579「キリギリス男、春の宴 @」(「喪失と倒錯」)

3.12.日/2023

『日本の春だ、日本人の歓喜だ。過去をして過去を葬らしめよ、昨日は昨日、明日は明日、今日は今日の生命を呼吸せよ。小鳥のやうにうたへ、そしてをどれ』 (種田山頭火)

ながらくこのページ、途絶えてしまっていた。
ゆえに「元気なのか?」メールなんかもいただいたりして・・・。
というのも、去年夏のページ空白期同様、エアコンいまだ故障中の(金なし直せず買えずでもう慣れた)自室、真夏のサウナに反し厳寒期は氷室。で、パソコン前に鎮座などとてもじゃないけどできなかったゆえ(・・・慣れてなかった)。
けれどようやく春めいてきた昨今、話しネタいくつかあるなかで、まずは予期せぬ「喪失感」抱いた話から・・・。

4年前の春のこと。
そう、それは2019年の4月23日(火)だった。
地元のペットショップにふらり立ち寄った。
犬飼うなら(そんな気ないけど)保護犬をと心に決めていたゆえ、隣接のブックオフ帰りの暇つぶし冷やかしで・・・)。

と、そこでとある小型犬に出くわしてしまった。
奇形のごとき短足やひしゃげた鼻面、ぬいぐるみのような低能犬(S・コレン「デキのいい犬、わるい犬」による)ではなく、これこそ「犬だ」という犬種に。
それも、安くて20万円もの高額値札付く犬々(買う人、金持ちやろな)のなかでそやつだけ、な、なんと3万8千円?
耳の形ふくめてのその容姿から「子鹿」の異名もつ「ミニチュア・ピンシャー」というドイツの猟犬だというのに?
ブラック&タンの毛色の短毛で凛々しく、まるで警備犬ドーベルマンの子犬のようなのに?

我輩「これだけなんで安いんです?」
女店員「小型の室内犬要望の方にとっては活発すぎるんです。で、敬遠されがちで」
別の女店員さん「頭のてっぺんだけ毛が白いのはゲージの天井に頭ぶつけて怪我した跡の生え変わりで」(この方、正直)。
そうか、ある意味、傷モノなんだ?その異名通り、跳ね回っていっときも落ち着かぬ子鹿そっくりな耳したそやつが・・・。

翌24日(水)。
その凛々しい勇姿忘れられずの我輩、考えた末(でもなく)手付金3千円握りしめそのペットショップへ。
そこで、プラス費用としてワクチン代など4万3千円要と知る。
あ?生体より高いやん・・・ゲージ値札説明見落としてた。どうしょ?

29日(月)。
始めたばかりの我輩バイト給料では購入費にはるか及ばず。
(ホントに)考えた末(というより企んで)、我妻リ・フジン(新あだ名「タリウムさん」)に「犬の散歩でリハビリを」(2015年夏の病の後遺症リハ)との大義名分かざし金借りての、人生初の身銭つぎ込んだ我輩だけの子犬が、この日から我が部屋の居候となった。

2018年9月6日生まれのメス。体重5キロ弱。
(誕生日占い本によると「自分のことより周りのことを優先する慈悲深い奉仕者」とあって、やはり犬は占いの範疇に入らんと分かった(当たりまえやろ。当たりまえか?)。
ちなみに我輩は「仲間と共に現場で汗流す熱血キャプテン」(現場至上主義なのだ)。あの、我妻リ・フジンはというと「永遠の子供」・・・)。

なんだけど、犬のメスには人のソレにはいまや失われたかの「優しさ」が(前述の「子供」は子供ゆえいまだ芽生えてもいず。が、子供特有の残酷さは有している)いまも脈々と受け継がれているのだ。
(万博の「ミャクミャク」はこのコロナ禍、バイ菌連想させ気持ち悪し。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とはよく言ったもんで、万博自体にも興味持てず。本文と関係ないけど)。
以前も記したけれど、飼い犬が逃げ出し呼んでも戻らぬとき、我輩死んだふりして地面に横たわる。と、メスは心配そうに我が身のもとに駆け寄ってき確保となるんだけど、オスは我輩の回りを面白そうに走り回っているだけ(回りを回ってるっておかしいか)。
で、この日、その毛色と活発さから「テンバ墨丸」と命名(テンバ=おてんば娘)。

その日からはや4年経過の2023年の2月28日(火)午前2時過ぎのこと。
我輩、そっと自室に入り、そっとベッドに横たわり、読みかけの飯野文彦「襲名」の文庫本そっと開く。
「そっと」というのは、我輩の気配察知したベランダのスミ起き出し「相手してッ」とガラス戸引っ掻き収まらぬからだ。
当初は自室で我輩と共にいたスミ、我輩が深夜入室するたびに起こしてしまうのが可哀想で、かつ犬は主人の姿を見ないと不安がるというゆえガラス戸一枚隔てたベランダに小屋を作り移したのだった。

で、眠りにつこうと枕元のランプ消した午前2時20分、ガラス戸越しに枕元の犬小屋のスミがブツブツ言っているのに気づいた。
夢でもみてるのか?
「おいおい」「すみちゃんすみちゃん」と呼びかけると、水を飲む音が聞こえ静かになり・・・我輩は眠りについた。
(「すみちゃん」なんて、かつて酒場「墨丸」経営時、皆から「すみちゃん」「すみさん」と呼ばれていたこと思うと、犬の名呼ぶたびにこれは妙な気分になったものだ)。

同日午前10時過ぎ起床。
我妻リ・フジン「私がベランダに出たら小屋からすみちゃん飛び出てくるのに今日は出てけえへんけど?」
自室のガラス戸を開ける。
そこには古い衣装木箱改造の、昨日完成したばかりの平屋根の犬小屋が。
旧の三角屋根の小屋は、庭に放すとき用に屋外に設置し直したのだった。
が、ベランダにスミがいない?小屋からも出てこない?
嫌な予感・・・小屋の天板外して中を見る。
死んでいた。
横たわる姿ひと目みて死んでいるのが、わかった。

本来13年は生きる犬種だというのに、享年たった4歳と6箇月。人でいえば青年期か・・・我輩に殉死するはずの唯一の家臣、子分というのに・・・この日は用があり亡骸そのままにクルマで出かけたのだが、ドライアイなのに運転中涙目・・・見知らぬ訪問者(主に朝夕の新聞配達人)に吠える以外は無駄吠えもせずク〜ンと鳴くばかり・・・我輩が出かけようとすると必死で追ってき、阻まれた庭の柵の間から小さな頭出してク〜ン・・・庭に放すと我輩がついてきてるかと始終振り向き確かめ・・・それを何度か繰り返し安心してか先に駆け出すのを見定め我輩こっそり家に入ると、玄関口に前足揃えて座って戸を開けてくれるのをじっと待ち続ける姿がガラス戸越しに見えていたものだ・・・小型犬ゆえウンチ処理も人の赤ん坊のソレのようで気にもならならず(小型犬以上のその処理は無理)・・・。

昼過ぎに帰宅し、小屋から抱き上げた。
すでに硬直していた。
死を実感した。
このときホントに泣けてきた。
薄く開いた目に向かってはやくも蟻が列をなしていた。
そやつらを叩き潰した。
先年、朝起きると飼い猫のインク(墨丸会員からの血統書付きプレゼント)が我がベッドの脇まで来て死んでいたときよりも泣けた。
これはその愛らしい仕草と、我輩を終始慕ってくれた唯一の我が家臣、子分ゆえのことであろう。

「庭になんか埋めんといてや!」との我妻リ・フジン無視し、寝床用に座布団カバーに詰め込んだ我輩の古着取り出したそのカバーにスミ包み込み、庭の片隅をブロックで囲んだ猫のインクの墓の脇に穴を堀り、口元に好物だった歯磨きガムをありったけ置いてやって、埋めた。
古着を洗濯ネットなどに包んで寝床にしていたが、小屋の中でスミが激しく動き回る音のあと気づくと、ネット食い破り我輩の匂いのついた古着を引っ張り出していた。だから何度もネット類を代えさせられたものだ。死んだ夜もそんな音がしていた。ペットショップでのケガ同様、新しい小屋の屋根の形状が違ったゆえそれで頭を打って死んだのかもしれぬ・・・アホ。

でも我輩、いまだそっと自室に入る癖が続いている。
そしてもうスミがいないことに気づくと喪失感が襲ってくる・・・。

そんなとき、ふと思った。
思いついてしまった。
人の子が死んだわけじゃない・・・同じ犬種、同じ毛色、同じメスならば、スミそっくりなソレが手に入ればこの喪失感、癒やされる?

スミ入手時の血統書を探した。
ブリーダーからの購入ならば安いかもと。
が、ソレが見つからぬ。
で、ネットで検索。
うろ覚えのブリーダー名を・・・な、なんとミニピンことミニチュア・ピンシャー、いまや50万近くもするではないか!宝くじ当たってもこれは買わぬほどの金額・・・。

かつての購入店に出向いた。
ミニピンいず、店長に聞いてみた。
コロナ禍でのペットブーム収束すると価格は落ち着くのか、と。
と、「なりません」
法改正以来(マイクロチップ埋め込みやゲージの規格変更等)ブリーダー廃業相次いでのペット供給不足が原因とのこと。が、他店より安価に入手できるかもとの話。それでもかつての購入費の3倍・・・犬ごときに費やす金額ではなかった・・・。

そこで、はたまた思いついた。
昨年まで10本以内に抑えていたタバコ、最近再び増えてきたソレを、ウマいともなぜか思わなくなったソレを、キッパリやめれば?
タバコの灰がテーブルに少しでも落ちると妙に気にもなり始め(百均のウエットティッシュ百枚入りはもう必需品・・・あ?あの薄くて小さいのが一枚1円も?)、いまの喫煙本数で換算すると2年の禁煙でスミ復活?なら一石二鳥?健康にマイナスの金がプラスに転じるんだから無駄金感覚もボツ?

かつ、今年買って恐ろしくて使わぬままの電動バリカン※・・・アレ使用なら大衆理容店支払分も加算でき(なぜか酒減らすのは思いもよらぬ)・・・。

※パソコン出現前の墨丸経営時代発行の通称「墨丸新聞」こと「墨丸亭綺譚」誌に、末っ子が子供の頃(今や二児の父親)、我輩が買ったばかりのバリカン使って「悲惨」な結果招いてしまった顛末談を掲載したことがあった。写真入りで。それゆえの躊躇・・・あ、あのとき一度だけ使用となったバリカン、どこ行ったんだろ?

と、ここで恐ろしいことに気づいた。
この心境、あの映画の結末・・・!?

1965年の英米合作映画の傑作。名匠ウイリアム・ワイラー監督、テレンス・スタンプ、サマンサ・エッガー出演作「コレクター」。
蝶収集が趣味の孤独な青年が片思いの女性を誘拐、監禁。そして女性に好意を持ってもらおうと努力するのだが、女性はあの手この手で脱出を図る。そしてのラスト、女性は病で亡くなる。失意のどん底に陥る青年。が、ある日、青年は以前ケガの手当をしてくれた看護婦の姿をみかけ・・・。

いまなら想像かものエログロさまるでなしの、倒錯「愛」描いた心理スリラー劇。本作でT・スタンプのファンとなり、ジョン・ファウルズ原作まで買っての我輩評価5/5の作品。
なんだけど・・・このスミに関する我が心情って、青年と同じくの倒錯?
(1999年の和田勉監督、竹中直人主演の同テーマ作「完全なる飼育」は、観かけて止めたエログロナンセンスの「完全なる駄作」)。

ただし我輩、犬猫を愛犬愛猫と「愛」などつけて呼ばず「好犬」止まりの意識。かつ、猫可愛がりなどせぬという理性も残っているゆえ、倒錯者ではない?
・・・でもでも、スミ2世入手したとして、同種犬でもそれぞれ個性ありと聞くゆえ、スミとまるで違うイヤ〜なヤツだったら、どうしょ?スミより可愛かったら、どうしょ?と、我輩はふたたび狂い始めたのであった。

朝に見て 昼には呼びて
夜は触れ
確かめをらねば
子は消ゆるもの
(作者名忘失)

「キリギリス男、春の宴 @」(「喪失と倒錯」)完

注:上記をホームページに掲載しようとした矢先、新たな「事件」勃発。
その顛末は今後掲載予定の仮題「0004694276」参照。
で、実際の本文掲載は大幅に遅れての3月22日(水)となってしまいました・・・。

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