610「ウラシマ ジロウ 談」その2・

11.19.水/2025

さて、今回もふらり旅の話ではじまる。
当ページでは前回ふくめ母方の「高野山」についてはたびたび記してはいるものの、我が父親の故郷については述べたことがなかった。意図的にではないのだけれど・・。

亡き父の生誕地は奈良県の川上村である。
奈良県人ならご存じの、村とは言っても結構広い地域にまたがる村で、父の実家は大台ケ原寄りの「武木」という地区にある。

今秋のとある日、なぜそこに向かおうとしたのか?
行ってみたい土地でもなかったのに、単なる暇つぶしだったのか・・。
車載ナビによると片道65`。所要時間2時間余。で、午後12時40分出発。

が、使い慣れぬナビのルートは最短ルート示していたのか、地元K市の見慣れた風景から先「こんなとこ走らなアカンの?」というほどの狭い曲がりくねった山道を、感覚でいえば「ぐるぐる」と走り周り続け、K市脱出に思いがけぬ時間を費やした(ような気がした)。
ナビなんてない頃の(ナビは日本の発明品だ)、太陽の位置頼りの野生の本能下での走りの方がとの、うんざりしたその心持には覚えがあって・・

そういえばの10月25日土曜日、地元私鉄駅でみかけたポスター「くどやま芸術祭」見学にクルマで出かけたときもそうだった。※
その帰り道、深くは考えずルートをナビに登録してみた。
と、走りなれた自動車道を「右折」との指示。
「?」と思いつつも右折すると180度ほどもの急カーブ。
「おいおい、戻っちゃうやん?」と思ったとたん、クルマ一台がようやく通れるほどの山道に突入。「対向車きたらどうすんねん!」と民家の私有地のなか通り抜けるような場所を経て別の走り慣れた自動車道に、ということがあったのだ。
ゆえに今回のK市脱出ルートも最短距離ではないのでは?我輩、おちょくられたのかとも・・。

※和歌山の九度山は5年前の497で記した地である。その日以来の訪問だったか。
「くどやま芸術祭」ってのは、日本各地の若き芸術家たちの作品を町内各商店、民家の軒先や家屋内に展示した催し。訪れたのは最終日前日で、チラホラと見学者らしき人々みかけるものの、「芸術祭」うたい文句に反したような閑散としたシャッター商店街というアンバランスさが気になりもし作品自体にも目を引くものもなく・・の、この日の散策。
その散策途中、かつてこの町に3年ほど暮らした子供の頃にみたことのある、大阪城まで通じているという「真田の抜け穴」(正しくは古墳跡)が「こんなところにあったっけ?」という見覚えのない裏通りでの再発見やら、幸村が暮らしたという「真田庵」の見知らぬ裏口に出くわしたことは収穫か。が、喫茶店や居酒屋系統が見あたらぬ町でもあった。

ナビの話に戻ると、これは我輩の性格が問題か。
つまり、カメラも携帯もビデオデッキもパソコン、クルマも、こうしたたぐいのモノについての説明書に目を通したことがないという、とりあえず使えりゃええわ段階どまりという我が性分が。

先日も、バイト先で携帯を家に忘れてきたことに気づいた。
けれども帰宅後、家内にその携帯が見つからぬ。どこ探しても。
固定電話からの着信音で見つけようとすれども着信音聞こえず「電源が入っていないか云々」の無情な返答音声。「え、確か夕べ充電したばかりやのに?家の外で失くした?!」と、あ〜あ、携帯ショップで位置情報調べてもらうか買い替えかよ、でも位置情報が自宅内だったらもうどこ探せば、と何気なくベッドの掛布団たたんでると、そこに、あった。ベッドの上に。パジャマのポケットから滑り落ちていたのだ・・。

けれども手にしたその画面なぜか真っ暗。電池切れ?(の、はずはない)でも、充電。でも、充電できず。作動もせず。あ〜、寝ていて押しつぶした?結局ショップ行きかよ・・と、うんざりしてたら目についたのが、開けっ放しの机引き出しのなかの携帯取説。それチェックしてみて、すぐ、復旧、という体たらくなんだから。だからナビが我輩をおちょくってるわけではないと思う・・たぶん。おちょくってたら、これまた人間味ありで面白いかもなんだけど。

話がそれてしまった。
川上村の話に戻らねばまだまだそれていく。
でも長文過ぎるページになりそうなんで、これまた次回へ・・。

「ウラシマ ジロウ 談」つづく

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