571「初秋、中秋、そしての晩秋 D」(晩秋、最後の日々 / 前編)

11.24.木/2022

★厳寒目前、キリギリス最後のあがき・・・

@ 9月30日の金曜日。
旧・奈良監獄、見学。

《監獄ホテル》改装工事前のラストチャンスということで、ゆったり一人席の日帰り見学バスツアー。
キャンペーン補助金五千円引き7980円のそのツアー、昼食付き道の駅巡っての(それも変哲もない二ヶ所)その金額、思えば「安くはないじゃん」
けれども、5年前まで使われていたという明治に建てられた重厚なレンガ造り監獄建造物群、壮観壮麗。購入の写真ポストカードのそれらは、まるでの芸術的建築群。生まれ変わる監獄ホテルにも興味津々となること必至の、いま必見の明治の遺産。

A 10月3日の月曜日。
《後発性》白内障、レーザー手術。

若き頃、眼科医に「目の色素が薄いので白内障になりやすいですよ」と指摘されていたにもかかわらず、その手術日到来ははるか後年、'17年秋のこと。
その、眼球にメスという恐怖体験については380「露出した臓器の話」で記したけれども、その恐怖ふたたび・・・。

発端は、右目で見る風景がかすみ始めたこと。
'17年手術時、金儲け主義眼科医との噂聞き及び、自覚症状なかったゆえ早すぎた手術感ぬぐえずだったけれど、今回初めてのその自覚症状。

現在通院の良心的かもの眼科医いわく「前回手術時に細胞が完全に除去されなかったことが原因です」
ふむ、ならば白内障症状、やっぱりあったんだ?くっきりはっきり視界も得られたし?
それでも、早すぎた感ぬぐえずは、先の医者への不信感ぬぐえぬゆえ・・・。
が、この後発性発症など珍しくもないとのことでその再発率、なんと50%!とか。
それほど細胞完全除去はむずかしいとはいうものの、これじゃ高額手術費支払って、さらに無謀なチップ要求されるようなもん・・・。

さらに我輩、'11年秋に「網膜裂孔」経験ゆえ※、後発性の治療に使うレーザーに裂孔治療跡が耐えうるか否かが問題での様子見で、幸いにも?その手術が延び延びになっていた、蛇の生殺しの日々。
が、その日がついに到来したのだった・・・。

※人生多々あるイヤな出来事についてはこのページには掲載せず。思い出すのもイヤで。
けれどもたった今、はほとぼり冷めたなと気づき、激烈な痛み伴うレーザー手術の「裂孔事件」については228「時計仕掛けのオレンジの悪夢」として記したけれども、記していない点にも気づいた。で今後、イヤな思い出の「太郎」「チビクロサンボ爺」各事件についても記そうかと・・・ふふふ。

再手術日決定しての我輩「またあのレーザー手術ッ?」と先生に問うと「1分ほどで終わる簡単な処置です」との優しいお言葉。が、レーザーなのにの不安は残り・・・。
でその当日、「再度の裂孔で片目喪失だと傷害保険っていくらかな、中古の軽四頭金ぐらいは出るかな、でも片目運転ってどうなんやろ」なんて思ってるうちに、痛くもなんともない処置4670円で、無事終了という、案ずるより産むが易しの結末。

B 11月10日の木曜日。
再びのK・Rくん。

554「春のひととき」登場のK・Rよりメールあり。
今年5月の30年ぶりかの再会時、彼が我輩の住むK市まで訪れてくれたゆえ、今回は彼の住む和歌山市に我輩が出向くことに・・・。

はやばやと午後1時半の私鉄に乗車。JR和歌山駅を目指す。
はやばやというのも、次以降は大阪和歌山の中間点で、互いの「生死」確認しあうためにも定期的に会おうということになっていた。で、中間点となる私鉄JR乗り入れの堺・三国ヶ丘駅付近の居酒屋、知人が居酒屋営む岸和田・下松のその場所など探索確認しておくための早めの出発。

けれども、通常なら電車乗車時間計1時間半ほどなのに、JR和歌山駅着がなんと待ち合わせの夕刻5時ぎりぎり。2時間もの余計なロス・・・文庫本よみふけり(川上未映子「へヴン」を)、乗り換えの三国ヶ丘駅はるかに乗り過ごし(この路線ではなぜか同様のこと、多々)、はたまた和歌山手前の乗換駅では待てど暮らせど目当ての和歌山行き電車に乗れずの不測の事態ゆえ。

我輩のいるそのホーム、なぜか目の前停車の電車は関空行きばかり。
そしてそのすぐ後に来る和歌山行きは、なぜか毎回素通り?
おかしい、おかしいと思っていると、我輩のいるホームはるか後方で、電車切り離されての発車システム。
この時も文庫本手にはしていたけれど、目前の待合室に視界遮られ連結切り離しに気づかなかったゆえのこと。けれどもこれは、駅利用新参者に不親切な駅アナウンスのせいでもある・・・。

駅前の居酒屋「多田屋」にてKと呑む。
と、Kの隣席カウンターに老人客座ったと思ったら、Kの膝に急に倒れかかっての意識不明。
老人、鼻水とよだれ滂沱と流しつつ、救急車で緊急搬送というハプニング。

独り暮らしのK宅で午前零時まで焼酎呑み語らう。
そしてのハプニング?
写真を見せられる。
この「毒カレー事件」の不浄の地、六十谷になど来たことはないという我輩に示されたその写真には、この地での若き22才の自分が写り込んでいた。高校時代の友人H・Mとともに。
まるで記憶がなかった・・・。

で、その共通の友Hの話となる。
我輩とは南紀の田辺高校卒業後も賀状のやり取りだけは続いていた。
しかしこの歳ともなると忌中の正月多くなり、それでいつしか賀状途絶えさせてしまった一人となっていた。
Kも、Hと同じ和歌山市在住ながら賀状やり取りだけで会ってはいないという。
それでKは我輩と春に再会後、三人で会おうと手紙を出したという。
が、その返信には、実家の家業が倒産して云々のことのみが書かれ、会おうとも会わぬとも書かれていなかったと・・・で、翌11日の和歌山名勝各地ドライブの予定変更し、H元気づけに自宅訪問しようとなったのだが・・・。

C 11月11日の金曜日。
つらい再会。

H宅を探していて、自宅とおぼしき家屋を見つけたのは我輩である。
走るクルマの車窓から、Hと同じ名字の商店屋号看板目にして。
クルマ停め、その店に入る。
レジにひとりの女性。
Kが声をかける。
「失礼ですが、こちらはH・Mさんとお知り合いのお宅でしょうか?」
女性、不審そうに「・・・Hの自宅ですが」
「わたし、高校時代の友人でKといいますが、Hさんはご在宅で?」
「ああ、毎年年賀状くださるKさん!ちょっと待って下さいね」と女性、店の奥に入り、しばらくしてHをつれて店先に出てきた・・・。

半世紀近くもご無沙汰だった、元高校英語教師のH。
ひどく目立つシミの多い顔貌ながら、その風体はむかしのまま。
その彼が述べるには、実家が破産し法的整理終わったにもかかわらず、Hはすでに養子に出ていたにもかかわらず、いまだ闇金融業者の取りたて続き、そんな生活は当事者でないとわからぬものだ。だからいまは知人らとの関係も絶っている云々と店先で。なぜ絶つのかも聞けぬこれは雰囲気・・・。
Kが我輩示し「彼、来週田辺に行くんやって」というと「田辺にはもう足踏み入れられん。田辺に行ってもわしがここにおること誰にもいわんといて」とも・・・。

十数分ほどの立ち話だったか。
奥に引き込んだままの女性(奥方)に挨拶もできぬまま我らは辞去せざるを得ずの帰りの車中、「座れとも言われんかったなぁ」「お茶も出んかったなぁ」と、ガックリしつつ話す我らであった・・・。

と、ここまでの記述、ネット通信急に途絶えてすべてが消滅。
で、もう中止とも思ったけれど、ヒマに任せて再構築。
いやいやながらのその作業、基本内容同じながらも前文とまるで違った記述となり、それでの後半記述「イヤさ」もなくなって・・・「晩秋、最後の日々」後編につづくとあいなりました。では、また。

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