590「道」

3.28.木./2024

三月下旬、バイト終えての夕暮れ時のこと。
バイクでの帰途、山間の裏道を久々に利用した。
冬季はこの道、遠回りになるゆえ寒すぎ敬遠していた道。
クルマ一台がギリギリ通れる道幅の箇所あるゆえクルマでは走ったことがない道だ。
常日頃の通勤道路走行に飽き飽きしての昨年、迷っても南方面に走れば自宅にたどり着ける地域に出くわすだろうと、行き当たりばったりで走ってみた道でもある。
以来、好きなバイクロードの一本となった。
ふむ、なぜ好きなんだ?

その道の入り口はバイト先建物の裏手にあった。
この裏道を利用し始めた頃、道の左斜面下、木々に埋もれた廃屋かもの屋根が見えた。
バイクを停め、細い急な小道を歩いて下ってみた。
すると、その建屋は崩れた箇所もなく、見た目はしっかりした造りの小屋だった。が、その小屋周囲を太い竹が何本も取り囲み小屋に近づくことができないではないか。
人家だったのか農機具小屋だったのか・・・竹の成長は早いというけれど、家への出入りを竹が阻んでいるような、これは奇妙な風景でもあった・・・。

仕方なく元の道に戻りバイクをスタートさせ、ふと右手を見ると、山の中腹に民家とは思えぬ横長平屋の前面ガラス張りの廃屋が・・・建物への道はフェンスで閉ざされ近づけそうもない。
何の建物だったか知りたくとも、毎回人に出くわしたことがない道なので誰かに尋ねようもなかった・・・。

その場所を過ぎて気づいた。
右手に見えてきたのが530「黄昏の怪」で記した、二百数十段もあった石段下の民家付近だった。
あの時は「近代的な住宅が」という近辺の印象だったけれど、今回間近で見受けられたのは廃屋や昔ながらの古びた家屋が点在する、うら寂しい場所だった・・・。

このルートを途中で外れてみたことがある。
右折するところを左折してみたのだ。
と、行きついたのが山中の人気のない寺。
紅葉で知られる寺らしい。
が、近くにバス路線もなく、紅葉シーズンでもないゆえ無人なのも無理はないかと、境内から山中への「順路」の立て札通り小道を歩いてみると、思いがけない所で苔むした墓石や池などに出くわし、飽きることのない散策場所であった。
市内にはこうした寺中心の公園が何か所かあるらしく、俄然興味がわいてきた次第・・・。

こうした山中通り過ぎ、道の両側に聳え立つ杉林群を走り抜けると民家が立ち並びはじめ、いつもの通勤ルートにたどり着き現実に立ち返るというわけで・・・。
こんな一里ほどの、日常忘れさせてくれる道の空間がお気に入りとなっているのだ。
けれどこうしてあちこち見まわしながらバイクを走らせていると、いつかよそ見運転で事故ってお気に入りどころではなくなるかも、だけど。

ほかにも興味を引く道がある。
述べてきた裏道に入らず自動車道を先へと進む。
このあたりから自宅方面の南に向かわねば奈良県に入ってしまうじゃんと右折。
民家もなく、行きかうクルマも人にも出会わぬ山中の道路を走っていると、突如現れた左手の野原に、レストランがポツンと一軒・・・え、こんな辺鄙な場所に?お客ってどこから?
狐に化かされたかものその店に、いつか入ってみよう・・・。

そんな道は二つの山にまたがる、我が自宅のある住宅地にもある。
その住宅地に入ってすぐ、左にそれる道があった。
そんな道はこの住宅地には縦横無尽にあるが、やや広い幅のその道はどこかに通じているようで、走ってみた。
行きついた先は、山の中にある小学校(たぶん)の裏手だった。
その裏手のY字路を左に走ると自宅方面に出れるはず(たぶん)。
が、右に曲がってみた。
うっそうとした杉木立が続く道だった。
夏の夕暮れ、まだ明かるい時刻だというのに、その道はもう街灯を要するほど薄暗かった。
と、杉木立を抜け、明るい場所に出た。
市民球場のグランドほどの広い空間を山が取り囲んでいる。
その山すそに家屋が3,4軒ほど、それぞれ離れて建っていた。
それら家屋に向かって道が二本に分かれている。
が、どちらの道も見る限り行き止まりのようだ。
で、Uターン。
帰宅し、地図を広げた。
なんという地区なのか。
地図では、地区名含め、なんの記載もない空白地帯だった・・・。

こうして記すと怪しげな道が好きなんやと思われるかもしれない。
が、我輩、和歌山市と南紀をつなぐ国道42号線も好きなのだ。
国道の片側が海というあの開放的な風景のルートが。
非日常的な要素を排除したような、あの明るい陽光降りそそぐ世界が。
だからこの方面のドライブでは、高速道路は出来るだけ利用しないようにしている。その42号線は「死に号線」とも呼ばれているけれど・・・。

「道」つづく
※次回は、「嫌な道」です。

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