603「我孫子の終末」

5.20.火/2025

4月22日火曜19時41分、一通のメール着信。
一年ほどご無沙汰の墨丸会員44号H女史からだった。
その文面、「おひさ なじみが、閉店、知ってた?」

愕然。青天の霹靂とはこういうことか。
即、H女史に電話。
で、判明。
彼女も人づてに知ったというのが、我輩が長年贔屓の大阪住吉区我孫子南商店街(とは名ばかりの、いまや呑み屋が何軒か残っているだけの寂れた通り)にある、居酒屋なじみ入居のビル取り壊しが急遽決定。4月末日に退去せねばならなくなったとのこと。

我輩、H女史のメールあったころ野暮用多々で、そのH女史と「なじみに行こう」と決めることができたのは、我輩バイト終えての27日夕刻6時半、現地待ち合わせで。
そして、昨年の12月29日になじみで共に一升瓶の麦焼酎キープして以来会っていずの会員91号М氏と13号A氏にも「焼酎飲んでしまわねば」と声がけして。我輩は体調不良もあってなじみには今年は一度か二度行ったきりだった。

27日日曜午後6時40分、少々遅れてなじみ着(この日、5時15分過ぎに地元でのバイト終えてのこの時間着)。
そこで初めて目にした光景は、満席の店内。
奥の小上がり確保のH女史とA氏(М氏は毎度の如く遅刻)。お客の方々と「なじみがなくなるのは残念。呑む場所どうしよう」と終始声かけあっての、午前零時帰宅。

28日月曜。我輩、はたまた野暮用で再訪できず。

29日火曜。再びのなじみ。
入店時に気づく。一階なじみ店舗横のマンション入り口は事件現場のような立ち入り禁止の黄色いテープが張り巡らされていた。なのに、なじみ女将が退去知らされたのは3月中旬だったという。

で、店内、これまた満席。愛されていた店だと実感。またもや遅刻のМ氏とカウンター席で二人、
いつしか、常連だという我輩隣席の女性交えて歓談。その女性、我輩とは会ったことがないとおっしゃる。それは我輩、酒場墨丸経営時は真夜中から朝方にかけての深夜来店組だったゆえ(いまや我孫子に来るにも電車乗車時間だけで一時間近くもかかるのだから、かつてのように気軽にはという事情もあった)。が、墨丸閉店後はなじみもいつしか午前一時閉店となり、我輩も宵の口組の一員となっていた。そんななかで幾人かの顔なじみもできつつあった矢先の、今回の閉店…。

で、その女性テルちゃん、我輩らと同年代かと思いきや、なんと86歳!
その後、危惧していたМ氏発言「カラオケ行こ!」
我輩常々、しらふ時点では「カラオケなんぞはゼッタイ行かぬ」なのに、酔いが回るとそんな決意なし崩し。呑めりゃええわとなるのは毎度の如く。で、テルちゃん「私も歌わないけど、友人行きつけの安い店が近くにありますよ」と、М氏独演会となるそのスナックへ三人で(そこは我輩にとって、好みの店ではまるでなかった)。午前零時帰宅。

余談。
バイト先に防音扉付きのカラオケルームがある。が、我輩始終出入りするロッカールームの壁越しには隣接ルームからのくぐもった歌声が(だから余計イヤな音にしか聞こえず)真昼間から耳に入ってしまうというトラウマを、我輩抱えているのです(カラオケのない青春時代のスナックが懐かしい。いまやお客に歌わせておけば接客の苦労もないんだろうから本来の接客業とは言えぬ?ちなみにスナックは日本独特の文化とか。海外では女性だけで接客するなど危険極まりないゆえ考えられないという)。

30日水曜。なじみ営業最終日。
この夜は一人で訪問し、女将さんやお客さん方と最後の挨拶するつもり、だった。けれども前夜、お客さん方にこっそり「じゃあ、またあした」と挨拶するのをМ氏聞きつけ「じゃあ、わしも来る」

前日、店頭に「5時半開店」との張り紙目にしていたので、4時前に我孫子着の我輩、念のためこの日の開店時刻確認の電話を店に入れると女将さん「今日も5時半からです」。で、その旨М氏にメールし近辺散策しつつ時間潰していると、5時にМ氏からメール「満席ゆえはよ来い!」(遅刻魔のはずのМ氏、時間感覚狂ってる)。

М氏は見知らぬ中年女性との相席で小上がりに。開店時間無視で早々に満席となったという。
5人定員のその小上がりに、いつしか我輩ふくめ7人もが相席となるほどの大盛況。いままでお見かけしたことあるものの会話したことのない面々とも話が弾む。
М氏に「スミちゃん、知らん人とようしゃべれるなぁ!」と言われるけれど(そういや小上がりにいたМ氏と女性、無言の相席だった)、我がバイトは一人仕事、シェアハウス状態の我が家では人類との会話皆無の、日本語に飢えた日々なのだから(飼い犬の二代目墨丸はイヌ語だし。先年急死のお転婆だったテンバ墨丸につづくビビりなビビリン墨丸の話はまたの機会として、まずはテンバ墨丸話の579「キリギリス男、春の宴 ご参照を)。

そんな席での心に残った話が、バツイチ独身ながら自称「彼女は何人も」との40代チャラオ風マー君のこと。癌で余命宣告されたというのだ。
抗がん剤治療がいかに激痛伴うかをこのとき初めて知った。何人もの患者がその激痛に耐えかね治療から脱落するなか、ただ一人治療を続けたという(我輩なら脱落必至)。水の入ったコップを手にしただけで、その冷たさでも全身に激痛が走るというのだ。が、その話に至るまでの罹患話が涙なくしては聞けず(単なる泣き上戸)、涙こらえようと酒がぶ飲みしたせいで、その治療結果がどうなったのか(いや、続行中だったか?)…これが、思い出せぬ。
ああ、再度確かめたくとも、女将さんや他のお客さん方同様、もうマー君には会うこともないだろう(病死してるかもしれぬ。あ、前述のテルちゃんもだ、年齢的に)。まさに「花に嵐のたとえもあるさ、サヨナラだけが人生だ」の夜であった。

また余談。
奇遇にも、なじみは酒場墨丸同様、「23年目」での閉店でした。なお女将さん、新たな出店計画なしとのことです…。

372「実録 / さっぽろの夜」発端に、いままで何度か記したことのある南海高野線北野田にある呑み屋「御堂」も先年閉店。以後、店の前をクルマで通ってみるも、いまだ空き店舗のまま。呑み屋が新しくできれば、ここで出会った老イラストレーターTさん、ゲイのQチャンらに会えるかもしれないのに…。

御堂の大将もなじみの女将も、思えば我輩より年上。若いころ、父母や親しい幾人もの叔父叔母らが死ぬことなど思いもしなかったのに、いまや年上の親族は99%死に絶え、我輩もおのれの死にざま(自宅階段からの転落死、クルマでの衝突死、バイト中にポックリ)を毎日想像するんだけど、予想外の連続が人生というもの。550「春のひととき」で記した予知夢では、30年5月16日に心筋梗塞で我輩死ぬらしいが、これにしても「夢のことをひとに語れば、それが正夢になることはけっしてない」(キング著「ハーヴィーの夢」)とも言うしなぁなんてことを、いつしか日々思ってしまう年代となってしまっていた…。

ああ、両店ともに、気取った奴や知ったかぶりな話する奴、ホワイトカラー族なんぞもいぬ、男ほつらいよの寅さんがどこかに座っているような、下町の典型的な庶民の店だったのに…(酒癖の悪い奴はいた。が、これも第三者の目から見れば余興)。

話は30日に戻る。
そ〜してはたまたこの夜、М氏「カラオケ行こ!」(いま思えば、終電ぎりぎりまで連日なじみにいればよかった…)。
サラリーマン時代から酒場選びでは「目利きの銀次」といわれた我輩、この夜も新店舗発見(してやった)。呑んで歌って二人でたった2千円というバカ格安店を。バイトだという九州人のうら若き女性一人で接客の店(苅田7丁目のシンカラオケ酒場「ベース」って店です)。ここなら我輩誘わずともМ氏一人で歌いに行けるだろう。俺はゼッタイ行かんが。

またまた余談。
我輩の娘の娘から(彼女のことを、我が歳を喚起する○とは呼ばぬ。彼女はあのプーチン大統領来日時に花束贈呈役を勤務していたホテルから命じられた、誰に似たのか内田理央似の容姿端麗20代)、「スナックって行ったことがないから連れって!」と頼まれ先ごろ同伴。そこでは我輩、彼女のことをウチダと呼び、彼女にはマネージャーと呼ばせていた。我が歳を思い出させる○○ちゃんなどとは呼ばせずに。
その「楽しかった!」経験もう一度と最近「またどこか連れてって!」と頼まれていたのだ。

で、我輩が大いに楽しんだ前述29日の酔っぱらっての帰宅途上、メールでなじみにとウチダを誘ってみた。
酔いがさめた翌朝、後悔。
あんな楽しいことが連日起こりうるなんて人生ではありえぬ、誘ったのは間違いだった、と。
と、美少女から早朝返信メール「今夜は21時まで仕事…」
で、ホッ。
なんだけど結果、近年にはない、その30日ふくめてのなじみでの歓楽連夜となったのであった(ウチダよ、残念やったな)。

前述○○付きの文で思い出した。
梅沢富美男って好きでも嫌いでもなかった役者だけれど、あるテレビ番組で「生卵の白身は○○みたいで卵かけご飯なんて食べれん!」などと、食べ物をそう笑いながら評する育ちのわかるような発言(我輩子供の頃こんなこと言うと「罰当たりなこと言うな!」と、夕食抜きで寒空の下に放り出されていただろう)。
後日、同様に好きでも嫌いでもなかった役者の大泉洋も同じ話をするのを聞いてしまい、両人ともに我が嫌悪人物リストに入ってしまった(我輩がヒットラー的独裁者となれば絶滅収容所送りにする人物リスト。が、二人は卵の白身だけが食料の強制収容所どまりか)。
ちなみに絶滅リストのトップは、マツコ・デラックス。生理的にもおぞましい。男でのトップは松本人志とカルロスゴーンだったけれど、いまは両名ともにテレビ画面から消えていて、つかの間の、ホッ。あ、マツコも男か!そうそう、万博のミャクミャクなんてのも、コロナ病原菌が人類をあざ笑ってるようで、これは絶滅送り。

はたまた余談。
青春時代に読んだアメリカの短編小説に「地獄行き列車」という作品があった。男が悪魔に魂を売る見返りに三つの願いがかなえられる話。詳細も作者ももう忘れてしまったけれど、ラスト、二つの願いがかなえられた時点で男は急死。いよいよ悪魔に魂を差し出さねばならぬ。向かうは地獄。そこへの列車には男同様、魂を売り払ったばくち打ちや酔っ払い、売春婦らで満員満席。で、もう最後だとばかりみんな酒あおってのどんちゃん騒ぎ。と、男は願いがあと一つ残っていることに気づく。そして願う。この楽しすぎる列車の旅が永遠に続くようにと…そんな、連夜歓楽歓談で終わったなじみはこの夜、終末を迎えた…。

が、捨てる神あれば拾う神あり!

5日月曜祝日の夕刻。
我輩はH女史と我孫子のキッチン「はなこ」のカウンターに座っていた。
というのも、前述の30日深夜、H女史からの宵の口着信メールに気づいたのだ。
「もう着いてんのん?」と。我輩それみて「??」
…そうだった!
前日「なじみにまた行くならば連絡を」とのメールがあったのだ。
酔っぱらって忘れてた。

で、この5日の夜、お詫びのしるしにと、よたびの我孫子行。関西医療専門学校近くのはなこにH女史ご招待した次第。
このはなこも我輩発見の店。なじみ同様、女将さん一人で切り盛りしていて、М氏は「食べたいもんがない」(などと、彼は拒否の店多々)ゆえに、日ごろ我輩一人で利用。
で、居合わせた九州出身のおっさんや祝日で店が休みというスナックのママさんらと話が弾み、「あ、なじみで呑んでるみたいやん!」と能天気な我輩、早々に失意のどん底から立ち直ってしまったという次第。

この「はなこ」や「りょうかん」、ちょっとご無沙汰の「こちぶ」(ともにМ氏、拒否の店)ベースに、新たな我孫子の歓楽店を、我輩発掘してまいりま〜す。

「我孫子の終末」完

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