548「12/28/2021」第二部(会えぬ友)

04.08.金/2022

第一部(再会)は、我が誕生日をきっかけに、久々に会った人々のことを記した。
第二部では、会えなくなった友のことを・・・

★小学校時代のF・Aクン・・・

第一部での西成の新世界という地で、見かけやせぬかと思ってしまうかつての友がいる。
我が人生で最も古い友F・Aだ。
大阪の小学校入学時の同級生だったFは母子家庭で一人っ子だった。
そのFの家が貧しかったことに気づいたのははるか後年になってからである。

小学校入学の1950年代は貧乏なんて当たり前の時代。
親に連れられ観た映画でも敗戦後の貧しい家庭の作品が記憶に残っている。
「かぁちゃん、しぐのはいやだ」(しぐ=死ぬ)とか「にあんちゃん」「綴方教室」などだ。
かえって、同級生でラジオドラマの子役をしている女子とか、テレビドラマ「ローハイド」のテーマソングを英語で歌える男子とか、庭が芝生でコリーなんかの洋犬を飼っている家の子とか、見るからに裕福そうな服装の彼ら同級生のほうが目立っていたかもだ。だからといって、そんなことを意識して遊ぶなんてことはなかった良き時代でもあった。
だから後年、小学校入学時の記念写真目にしたとき、クラスメイトが比較的新しい私服や制服姿なのに、Fひとりだけが古ぼけたセーターと長ズボン姿で肩をすぼめて写っているのに気づき、初めて「貧乏」を意識したのだった。

そんなFは、絵が、といっても漫画チックなそれがとても上手く、うらやましかったことを覚えている。
我輩が父の仕事の関係で転校繰り返すなか、大阪で再会したのは成人前後だったか。
当時のFは中学卒業後、酒屋の配達の仕事をしていた。
そんなときFと居酒屋で呑んでいると急に不機嫌になることがあった。
「周りの声が」と、「音感」が人より秀でていたようで「喧騒」が耳に障るのだという。それもあってか、オーディオシステムには凝っていた。そのなかからオープンリールデッキをもらったこともある。音楽音痴の我輩、それを持て余したことも今となっては懐かしい思い出・・・。

我輩が脱サラしての酒場墨丸開業後、その長居2号店に時たまFがやってきた。
その頃、母親が施設に入ったと聞いた。その原因だったか、母親と住んでいた長屋の借家に西成の新世界で知り合ったという男らが出入りし始め、家を荒らされたという。それで立ち退き迫られ、ついにはF自身も西成ドヤ街住まいとなったとも聞いた。

Fのその知人らが墨丸で「Fにツケといて」とタダ酒を飲まれることもあったとき、呑んで早々に帰ったはずのFが長居の裏通りに座り込んで寝ているのを仕事帰りの朝方、クルマのなかから見かけた。
普通なら起こして我が家に連れ帰っただろう。が、我輩はそうしなかった。警察に「路上で寝ている人がいる」と通報し、連れ帰らなかったのだ。

その後、墨丸が河内長野の千代田に移転し、あの夜にFを見かけたのが最後となってしまった・・・が、この件に関しては、過去の我が数々の愚行思い出しての自分自身への悪態つくこと(455「嫌悪感って?」参照)がなかったのは、アンパンというあだ名でFを呼び捨てていたその知人らとともにFに対してもウンザリした気持ちがあったからかもしれない・・・が、前回記した1月11日の新世界行のときもそうだけど、西成や隣接の天王寺界隈に赴くと、出会えぬか、元気だろうかとつい思ってしまうと同時に、あの最後のFの姿をも思い起こさせる、F・Aの馬鹿、俺の馬鹿・・・。

★中学時代のK・Tクン・・・

ここ数年、年賀状が途絶えている紀北での中学時代の友K・T。
今年も年賀状に代わる「あけおめメール」返信もなし。
で新年早々、直接ケータイに電話してみた。
呼び出し音鳴り続けるも出ず。
と、翌日の朝、電話がかかってきた。
で我輩「なにしとんや!どうしたかと思てたやんか!」
でもその相手「あのぉ〜どなたでしょうか、そちらからの着信あったもんで・・・」と、まったく別人の男の声。

転校の多かった我輩、紀北中学の同窓会開催時には住所不明者という我輩に「同窓会あるで、行こ」と声かけてくれたのがKで、それは墨丸千代田3号店時代。
その後、南海電鉄を早期退職かつ離婚したとかで、夜更けに彼のクルマで「このマンションに元妻が住んどるんや」と、狭山市だったかのそのマンション前にしばしクルマを停めていたのが彼と会った最後だった。
なぜ離婚したのか、退職後の生活などの話はもう覚えていない・・・Kの家は高野山麓の南海高野線沿いの村にあったはず。一度訪ねてみよう・・・。

★高校時代のK・Rクン・・・

永年、年賀状のやり取りだけとなった南紀での高校時代の友K・Rは和歌山市在住。
昨年正月、珍しくも電話があり「コロナが落ち着いたら難波ででも会おう」とわざわざ言ってきたというのに、今年はなぜかなんの音沙汰もなし。我輩も母の入院等で年末バタバタしての賀状出せずで・・・。

年明けにKの自宅に電話をかけてみた。
毎回呼び出し音、鳴り続けるばかり・・・。
Kも離婚者で一人住まいのはず。孤独死ちゃうかと、コレは心配になった。
で、ハガキを出した。誰かの目に止まれば何らかの情報得られるかもと。
と即日、本人から封書が届いた。
年賀状書きはやめたという(だからの昨年の電話か。賀状中止は知人にもいるが、どうして皆やめるんだ?やめると通知しろよ!)。
電話は、勧誘が多いんで出ないという(留守電に切り替えろ!と言ってやる)
で、ふたたび「コロナが落ち着いたら難波ででも会おう!」となる。

★バイト時代のI・Hクン・・・

二十歳前後の頃、様々なバイトをしていた我輩。
Iとは、阿倍野の豆菓子製造所で出会った。
その時のバイト仲間は我輩ふくめ三人。仕事終えての呑み仲間の三人でもあった。
特にIとは互いに映画好きということもあって、我がバイクで高野山の祖父宅に泊まりがけで出かけたこともある。男の長髪が流行っていた頃だ。
Iのことを「男のくせに髪など伸ばして」と苦言を呈した祖父が、次に会ったその祖父自身が髪を伸ばしていたのには驚かされたものだ。が我輩、そんな祖父が好きだった・・・。

その後、松原天美の新規開店スナック「シェーン」のバイト仲間としてTを誘ったり、堺東のクラブ勤務に声掛けしたりしたのがともに二十歳の頃。そして我輩がそのクラブ「さっぽろ」辞めた夜、432「実録/サッポロの夜」(崩壊)で記したようにバツの悪い別れ方をしたゆえそれっきりに・・・。

そしてのはるか後年、377「実録/サッポロの夜」(歌手 御堂明さん)登場のクラブ専属歌手御堂さんと偶然の再会をしたことがきっかけで、御堂さん経営の居酒屋でTの話が出た。そして「電話してみよう」となったが、昨今の個人情報保護とやらで個人電話帳などありゃしない・・・そしての昨年、図書館にその電話帳が、全国の個人電話帳があるのに気づいた。そして、あった。堺在住の彼の名が。
居酒屋「御堂」に赴いた際、御堂さんとともに電話をかけてみようと思っている・・・。

★サラリーマン時代のK・Kクン・・・

夜のバイト生活から抜け出しての、初めてのホワイトカラー就職先は、単に堅実そうとの思いから(失敗だった)、全労済の近畿地方本部に。
※ここからサラリーマン時代の「負の歴史」を記し始めたんだけど、長文過ぎるので後日、別項で記すことに。

そこでの同期生がK。
当時は土曜半ドン時代。
(ここで「半ドン」って?と思った。辞書で調べると、オランダ語の「ドンタク 日曜日」が語源とのこと)。

その土曜日、前回記した新世界国際劇場に三本立て洋画を観に連れ立って行ったのがKだった。
我輩同様Kも酒好きで、毎夜のように飲み歩いたものだ。
が、我輩が退職決意した頃に、Kは酒を呑めぬ身体になってしまっていた・・・。
で、我が父が亡くなった年に賀状出さなかったのをきっかけに、我輩の重なる転宅、墨丸店舗移転等も重なって互いの音信が途絶え・・・。

と、438「ガジュ丸の呑酒暦 神無月(宮崎編)」で、高校時代からの親友モリちゃんの宮崎県宅での酒席で「Kちゃんから今でも年賀状くるで」と聞かされた。
そうそう、生まれも育ちも会社もまるで異なるのに、冒頭の小学時代の友F・Aふくめ、Kも若き頃の呑み仲間グループの一員だったのだ。モリちゃんにKの住所を聞き、連絡してみよう。酒が呑めるようになっていたら良いのだが・・・。

★続・サラリーマン時代のI・Tさん・・・

I・Tさんとは、449「三ケタ番号の人」登場の、全労済につづく就職先ダスキン(この就職は失敗ではなかった)での先輩イダさんのことだ。

我輩がダスキン入社時の研修先が兵庫県の宝塚や箕面ストアだった。
当時、大阪府の河内長野在住の我輩「通勤に片道3時間もかかるんや。大阪と東京往復しとるみたいや」と愚痴っていたものだ。
その宝塚ストアでの副店長が、我輩より少し年下で独身のイダさんだった。
その後、イダさんとともに本社勤務となり、お猪口を口に運ぶ仕草しつつ呑みに誘ってくれていたものだ。
そしてイダさんが別の事業部(ミスタードーナッツ)に異動後も社内電話でお誘いがかかり・・・このあたりのことは上記449に記したのだけれども、当時の呑み仲間グループで従兄弟のK・Sが(従兄弟までもが我らの呑み仲間グループの一員だった)「兄ちゃんだけや、あの頃の仲間で無キズなんわ」といまでも言うが(兄ちゃんとは我輩のこと)、Kは当時行きつけの酒場の女と結婚し離婚。イダさんもホステスと結婚し、某国に出国したまま行方知れずに・・・。
ああ、もう一度、あの、お猪口を口に運ぶ仕草を目にしたい・・・。

★そして・・・

こうして「会えぬ友」のことを記してきたけれど、記しながら最も会いたく、そしてもう一度話してみたく痛切に思うのが、292「屋根裏という名の城 」登場のF・Mクンだ。

465「夢か、まぼろしか?」でも彼の実家探してみたけれど、区画整理で家など姿形もなく・・・で、前述「バイト生活時代のI・Hクン」の項での個人電話帳、このFの実家の電話番号を調べようとしてのことだった。
が、数軒登録のF名宅に電話すれどもすべて別人宅。Fの家のこと自体知らぬと皆が言う・・・。
南紀に赴いた際、市役所で調べてみようかと思っているが・・・。

「12/28/2021」第二部(会えぬ友)完

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