555「春のひととき E」(三人目の、久しぶり!)

05.16.月/2022

「《探偵ナイトスクープ》の話みたいやん!」
と、人にいわれた、548「12/28/2021」(会えぬ友)で記したバイト時代のI・Hクンとの、今回はその再会話。というのも、紆余曲折経ての、それは半世紀ぶりもの再会ゆえ。

★50年ぶりのI・HクンはO型。

コロナ渦で長らくご無沙汰の酒場「御堂」に出かけた。
いままでにも記してきたように、御堂さんは我が青春時代、友人I・Hと共に働いていた水商売時代の我らの先輩。
また、御堂さん自身もIに会ってみたいとの事ゆえ、御堂さん同席の上でIの自宅に電話しようとこの日、図書館の個人電話帳で発見の、Iの自宅番号メモ携えて出かけたわけ。

御堂さん「え、分かったんかいなッ」
で、我輩緊張しつつ、御堂さんの目前で携帯プッシュ。
と、無情にも「現在その電話は使われておりません」

えッ?
「番号問い合わせって何番やった?」と、Iの氏名で局に番号問い合わせ。
すると「そのお名前でのは登録はありません」
御堂さん「死んだんちゃうか、50年もたってるんやから」
電話帳に掲載されてたのに、もう登録なし?死んだ?
・・・どうしようもなかった。

そしての後日、海外ドラマ観ていてのワンシーン。
主人公が電話帳のページをめくっている。
目当ての氏名を見つけ、その住所を確認する・・・。
そのシーンで思った。
「日本の個人電話帳にも住所掲載されてたっけ?」

再度、図書館へ。
う〜む、掲載されている。
電話帳なんて手にしなくなった昨今、詳細な住所まで記載されてるなんて忘れてしまってた。
かつ、前回の番号調べのときには番号しか目に入らずで・・・不覚。いや、あいかわらずマヌケな吾輩。

葉書を出した。
電話帳住所のI・H宛てに。
「もしやあなたは堺東のクラブで働いていたIクンではありませんか?」云々と。
前回、和歌山のK宛に葉書投函したのと同様、本人亡くなっていたとしても何らかの反応あるかもと。
と後日、電話がかかってきた。
聞いたことのない男の声で。
でも、「スミカワくん?」と。
Iは生きていた。
・・・50年もたつと声も変わるもんだ。

で、「御堂」最寄り駅、南海高野線北野田駅改札口で17時に会うことに。
御堂さんには事前に「カクカク・シカジカ」と、二人で店に行くこと伝言済み。
そして前回のKとの待ち合わせ時の失態あるゆえ、今回は余裕を持って、一時間余りも前に我輩、北野田着。
・・・あまりにも早すぎた。

駅隣接の、去年倒産した大手古本チェーン店があった場所はどうなったか。
南海本線天下茶駅のその跡地には古本コーナーもある田村書店となっていたゆえ、もしかしてと訪れてみると、そこは大手の進学塾に変貌。
けれども同フロアの堺市立東文化会館で、「思い出の堺とレトロ建築への旅」と題した写真展開催中。無料。
時間つぶしに入ってみた。
と、クラブ「さっぽろ」勤務時代の、1970年前後の堺東駅周辺の懐かしい写真パネルの数々も。
そして、I在住の堺大浜周辺の古い風景写真もあり、Iへの手土産にとパンフレット一部手にとる。

しかし50年も会っていないとIの風貌まるで変わってしまっているだろう。
声さえ変わってるんだから。
またKら旧友とは賀状やり取りしていたのに比べ、半世紀もの間、つながり皆無・・・。
ベンチで缶コーヒー飲んでいても、横のベンチに座った男が、前を通り過ぎる男が、もしやIじゃないかと思ってしまう・・・。
そしての17時。
改札に向かった。

改札口に一人のマスクした小柄な男性。
改札に向かって壁際でスマホ手にして立っている。
そんな男は一人だけ。
で、一直線にその男に向かう。
驚いたようにこちらを見たその目は、忘れもしない少しタレ目の、I。

互いにマスクを取る。
I「急に近寄ってきたから殺気感じたわぁ。でもマスクの隙間からヒゲ見えたから分かったわ」
50年ぶりの再会なんて、近年まれにみる、これは異常なほどの感動、感激。
子供の頃、小野田さん、横井さん以前にも南方で生存日本兵発見という出来事があったけれど、その本人と親族再会以上の年月経過しての再会なんだから。
が、前回の30年ぶりのKと共にの、この立て続けの旧友との再会。今後もまだ懐かしき人物との再会が予定されているゆえに、死ぬ間際にみるという走馬灯のような昨今で、少し怖い気も・・・もしかしたら我輩、もう死ぬ?

「御堂」に直行するとゆっくり話もできぬと、とりあえず駅前の串カツ屋に入る。
カウンターに座り、Iの顔を再確認。
アメリカ映画の特殊メーキャップで、若者がシワだらけの老人に変貌するシーンがあるけれど、まさにIはソレそのもの。10代の若者の顔にシワ貼り付けたような。
で、串カツ屋で時々我輩、彼の顔の前に手をかざし、特徴的な目から下を覆って相対。
すると、まさに十代後半だったIの顔。タレ目の。懐かしい。

Iが覚えていた昔のこと。
10代後半での豆菓子製造所でのIと出会った最初のバイト時代、同僚のもう一人は「ナガイ」という姓だったらしい。
聞くところによると、「ナガイ」はバイト辞めてからフィンランドへ。
そういえば当時、阿倍野アポロビル脇で黒マントの外国人がいて、我輩「マンガのブラックデビルみたいやん」というと、彼いわく「悪魔ってことやから聞かれたらヤバいで」といわれ、即座にそんなこと言えるヤツとは思っていたけれど、海外に興味あったのかと、なんとなく納得。
そして現地女性と結婚したという。
その後、帰国したらしいが、その彼とも50年近く会っていないという。

そして当時の我輩のことはというと「天然パーマのチリチリ頭。なぜかいつも高校の学生服姿。いっつも本を持ち歩いていた」
そうだった。深夜に職務質問されても堂々と高校生ではないと言い返せると思っていたのか、私服がなかったのか・・・。

そして我輩覚えていないのだが、河内天美のスナック「シェーン」で共に働いていた頃、常連だったというテンガロンハットの青年と三人、高野山の我輩の祖父宅に泊りがけで行ったという話。
前回のKも高野山に一泊したと言ったが記憶になく、テンガロンハット男のことなどまるで記憶になかった・・・アルバム引っ張り出して確認してみようと思うが、こうしたことを知ると、我が友人全員が高野に行っていたことになる・・・。

そしてクラブ「さっぽろ」は、我輩辞めた頃から客足悪くなりIも辞め、26歳まで堺東のスナック勤め。
その後、親戚の建設会社に就職。
いまやその会社の、なんと社長さん。
そして我輩知らなかったのか覚えていなかったのか、Iは幼少期に親を亡くし、親戚の家を転々。
我輩と知り合った当時も大浜の叔母宅住まいだったという。
本人いわく「ようグレんかったもんや」
まさに、と思う。

そして前回のK同様、彼もまたバツイチ。
・・・思えば我が友人、バツイチだらけ。
で、二人目の、これは愛妻だったという沖縄出身妻を肺ガンで4年前に亡くし、タバコをやめたという。
プレイボーイだった昔に比べ飲み歩きもしていないようで、O型とは思えぬカタブツ人間と化していた・・・我輩が変わらなさすぎるのかも。

そして、我輩やはりマヌケだと思い知らされたのが・・・I「電話がつながらんって言ってたけど、確かめたらつながったで」
我がメモ帳記載の番号を見せた。
と、本来「222」と連なるその「2」が、一文字書き漏れていた。
I・HのHである「裕」は、「ヒロシ」と読むんじゃなくって「ユタカ」だった・・・そういえばユタカだった。
だから正しくは「50年ぶりのI・Yクン」!
・・・どうりで電話つながらず、「ヒロシ」名義で登録もされていなかったはず、という偶然重なったとはいえ、やはり我輩、マヌケであったという、今回の結末。
もちろん、酒場「御堂」にも行きました。

「春のひととき」つづく

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