぎには懐かしの新世界到着。
早めに来たというのは、二十代の会社員土曜半ドン時代、当時は若者など皆無のガラの悪いこの地にある「新世界国際劇場」で土曜午後、洋画三本立てを八百円で観たあと、ジャンジャン横丁の、少々知恵遅れの姉と、ちょっと魅力的な妹さん二人で切り盛りの小さな焼鳥屋で酒を呑むのが習わしだったゆえ、久しぶりにこの地、散策してみようかと。

けれどもその国際劇場、かつての広い入り口は倒れかかった板戸で締め切られ、切符売り場にはシャッターが・・・なのに、上映中との「最後の決闘裁判」ポスターと絵看板が。「今日は休み?映画館が?」と去りかけて気づいた。
その劇場の地下はポルノ邦画上映館「国際地下劇場」
で、その入口脇に自動券売機が二台。
ということは、どっから入るかわからぬが、国際劇場健在なんだ?

この地下劇場で、我が小学校低学年時、祖父に連れられ生まれて初めて洋画を観たのだった。
ピエトロ・ジェルミ監督・主演の「刑事」を。1959年のイタリア映画だ。
満足に字幕も読めぬ年齢で、ストーリーちんぷんかんぷんだったけれど、刑事役のジェルミが祖父と同じ口ひげだったのと、ラストシーンで男が連行されるパトカーのあとを泣きながら追いかける恋人(だったか)のクラウディア・カルディナーレの姿と(後年、女優名知る)、主題歌「死ぬほど愛して」の”アモーレ、アモーレ、アモーレ・ミオ”の、その歌詞部分だけが脳裏に焼き付き、それを風呂場で何度も喚くように繰り返し歌っていたことを思い出す・・・。
劇場前は広い駐車場と化していて、かつてそこに何の建物があったのか、これはまるで思い出せず。

近くの「新世界東映」では、なんと1960年の山城新伍主演「白馬童子」、1964年の舟木一夫、本間千代子の「君たちがいて僕がいた」が。さすがの新世界。
当時、新世界の映画館は禁煙表示あるものの、女性客皆無の、観客オッサンのみでタバコ吸い放題。
我輩、愛煙家にも関わらず、劇場出ると身体中がタバコ臭かったことも思い出す。ホモの痴漢も多かった・・・。
で、待ち合わせ時刻まで喫茶店で時間潰そうかと・・・が、どこも店内禁煙表示。映画館内はどうなったんだろ?

待ち合わせ時刻の五時半。
そういや大将の顔、もううろ覚え。
マスクしてるとよけいわからんやん、と思いきや、10数メートル先に現れた、真面目を絵に書いたような風貌の自転車の大将、マスク姿にも関わらず、すぐ判明。

昔、店裏にはいつも犬猫の骨が転がっていると噂されていた、いまや有名串カツ店のあるジャンジャン横丁はどこも混雑。
で、より治安悪しといわれ我輩は立ち入ったことのなかった南商店街へと二人して足を向ける。
このあたりにもある安宿は一泊千円。昔に比べ小綺麗な感じ。酔えば泊まれるか。
行き着いたのは、三角公園脇の居酒屋「成り屋」
ここも混んでたゆえ、ビールケースが椅子の店外のテーブルに落ち着く。

脇の路上では数人の男たちが口喧嘩中。
この地では珍しくもなく、話に夢中の我ら気にもとめなかったけれど、気づけば7〜8人ものポリ公が。
で、ポリ公、我らに「店のガラス割った現場、目撃してませんか?」などと聞いてきたり、この地にふさわしくないかの白いドレスの女が入店と思いきや、顔は化粧っ気なしのブサイクなオッサンだったりと。さすがの新世界。

「きた越し」は十年前、大家の都合での立ち退き迫られての閉店だったとか。それもあって、大家所有のマンション一室を格安で借りているという。それ以前の離婚のこともあり居酒屋仕事への意欲喪失。今は宅配業だが居酒屋再起したいなどの話で盛り上がりつつも、寒風にさらされての大将「寒い、寒い」と言い出して、二軒目へ。
途中、要塞化している消防署、警察署を案内してくれる。
そういや、ジャンジャン横丁入り口にある交番の検挙率は日本一だと聞いたことがあった。

二軒目に落ち着いたところで、墨丸時代のお客の話題となり、大将からとある墨丸女史会員の名が。
「じゃあ電話したるわ」と我輩。
で、住吉我孫子の居酒屋「なじみ」にて後日、三人で呑むことに。
最終電車で帰宅。

★1月13日木曜日

一年以上ぶりの「なじみ」にて、上記発端での三人呑み会。
ふたりとも我輩より十才ほど若いが話は弾み、最終電車で帰宅。

★1月17日月曜日

この日は、阪神百貨店催し物会場での質流れ品セール最終日。
手持ちの腕時計質入れし、安物に買い替え下流生活費に充てようかと梅田の現地へ。
が、展示品すべてブランド品。高価すぎて手が出ず。
久しぶりに、大阪では一番美味いと思うカレー専門店「インデアンカレー」で朝昼夜兼ねての食事。
が、病後の味覚障害いまだにで、かつての旨み味わえず。これで日頃のインデアン食えぬ煩悩解消か。

帰りに再度「なじみ」へ。
客いず、おかげで女将さんから興味深い話を数々聞けた。
昨年5月、女将さんが仕事終え明け方帰宅すると、旦那さんが服を着たまま湯船で死んでいるのを発見。警察に疑われたとか(心筋梗塞と判明し嫌疑解消)。当時、睡眠1時間(!)だったという朝まで営業時(今は16時〜24時営業)のうたた寝中(我輩も何度か目撃)、客に売上金を数回盗まれたとか、75歳の老人客にレイプされかけたとか。それらが皆常連客らしく・・・さすがの我孫子?

客が入り始め、「なじみ」出て気づいた。
「あの看板の灯りは?」
コロナ第一波の頃、訪れると閉まっていて電話も通じず、その後も閉まったままの居酒屋「こちぶ」が開いていた。
我輩、帽子にマスク姿なのに、女将さん「墨丸のマスター!」
出産でしばらく店を閉めていたという。
子育てで、現在は月火金土のみの営業とか。

と、携帯着信。
「なにしとん?」
墨丸会員44号女史だった。
こうして日頃メールくれるのは、我輩がヒマ持て余している日常熟知している墨丸顧客の古株ゆえだ。
で「こちぶ」は初めてという来店の女史と呑み語らい、女史の義理の息子が居酒屋を我孫子で近日開店すると聞く。
後日その店で呑もうと約束し、またもや最終電車。

★1月25日火曜日

入院中の母の面会日。
年末に具合悪化し、介護施設から総合病院に移っての死を待つばかりの身となったゆえ、リモートではなく防護服着ての面会を実弟とふたりで。が、意外にも元気で・・・。明日は妹らが面会。
面会後、弟ゆえ遠慮せずに「我孫子で呑もか」
同乗の彼のクルマを堺の自宅に駐車し、彼の自宅に寄ったのがまずかった。
彼の女房「コロナやのに、何考えとん!」と弟に一喝。で、あえなく外出中止。家飲みとなる・・・。
最終電車で帰宅。

と、オミクロン急激に蔓延しはじめ、再び酒場営業自粛となってしまったのであった・・・。

「12/28/2021」第二部(会えぬ友)につづく

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