588「日曜の夜に」

3.4.月/2024

586で「墨丸残党会ってのがあります」と報知しました。
けれども諸般の事情により昨年12月例会を最後に休止。

「12月の再会」

その12月27日火曜夜、住吉区我孫子南商店街の居酒屋「なじみ」での例会時のこと。
店に入ってきたマスク姿の大男、突っ立ったままカウンター席の我輩ジッと見つめ、「マスター〜!」

※かつて「マスター」と呼ばれると、「マスダとちゃう、スミちゃんや!」なんて返答してたこと思い出しました・・・。

マスクとったそのお方、1997年住吉区長居にオープンの墨丸2号店、その屋外看板ネオンを格安で設置してくださった、墨丸顧客のKさん!
そして、我輩よりも年上のそのKさん、奇遇にも我輩がサラリーマン時代に行きつけだった阿倍野のスナック「夢水晶」常連客の若き女性と、いつどこでどう知り合われたのかはもう忘れたけれど、なんと結婚!Kさん二度目の・・・。
10年以上ぶりくらいの再会か。Kさん「なじみ」は久方ぶりとかでより話が弾む。
そして知る。
現在、またまた若き女性と三度目の結婚生活中と・・・Kさん曰く「この相手も知ってるはずやでぇ」とスマホ写真見せられるも・・・?

「そしての1月」

で、1月の例会予定日だった30日火曜夜のお話。
パソコン不調で例会休止告知できぬままだったゆえ「もしかして、どなたかがいらっしゃったら」と、「なじみ」へひとり行。

墨丸時代の「なじみ」は朝まで営業(現在は午前1時まで)。
で、我輩仕事終えてから毎夜のごとくお世話になったお店でもある。
その当時、深夜の客層は我輩同様水商売の方々。で、今でも親しくしていただいている人たちとはこの店で知り合って・・・けれども今回のように夕刻伺うと見知らぬ人ばかり。でもいつしか彼らとも楽しく会話してるうちお一人から「諒款(りょうかん)のお母さん寝たっきりやって」と聞かされ・・・(この店のことは249他参照)。

「なじみ」から南に歩いて、その居酒屋「諒款」へ。
コロナ発生前に伺って以来の訪問・・・が、この日の30日ふくめ3日間休みとの張り紙が・・・。

※564で記した「曖昧な記憶」である「諒款」裏手辺りの野原の存在。「諒款」へ向かう道すがら探してみるまでもなく辺りはどこもかしこも高層住宅だらけ・・・やはりアレは夢だった?が、途中で一軒の飲食店発見。「え、こんなところに?」というような人気のない薄暗い道沿いに。今度入ってみよう!(これもまた夢だったら・・・)。

「2月の再会」

2月18日日曜夜。
バイト終え、地元私鉄駅近くの有料駐車場に車停め、我孫子に向かう。
バイト日に我孫子行なんて初めてか。
というのもバイト先の公共施設、利用者の少ない土日の営業時間が短縮。両日ともに5時15分に仕事が終わることに。労働3時間未満のその曜日、アッという間に仕事終了。クソ面白くもない長編映画観てる気分だけど。で、時間的余裕ありと、ふと我孫子まで出かけようと思いついたのだった・・・。

※バイト日、外呑みしていなかったわけではない。
が、我孫子へは電車だけでも1時間ほども要する。ゆえに、主に近隣の「御堂」などへは出かけていた(この店のことは377他参照)。けれども昨秋、ついに御堂閉店。閉店日間際の夜、常連の元イラストレーターの老人Tさん、ゲイのキューちゃん以外にみかけずだったお客が閉店知ってか二、三人も来店。で、初めて気づいた。Tさんと我輩以外、誰も酒の肴注文せずなのを・・・先日「なにかツマミを」と我輩注文すると「鳥の天ぷらがある」と、いつものようにどこかで買ったお惣菜パックを皿にのせ・・・口にすると鳥じゃなく、単にライスを揚げた代物だった(酒のツマミにならずのアレ、なんちゅう惣菜名やろ?)・・・そんな状況ゆえでの閉店でもあろう?(ご本人は「入院やねん。どこも悪うないのに」と意味不明なご発言)。孤独死候補の老人Kさんのみ、夕飯代わりにとそんな肴を毎回注文していた・・・もう彼らにも会えない。

「諒款」へ。
店に入るなり、テーブルの中年カップルとカウンター内の大将、「マスターや!」
うれしいではないか、先の「なじみ」同様、こうして声かけてくれる人いるなんて、覚えていてくれた人いるなんて・・・。
が、「お母さんは?」の問いかけに、皆「亡くなってん・・・」
我輩「え、で、三日間休みの張り紙を?!」
大将「いや、あれは延び延びになってた正月休み。亡くなったんは16日・・・」(二日前だった・・・)。
我輩、号泣。
カップル「お母さんが今夜マスター呼んでくれはったんや」
また号泣の我輩「先年、実母が亡くなった際には泣かなかったのに」
大将「そういや、わしも泣かんかったなぁ・・・」

※ポテトおじさん、クロちゃん、ウッちゃん、木材さんら若き墨丸会員たちが病気や事故で次々と先立ってしまった。
うち、木材女史が死んだと知った時も号泣・・・思うに、ともに酔ってるときだったわ。アホやん。いや、泣き上戸なんかも・・・。

そして「日曜の夜に」

サラリーマン時代、頭使わぬ単純労働にあこがれていた。
その時代最後のダスキン本社勤務時、朝から夕刻まで全国の加盟店からのひっきりなしの電話相談や問い合わせに対応。そしての夕刻からようやく本来のおのれの業務開始・・・当時「24時間戦えますか?!」の健康ドリンクCМ全盛下、サービス残業も当たり前。で、毎夜22時、23時まで。時には徹夜も・・・。

そしての現在、そのあこがれの単純労働に従事・・・。
2015年夏の脳出血発症後、通っていたリハビリ施設が利用者減で閉鎖。
で、見つけたいまのバイト。市の公共施設の大浴場清掃メインの。
お金もらえてリハビリできるやん!と嬉々として選んだバイトなのに、最近思い浮かぶのはあるアメリカ映画の冒頭シーン。
その冒頭、男が工場へ出勤するシーンが繰り返し描かれる。
単調な日々表現したそのシーンに反し、男の裏の仕事は冷酷な「殺し屋」。
題名も内容もまるで覚えていないのに、俯瞰撮影されたその男の出勤シーンだけが今の自分の仕事にウンザリする気分と重ね合わさって繰り返し頭をよぎるのだ。で「リハビリ、リハビリ」とその思い振り払いつつの日々なんだけど・・・。

※で、思いついた。
現在のそのバイト、研修時に我輩がトイレ便器の縁の裏をブラシで掃除しようとすると研修担当者「そこまでしなくていい」。そして、次々と知ってしまった福祉と健康謳う公共施設の不衛生な実態を!
思い返すと、正社員として勤務したスーパー万代、全労済、そしてダスキンと、それぞれに「!」があった。その知られざる「!」を、今のバイトの闇ふくめこのぺージに掲載してみようかなと・・・ふふふ。

この半年、月末開催の「墨丸残党会」。
呑む日が決まってしまうと、呑みたくなくとも出かけねばならぬ。
呑みたい、呑み仲間に会いたい気分となっても、「あ、もうすぐ呑み会・・・」と、断念。
結局、単純労働下、例会日のぞいて変哲もない日常が繰り返されるだけの半年だった・・・。

が、今回記してきたように「書を捨てよ、町に出よ」(寺山修司)のごとく、「町に出れば」何かあるかもという、忘れていた「墨丸残党会」開催以前の我が日々を取り戻せつつあるのであった。

※我輩、月火水と金曜がバイト休み。
で、いままで月曜が「個人的な外呑み日」。でも今回、日曜夜の外呑みの良さに気づいた。日曜満喫すりゃ続く三日間、解き放されたゆったり気分で過ごせるまさにの休日となる。かつ日曜の出勤が苦痛ではなくなる。ほったらかしの書庫、第二の書庫と化しつつある我が寝室。これらの片づけにも着手できるというものだ。
「遊びをせんとや 生まれけむ」と、みなさん、日曜夜にお会いしましょう〜さいなら、さいなら、さいなら・・・。
(日曜以外にももちろん、お会いしましょう!)

「日曜日の夜に」完 15

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